足利義輝の生涯年表
1536年 – 0歳「12代将軍足利義晴の嫡男として誕生」
足利義輝は、12代将軍足利義晴の嫡男として生まれました。幼名を菊幢丸といいます。このころ、足利義晴は管領の細川氏と敵対していたため、たびたび京都を追い出されていました。父が都を追われるたび、義輝も父と行動を共にします。
幼いころから転々と居場所を変えざるを得なかった義輝は、将軍の力を強めることで圧迫される状況を変えたかったのかもしれません。
1547年 – 11歳「元服し義藤と名乗る」
11歳になった菊幢丸は元服し、義藤と名乗ります(以後、混乱を避けるため表記を義輝と統一)。近江守護の六角定頼が義輝の烏帽子親となりましたが、将軍の世継ぎの烏帽子親を管領以外の人物が務めるのは異例でした。
元服の翌日、義輝は朝廷から将軍宣下を受け、室町幕府13代将軍となりました。このとき、義輝は京都ではなく近江の坂本に滞在していたため、朝廷の使者が坂本を訪れて義輝を征夷大将軍に任じます。元服といい、将軍宣下といい、義輝の成人は異例尽くしでした。
1549年 – 13歳「三好長慶との対立がはじまる」
管領の細川氏が主君である室町幕府将軍をないがしろにしていた頃、細川氏の家臣である三好長慶は主君の細川氏と対立を深めていました。そして、1549年に三好長慶は主君細川晴元を裏切り、畿内の最高実力者となります。
将軍義輝とその父義晴は、混乱を避けるため坂本に退避しました。義晴の死後も義輝と三好長慶の対立は続きます。義輝は何度も三好長慶らと戦いますが、おおむね三好が優勢でした。武力で三好を打倒できなかった義輝はやむなく、三好長慶を幕府に取り込みます。
1559年 – 23歳「織田信長を謁見する」
1559年、義輝は織田信長と初めて会っています。この時期、義輝は三好長慶との10年にわたる戦いに終止符を打ち、本格的に幕府権威を再興しようと活発に活動。義輝の動きに呼応するように、美濃の斎藤義龍や越後の長尾景虎が上洛してきました。
尾張を統一した織田信長も、他の大名と同様に兵を率いて上洛してきました。信長の目的は定かでありません。最も可能性が高いのは、統一した尾張の支配権を義輝に承認してもらうことです。衰えたりとはいえ、室町幕府の将軍が信長の尾張支配を公認したというお墨付きがあれば、統治に便利だったからでした。
この翌年、信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り天下にその名をとどろかせます。義輝は天下に一目置かれる前の信長を目にしたはずです。
1565年 – 30歳「永禄の変で松永久秀や三好三人衆に滅ぼされる」
三好長慶を味方に取り込んだ義輝は、幕府再興に向けて精力的に活動します。1564年に三好長慶が病死すると、三好家の実権は三好三人衆とよばれる有力者たちと重臣松永久秀らの手に移りました。彼らは将軍を操り人形とし、自分たちの思う王に政治を行おうと考えます。
そんな彼らにとって、幕府再興を目指し諸大名と連携しようとする義輝の行動は疎ましいものでした。1565年、三好三人衆と松永久秀は10,000以上の軍勢を率いて義輝の住む二条御所を包囲します。そして、御所に乱入し義輝を討ち取ろうとしました。
義輝は、逃げ道がないのを悟ると決死の奮戦を見せたのです。江戸時代に書かれた頼山陽の『日本外史』では、畳に数多くの刀を突き立て、寄せてくる敵を一人切っては別の刀に取り換えたと記されてます。フロイスの『日本史』でも、太田牛一が書いた『信長公記』でも義輝の奮戦ぶりが描かれていますが、いずれも壮絶なものでした。
松永久秀とはどんな人?生涯・年表まとめ【信長や光秀との関係も紹介】
足利義輝の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
『剣豪将軍 義輝』
足利義輝を主人公とした小説です。小説ゆえ、多分にフィクションは混じっていますが、戦国時代に生きた剣客の生涯を描いた作品として十分に楽しめます。実際の義輝はここまで自由に行動できなかったでしょうが、歴史の「if」を楽しむには十分な作品だと思いました。
『足利義輝・義昭:天下諸侍、御主に候』
衰退しきった室町幕府を再興しようとした義輝・義昭兄弟の奮闘を描いた本です。前半は何の力も持たず、お飾りといってもよいくらい零落した室町幕府を立て直すため、義輝がどのように活動したかをまとめています。後半には、織田信長と政治的なつばぜり合いを演じた足利義昭のことが書かれていました。二人の兄弟の異なった生き様を知ることができる良書です。
足利義輝についてのまとめ
いかがでしたか?
今回は足利義輝についてまとめました。足利義輝は12代将軍足利義晴の子として生まれ11歳で征夷大将軍となります。名門に生まれながら、力がなかったがゆえに常に下剋上の脅威にさらされた一生でした。
義輝は幕府を再興するため、積極的に戦国大名の和睦交渉の仲介人となりました。また、最大のライバルである三好長慶とは10年にわたる戦いの末、味方に取り込むことに成功します。
しかし将軍を傀儡にしようとする三好三人衆や松永久秀にとって、府再興にこだわる義輝の存在は邪魔でしかなく、それゆえ30歳の若さで彼らに殺されてしまいました。
この記事を読んで、足利義輝とはどんな人物か、義輝の功績やエピソードなどについて「そうだったのか」と思っていただける時間を提供できたら幸いです。