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世界遺産マチュピチュとは?見どころや歴史、謎、行き方を詳しく紹介

「そもそも世界遺産マチュピチュってどういうところ?」
「マチュピチュの歴史や謎を知りたい!?」

「天空都市」として観光客から人気を集めているマチュピチュについて、あなたはこのような疑問を抱いているのではないでしょうか?マチュピチュとはペルーにある世界遺産で、15世紀のインカ帝国皇帝パチャクティによって建設されました。

世界遺産マチュピチュ

今回はそんなマチュピチュの見どころや行き方、歴史について一通りまとめました。マチュピチュにまつわる謎や遺跡の現状、観光の際の注意点についても解説しますのでぜひ参考にしてください。知識を身につけていくと、遺跡見学がより一層楽しめますよ。

マチュピチュとは?

南米ペルーの世界遺産

緑の部分がペルー。熱帯だが標高によって気温が異なる

マチュピチュとは、南米ペルーのアンデス山脈にある世界遺産です。標高2430mに位置する山上の絶壁に建てられており、山の下から存在を確認できないため「天空都市」「失われた都市」とも呼ばれています。

遺跡の面積は約13平方kmで、東京の渋谷区よりもわずかに狭いくらいです。建物は200戸で熱帯山岳樹林帯にあるため、さまざまな種類の植物が生えています。また、10月から翌年4月までは雨季となっており、雨が降りやすいことも特徴です。

どことなく神秘的な雰囲気の漂うマチュピチュは、世界中から旅行者が訪れる人気の観光地となっています。

15世紀のインカ帝国の遺跡

マチュピチュは15世紀に存在したインカ帝国の石造遺跡です。

最大で750人以上が暮らしていたと言われている都市ですがインカ帝国滅亡以来、人が住んでいた痕跡は見つかっていません。現在ではリャマやチンチラなどの野生動物がゆうゆうと歩いている姿がみられます。

また、インカ帝国は文字を持たない文明だったため数々の謎が残っており、マチュピチュは2007年に世界七不思議の一つに数えられました。

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マチュピチュへの行き方

マチュピチュの最寄りの都市クスコ。標高3400mの山中にある

日本からマチュピチュへ行くには、27時間ほど飛行機に乗ってペルーのクスコへ向かいます。

ただし、日本から直行便が出ていないため、アメリカ〜ペルーの首都リマと計2回飛行機を乗り継ぐ必要があります。クスコからは、遺跡の近くにあるマチュピチュ村まで鉄道やバスが運行。

マチュピチュ村からは、遺跡入り口まで向かうシャトルバスが30分おきに駅から出ています。駅ではマチュピチュ遺跡の入場チケットも販売されているので、忘れず購入しましょう。

シャトルバスに乗り、30分ほど揺られるとマチュピチュに到着します。

マチュピチュの歴史

1450年ごろ – 「マチュピチュの建設」

インカの皇帝パチャクティを描いた絵画(17世紀)

マチュピチュは1450年ごろ、インカ帝国の9代目皇帝パチャクティによって建設されました。

インカ帝国のアンデス文明は文字を使っていなかったため、マチュピチュ建設の理由は定かではありません。これについては研究者の間で議論がなされており諸説ありますが、現在では宗教目的の都市で王や貴族の避暑地だったという説が有力です。

インカ帝国は太陽を崇拝していました。マチュピチュ遺跡は両側が切り立った崖の上に建てられており、太陽観測に適した土地です。それに加え、遺跡内には天体観測用の施設や神殿が点在しています。

このことから、マチュピチュは宗教的な側面が強い都市であったと言われています。

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1533年 – 「インカ帝国の滅亡」

マチュピチュに人が住んでいたのは80年ほどだった

マチュピチュが人々に忘れ去られたきっかけは、インカ帝国の滅亡です。

1533年、インカ帝国はスペイン人によって滅亡しました。

インカ帝国がスペインに滅ぼされるとマチュピチュの人口は1536年ごろから減っていき、1540年には完全に人の存在しない廃都と化したようです。以降、山奥にあったマチュピチュはスペイン人に見つかることなく、発見されるまで400年間人々から忘れ去られます。

1911年 – 「探検家ハイラムにより発見」

探検家ハイラム・ビンガム3世

マチュピチュが再び人の目に触れたのは、1911年のことでした。

インカ帝国の遺跡「ビルガバンバ」を探していたアメリカの探検家、ハイラムがマチュピチュを発見します。

ハイラムが発見したマチュピチュについての論文や書籍を発表したことにより、マチュピチュの存在は世界へ知れ渡りました。1983年には

  • インカ帝国時代の遺跡の中でも保存状態がよかったこと
  • 周辺の自然に絶滅危惧種に指定される重要な動物や植物がいたこと
  • 景観が優れていたこと

が理由となり世界遺産として登録されました。現在では1日に2000人の旅行客が訪れる観光地となっています。

マチュピチュにまつわる謎

マチュピチュを建設したインカ帝国は、文字を持たない文化でした。そのため、マチュピチュに関する正確な資料が残っておらず、いまだに多くの謎があります。

遺跡内に流れる水はどこからきているのか?

マチュピチュの遺跡内を流れる水路。500年経った今も流れている

急峻な土地に建つマチュピチュは、遺跡のそこかしこに水路があり今もなお水が流れています。この水は一体どこからきているのかと言うと、山の湧水からです。

もともとマチュピチュは雨の多い土地。遺跡から少し離れた森の中には山から染み出た湧水があります。インカの人々はこの水が斜面にそって遺跡へと流れ落ちるように、石に溝を刻んで地下水路を作ったり、木をくり抜いて水道管を作ったりしました。

これにより畑や居住地など、遺跡の広範囲に水を供給でき、その水量はおよそ300〜1000人ほどが在住できるほどだと推測されています。

インカ帝国の治水技術の高さがわかりますね。

500年も整備なしに崩れなかった理由は?

高い建築技術を持っていたインカ帝国

マチュピチュのあるペルーは日本のように地震が起きる国。整備なしで500年も遺跡が保たれたのはなぜでしょうか。この謎はすでに解き明かされており、答えは建築様式にあります。

マチュピチュの建物は石を隙間なく積んで建てられています。計算され尽くした石は地震が起こると揺れに合わせて石が互いに衝突。収まる頃には元の位置に戻っているというわけです。

このような建築方法で建てられているため、500年の間崩落せず状態の良いまま現代まで遺跡が残っています。

マチュピチュの見どころ【順路順】

見張り小屋

見張り小屋からの景色

マチュピチュ最初の見どころは、遺跡の全容を展望できる見張り小屋です。

見張り小屋へは遺跡入り口から200m、コルカと呼ばれる貯蔵庫の横を通りすぎて登山道のような森の中の道を歩いていきます。森を抜けると一気に視界が開け、ここで初めてマチュピチュ遺跡群が姿を見せます。

目の前にある、小高い丘の上に建つ家が見晴らし小屋です。

見張り小屋

見晴らし小屋からは、マチュピチュの全景と遺跡の奥にそびえるワイナピチュという山を眺望できます。さらに周囲の4000〜6000mの高峰が並び立ち、自然豊かな景色をマチュピチュの風と共に楽しめる絶景ポイントです。

段々畑

段々畑

見晴らし小屋の眼下にあるのが、インカ帝国時代、住人の食糧供給源となった段々畑です。

見渡す限りの範囲に存在する段々畑のスケールは圧巻の一言。遠い昔に、この畑で農作業に勤しむ人々の姿を想像できます。畑ではじゃがいもやとうもろこしなどが生産されており、収穫した作物は一年を通して食べられるように乾燥させて貯蔵庫に保存していました。

畑は日々の糧を得るだけでなく、神に捧げる供物も置いていたそうです。また、段々畑は食料の生産以外にも山崩れを防ぐという役割もあります。

3つの窓の神殿と主神殿

3つの窓の神殿

段々畑を降りて行き、市街地入り口からまっすぐワイナピチュ方面へ歩いていくと一段高い場所に到着。ここには3つの石の神殿に囲まれた神聖な広場があります。

北側にあるのが主神殿で、こちらは創造神ビラコチャを祀っています。

マチュピチュのなかでも特に大きな石を使って建築されており、部屋の奥の中央にある4.5mほどの長さの大岩には神への捧げ物が置かれました。主神殿の後ろにある小部屋は音が反響し、エコーの部屋を呼ばれています。

続いて、主神殿の隣り、神聖広場の東側にあるのが3つの窓の神殿です。名前の通り、3つの窓がある神殿で、窓は太陽が昇る東側に位置しています。この窓から初代皇帝カパックが生まれたという伝説があり、マチュピチュの中でも重要な場所です。

窓の反対側には「チャカナ」と呼ばれる三段の石があり、冬至の日に地面に同じ大きさの影ができます。

日時計インティワタナ

日時計インティワタナ

神聖な広場から出てさらに高台を登っていくと日時計インティワタナにたどり着きます。この場所はマチュピチュでも一番高い場所で360度どこでも見渡せる絶景。

日時計は大岩を掘り出したもので、真四角の角柱の角はそれぞれ東西南北に向いています。インティワタナはインカ時代の公用語ケチュア語で「太陽をつなぐ・結ぶ」という意味です。

このことから、この石は太陽暦を使っていたインカ人が、暦を読むための日時計として利用していたと推測されています。

居住区と天体観測の石

天体観測の石

日時計のある高台から降りて中央広場を東へ行くと居住区です。

王や王女、貴族ではない一般の人々が暮らしていたエリアで、家族向けの建物があります。そのためか、石の積み方が比較的雑です。また、学校や職人たちの作業部屋と思われる家もあり、かなり込み入っていた場所です。

一つの岩を削ってつくった階段を登っていくと美しい石造の一軒家。ここには天体観測の石と呼ばれる石臼のような石が2つ並んで設置されており、インカの人々は夜に水を張って月や星の動きを観察していました。

2つある理由は、二元性(1つの事柄を2つに分けること。太陽と月。善と悪など)を重視していたインカの人々の考え方が出た結果です。

マチュピチュ遺跡は全体的にこうしたインカの性格がよく出ており、太陽の神殿に対して月の神殿がある、マチュピチュ(老いた峰)に対してワイナピチュ(若い峰)と対になっているものが多くあります。

コンドルの神殿

コンドルの神殿。右側が頭、左が羽に見える

天体観測の石がある建物から一段下がったところにコンドルの神殿があります。

この神殿は自然の石と切り出した石を組み合わせて造られている建物です。不思議な形状をしており、手前にある石がコンドルのクチバシと頭を連想させ、背後にある石積みはコンドルが羽を広げているような姿に見えます。

何を目的とした建物かは諸説ありますが、コンドルをモチーフにしていることから地上と天の世界を結ぶ神聖な場所で、神に捧げ物をしていたと考えられています。

16の水場

16の水汲み場の1つ

16の水場は太陽の神殿エリアから市街地エリアに点在する水汲み場のことです。

太陽の神殿と陵墓の脇の水路から急斜面を流れ落ちていきます。その途中には水汲み場があり、住人たちは生活に必要な水をそこから得ていました。

第1〜4までは太陽の神殿エリアにあり、第5〜16は市街地にあります。

太陽の神殿と陵墓

太陽の神殿(上)と陵墓(下)

太陽の神殿と陵墓は建物が一体となっており、まるで塔のような形をしていることからトレオン(塔)と呼ばれています。

下の陵墓は自然の洞窟を利用しており、中には飾り棚や3つの段がある石積みがあります。初めはミイラを納めた墓なのではないかと思われており、それが名前の由来となっています。

しかし、ミイラは見つからず、太陽の神殿の真下にあること、作物の絵が描かれた陶器が見つかったことから、大地の神パチャママの神殿ではないかと言われています。

真上の太陽の神殿はマチュピチュで唯一、カーブを描く壁が使われた立派な建物です。2つある窓からはそれぞれ冬至と夏至の太陽の光が差し込み、中の聖なる石を照らします。

王女の宮殿

王女の宮殿

王女の宮殿は太陽の神殿の隣にある、石積みの建物です。マチュピチュの建物の中でも丁寧に石が組み合わされており、技術の高さが見て取れます。

探検家ハイラムによると、この宮殿には太陽の神殿を守るものが住んでいたとされています。

インカ帝国では皇帝は、コヤと呼ばれる正妻と多くの側室をとっていたそうです。記録が残っていないためなんとも言えませんが、他の建物と比べて緻密に作られていることを考えれば、重要な役割にいた人が住んでいたのは間違いないでしょう。

王の別荘

王の別荘

王の別荘は、太陽の神殿の道を挟んで隣の建物です。ここはマチュピチュを建設したパチャクティ皇帝が滞在していた場所と推測されており、一説によればクスコの寒さから逃れるためにこちらの別荘に身を寄せていたのではないかと言われています。

入り口にはでっぱりのある大きな石があり、その先の部屋には石臼のようなものが設置されていることから台所と考えられています。王の部屋は意外と小さく、脇の細い通路は1畳ほどの小部屋へ繋がっています。

小部屋は外の水路と通じていることから水洗トイレ、もしくは祈りを捧げる場だったという説がありますが、はっきりとしたことはわかっていません。

現代のマチュピチュ事情

人気スポットが見られなくなるかも?

いつか行きたい観光スポットとして人気を集めているマチュピチュですが、最近では劣化が進んでいてもう見れなくなるのではと心配する声が上がっています。

その理由として観光客による人的被害があります。

用を足したり遺跡の上に登ったり、挙げ句の果てには落書きや遺跡の破壊などマナーの悪い観光客により、貴重な遺跡群の劣化が目立っているのです。また、はしゃぎすぎて転倒・転落して死者が出たこともあります。

こうしたこともあって年々制限が厳しくなり、入場制限や監視員による退場命令、ガイド同伴必須などが設けられました。さらに遺跡の劣化が激しく、実際に2019年5月15日から約2週間ほどマチュピチュの三大名所である「太陽の神殿」「コンドルの神殿」「インティワタナ」が閉鎖されたこともあります。

マチュピチュはペルーの重要な観光資源なので、完全に閉鎖されることはないでしょう。しかし、見学できる場所が減る可能性は十分あります。マチュピチュ遺跡を隅々まで堪能したい方は、できるだけ早く訪れたほうがいいかもしれません。

日本のマチュピチュ

雲海に浮かぶ日本のマチュピチュ「竹田城」

神秘的で美しい天空都市マチュピチュ。海外まで出かけなければ見られない世界遺産ですが、実は日本国内でもマチュピチュ気分を味わえる場所がいくつかあります。

最も有名なのは「東洋のマチュピチュ」と称されている愛媛県のマイントピア別子東平ゾーンです。

ここは大正5年から昭和5年まで、別子銅山の採鉱本部があった鉱山都市。山肌に沿って築かれた石造の壁や物資を運んだ鉄道跡の階段はマチュピチュをイメージさせます。山中に突然現れ、しかも霧が多いという点がマチュピチュとの共通点です。

次に有名な日本のマチュピチュは、兵庫県にある竹田城です。早朝の霧に包まれた山上の城が、まるで天空に浮かんでいるように見えるため「天空の城」と呼ばれています。映画のロケ地にもなっており、日本のマチュピチュの中では一番の人気を誇ります。

マチュピチュ観光の注意点

遺跡内にトイレがない

マチュピチュ遺跡内にはトイレがない

日本にいると失念しがちですが、マチュピチュの遺跡内にはトイレがありません。

ですが再入場が可能なので、トイレに行きたくなったら入り口まで戻ってすることができます。とはいえ、すぐに行ける距離でしたくなるとは限りません。ゆっくりと余裕を持って楽しむためにも、遺跡に入る前にトイレを済ませておきましょう。

ちなみに、遺跡入り口には赤十字診療所があります。もし体調が悪くなったときは簡単な処置や薬を購入できます。

遺跡内での食べ物の持ち込みや食事は厳禁

遺跡内での食事は禁止。ペットボトルなどは持ち込みOK

マチュピチュの遺跡での食事や食べ物の持ち込みは禁止されています。

食事をしたい場合は、遺跡の入り口にあるホテル「ベルモンド・サンクチュアリ・ロッジ」のビュッフェかイートインスタイルのカフェでとりましょう。

上記の見どころをすべて回った場合の所要時間は約3時間30分となっています。遺跡は再入場可能なので、お腹がすいたら一度出て食事を取るのもいいですね。

日差しが強く、虫が多い

マチュピチュは標高約2500m。温度差が激しく年間の最高気温は20度、最低気温は5度。

マチュピチュは最寄りの都市クスコよりも標高の低い場所にあり、紫外線が強いです。また、見晴らしの良い高地にあるため、日陰もなく遺跡滞在中はほとんど日差しが当たる環境。さらにベストシーズンの5〜10月はブヨや蚊などの小さな虫が発生し、刺されるとかゆくなります。

そのため、暑いかもしれませんが長袖長ズボンでの見学をおすすめします。虫除けスプレーなどもあるといいかもしれませんね。

マチュピチュに関するまとめ

マチュピチュについて解説しましたが、いかがでしたか?

マチュピチュを建造したインカ帝国は、文字を持たない文化だったため資料が残っておらず、建造の目的や都市の役割についてははっきりとしたことがわかっていません。だからこそ、想像する余地もあると言えます。

景色も実態も神秘的なマチュピチュの遺跡を見学しながら、遠い昔の暮らしを想像してみるのも面白いかもしれませんね。

本記事が、マチュピチュ観光を楽しむ手助けになれば幸いです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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