「チェ・ゲバラってどんな人?」
「キューバ革命のカリスマと聞いたけど…」
チェ・ゲバラ(本名:エルネスト・ゲバラ)はアルゼンチン生まれの政治家で、革命家です。キューバのゲリラ指導者であり、評価は別れるものの彼の生きざまは多くの人が注目し、今も語り継がれています。
革命家である彼は、南アメリカの英雄として絶大な人気を誇っていますが、「アウトロー的」な雰囲気と、壁に自ら体当たりしていくような生きざまにどこか憧れを感じてしまうのかもしれません。
ビートルズのジョンレノンが、「世界一かっこいい男」と言ったというチェ・ゲバラ。この記事では彼の功績やエピソードを踏まえて、彼がどの様な人物だったのかを迫っていきます。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
チェ・ゲバラとはどんな人物か
名前 | エルネスト・ゲバラ |
---|---|
通称 | チェ・ゲバラ |
誕生日 | 1928年6月14日 |
没日 | 1967年10月9日 |
生地 | アルゼンチン・ロサリオ |
没地 | ボリビア・バジェグランデ地方 イゲラ |
埋葬場所 | キューバ中部・サンタクララ |
チェ・ゲバラの生涯をハイライト
チェ・ゲバラの生涯を簡単にダイジェストします。
- 1928年:アルゼンチンのロサリオで裕福な家庭に生まれる
- 1932年:喘息が酷いためにコルドバに転居する
- 1948年:ブエノスアイレス大学の医学部に入学する
- 1950年:北部アルゼンチンをモペッドで走破する
- 1951年:オートバイで南アメリカを放浪する
- 1953年:医学部を通常6年かかるところを3年で卒業する
- 1956年:長女誕生、そして25ヶ月に及ぶゲリラ戦に参加
- 1959年:キューバ革命を成立、この年に日本も訪問している
- 1960年:「ゲリラ戦争」を出版
- 1964年:国際連合主席でキューバ代表として演説
- 1965年:「別れの手紙」を残しキューバを去る
- 1967年:ボリビアの革命に参加し、捕らえられ死去。享年39歳。
「チェ・ゲバラ」と呼ばれる由来
ゲバラの本名は「エルネスト・ゲバラ」ですが、現在「チェ・ゲバラ」の呼び名で呼ばれることがほとんどです。元々「チェ」はスペイン語で「やあ」「おい」「お前」「ダチ」といった親しみを込めた呼び方であり、ゲバラは初対面の人に「チェ、エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していたそうです。
それをキューバ人たちが「チェ」と面白がってあだ名をつけたのが由来だそうです。ラテンアメリカでも今でも「チェ」「エル・チェ」というと彼を指します。
カストロとキューバ革命を起こす
ゲバラはメキシコで亡命中の反体制派のキューバ人のリーダー、フイデル・カストロと出会い、「キューバ革命」を起こしました。メキシコでカストロと出会ったゲバラは、カストロに共感し、反バティスタのゲリラ闘争へ参加したのです。
革命の経緯は、1956年に反乱軍82名でプレジャーボート「グランマ号」に乗り込んでいます。7日後にキューバに到着し、反乱軍は上陸直後に政府軍の攻撃を受けて壊滅状態となります。生き残ったのは、82人中ゲバラ・カストロを入れて12名だったそうです。
そして上陸から1年後には、第2軍という大きな部隊のコマンダンテ(司令官)に任命され指揮官と少佐の階級を与えられました。名実とともにカストロに続く反乱軍のナンバー2となったのでした。
1958年に、第2軍300人は政府軍6000人が迎え撃つキューバ第2の都市サンタクララに突入し政府軍を混乱させ奮闘しています。1959年にはフルヘルシオ・バティスタがドミニカ共和国へ亡命し、カストロはハバナに入場し「キューバ革命」は達成されることとなりました。