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ルイ14世はどんな人?生涯・年表まとめ【死因や名言も紹介】


ルイ14世は、近世フランス王朝(ブルボン王朝)の3代目国王です。5歳で国王となり、生涯の72年をかけてブルボン王朝の最盛期を築きました。

英雄ルイ14世の存在なくして今のフランスはなかったといっても過言ではありません。

ルイ14世

しかし、晩年は散財や度重なる戦費によって財政難に陥り衰退の一途をたどりました。煌びやかなフランス王朝の最盛期を生きたものの、晩年は衰えていく国力にもがいたルイ14世。彼の生涯とはいったいどのようなものだったのでしょう?

この記事ではルイ14世の生涯や治世、性格にいたるまで、ヨーロッパ史が大好きで小学生の頃から図書館でヨーロッパ文化本を読んでいた筆者が紹介します。

この記事を機に、謎めく英雄の素顔をのぞきに行きましょう。

ルイ14世とはどんな人物か

名前ルイ=デュードネ(ルイ14世)
異名太陽王、ルイ大王、ナバラ国王
誕生日1638年9月5日
没日1715年9月1日
生地フランス王国
没地フランス王国
配偶者マリー・テレーズ・ドートリッシュ
埋葬場所サン=ドニ大聖堂(フランス王国)

ルイ14世の生涯をハイライト

54歳当時のルイ14世

ルイ14世は、父ルイ13世と母アンヌ・ドートリッシュとの間に生まれました。父の死去とともに、わずか5歳でフランス王位を継承。母アンヌが摂政*(せっしょう)を務め、枢機卿*(きょうきょう)マザランが宰相となって国政を行いました。

一時期はパリを追われる事態となりましたが、マザランが鎮圧したおかげで王政が更に強まり、ルイ14世は太陽王としてフランス絶対王政の最盛期を築きます。

マザランの死後は自ら国政を実施。国内の商業保護や社会福祉支援とともに、侵略戦争を繰り返して海外領土の確保にも取り組みました。

ルイ14世が建設したヴェルサイユ宮殿(現在の姿)

絶対王政の象徴としてヴェルサイユ宮殿も建設し王の権力を見せつけましたが、晩年は戦費や宮廷の散財によって国を財政難に陥れます。そして、壊疽(体の組織が腐敗する壊死の合併症)の悪化によって76歳でこの世を去りました。

*摂政
国王がまだ幼い場合や病弱である場合に国王に代わって政務を行う役職のこと。
*枢機卿
カトリック教会における教皇の最高顧問。教皇を直接補佐する役割を持つ。

謎めいた生い立ち

ルイ14世出生当時の家族(真ん中がルイ14世)

ルイ14世は1638年に父ルイ13世と母アンヌの長男として誕生。初の王太子誕生にフランス国民は大喜びしましたが、ルイ14世の生い立ちには謎がありました。

実は父ルイ13世と母アンヌは長年不仲で23年間も子どもができなかったのです。そこに突然の王太子誕生とくれば「ひょっとしてルイ14世はルイ13世の子どもではないのでは?」という噂が流れるのも無理はありませんでした。

ルイ13世の宰相リシュリューが父親だと言う人もいれば、枢機卿マザランが父親だと噂した者もいます。どちらも噂話に過ぎませんが、ルイ13世は同性愛の傾向が強かったため「父親はルイ13世ではない」という説が根強く残っているのです。

時計のような正確さを持つ気性の持ち主

ルイ14世の毎日は時間に正確だった

「暦と時計さえあれば、遠く離れた場所からでも国王が何をしているか分かる」と言われるほどルイ14世は時間に正確でした。

ルイ14世は日々の生活を起床から就寝まで儀式のように行い、宮廷に仕える臣下たちに見せる公式晩餐も死ぬ直前まで欠かさなかったといいます。こうした規則正しい生活のおかげかルイ14世の身体はとても健康で自ら戦場に赴き戦うこともありました。

ただし、その分周りの人間に自分の価値観を押し付ける傾向があり名声を求める欲求も人一倍でした。臣下が尽力してくれた政務も自らの手柄としたり臣下からの賞賛を何よりも望む人だったのです。

その性格は行動にも如実に表れています。儀式的な生活にも関わらず忠実に従事してくれた臣下には褒美を与える一方で従事をしない者は名前すら覚えませんでした。

華やかすぎる女性遍歴

ルイ14世が本気で恋したマリー・マンチーニ

王妃以外にも愛人を多く持つ国王は大勢いますが、ルイ14世も歴代国王に負けないくらいの「華やかな」女性遍歴を持ち主です。

ルイ14世は20歳ごろから数多くの女性と浮名を流していきました。その中でもルイ14世はマリー・マンチーニという女性を本気で好きになり彼女を王妃にしようとします。

フランス王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ

しかし、フランス・スペイン戦争(三十年戦争にフランスが関与して起きたスペインとの戦争)の終戦条約であるピレネー条約によってスペイン王フェリペ2世の娘マリー・テレーズ・ドートリッシュとの結婚を余儀なくされました。

2人の間には6人の子どもができましたが夫婦仲は決して良好ではなく、ルイ14世は結婚後も数多くの愛妾を侍らせ続けたのです。

ルイ14世は彼女たちのために観劇を催したり宮殿を作らせるなど度重なる散財を繰り返します。派手な女性関係は王妃の死後に教養あるマントノン侯爵夫人と秘密結婚をするまで続きました。

ルイ14世の功績

功績1「フランスの代表的な建築物であるヴェルサイユ宮殿の建立」

造営初期ごろのヴェルサイユ宮殿

ルイ14世は世界的に有名なフランスの「ヴェルサイユ宮殿」を建立したことでも知られています。

ヴェルサイユ宮殿はフランス北部にあるヴェルサイユの地に建てられた美しい宮殿です。ルイ14世の父ルイ13世が建設した狩猟小屋を改築し、約20年の歳月をかけて作られました。工事は3回に分けられ、数万人もの人々が宮殿の建設に携わったといいます。

ヴェルサイユ宮殿の建立には2つの目的があり、1つはルイ14世自身が自分の理想的な宮殿を建立したかったからだといわれています。彼は事あるごとに建設現場へ訪れて進捗を確認し、その度に自分の理想と違う箇所があれば指摘して思う通りになるまでやり直させました。

ヴェルサイユ宮殿の鏡の間で謁見を受けるルイ14世

もう1つの目的は専制的な統治(支配者が独裁的に人々や政治を治めること)をするためです。ルイ14世は臣下や貴族を宮殿に住まわせ様々な宴会を催しましたが、それは同時に自分の思い通りに彼らを動かすことにつながりました。

ヴェルサイユ宮殿に住む臣下や貴族たちはルイ14世が定めた厳しい礼儀作法に従って生活し、国王の恩恵にあずかろうとお互いに競い合うようになります。その結果、貴族たちは本来自分たちが治めるべき領地から遠ざかりました。こうして、ルイ14世は臣下や貴族たちの力を集結させて独裁的な国政を始めたのです。

功績2「他国を侵略し海外領土を広げる」

帰属戦争の戦場視察をするルイ14世

ルイ14世は23歳という若さで宰相を置かずに自ら国政を動かすことを決め、フランスの領土拡大を狙った外交政策を積極的に行います。

彼は最初にスペイン領である南ネーデルラント*を侵略すべく、行動を起こしました。ピレネー条約(フランス・スペイン戦争の終戦条約)にあった王妃マリー・テレーズの結婚持参金が支払われていないことを理由に南ネーデルラントの一部割譲を求めて1667年に戦争を始めたのです。

これは後に「帰属戦争」と呼ばれるようになります。帰属戦争にはルイ14世率いるブルボン家と敵対するハプスブルク家も関係していました。スペインの財産がハプスブルク家に渡ることを恐れたことも戦争が起こった理由の一つです。

フランス王族と対立したハプスブルク家の紋章

ルイ14世は自ら戦前に立って戦い、領土分割を密約させましたが、イギリス・オランダ・スウェーデンの3カ国がフランスを牽制したため領土を数カ所併合しただけにとどまりました。そして、その後スペインを支援した報復という形で1672年オランダ侵略戦争を開始したのです。

戦争は陸地と海での戦いとなり、最終的にはフランスが優勢となりオランダの独立を認める代わりに南ネーデルラントを獲得することとなります。その後もルイ14世は侵略戦争を続け、ドイツの継承問題をめぐるファルツ戦争やスペイン王家の継承問題をめぐってスペイン継承戦争にも介入しました。

*南ネーデルラント
17世紀当時はスペイン領であり、現在はほぼベルギーの領地
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