ルイ14世の名言
朕が望んだゆえ、それは合法なのだ。
ルイ14世は23歳で自ら国政に関わり、国家権力の全てを手にしていました。この言葉は当時のフランス社会では当たり前のことであり、ルイ14世が法律においても絶対的な存在感を持っていたことを表しています。
自分自身に打ち勝つことが出来る人に抗うことが出来る人は殆どいない。
自分の中の弱さや恐怖に打ち勝つ者に勝てる者はいないという意味が伺える言葉です。ルイ14世はわずか5歳で王位を継ぎ、母や宰相に囲まれながら政治に取り組み子どもらしい子ども時代を送ることができませんでした。厳しい幼少期を乗り越えた彼だからこそ言える言葉ですね。
良きスペイン人であれ。されどフランス人であることを忘れるな。
これはルイ14世の孫フェリペ5世がスペイン王位を継承するためにスペインへ旅立つ時に言った言葉です。18歳で異国の王位を継ぐことになった孫に対して「祖国を忘れるな」という愛国心がこもった言葉ですね。しかし、このフェリペ5世がスペイン王位を継承することをきっかけとしてスペイン継承戦争が始まりフランスは戦乱の道を歩むことになります。
ルイ14世の人物相関図
ルイ14世にまつわる逸話
逸話1「ルイ14世の臣下は優秀な強者ぞろい」
階級に関わらず実力主義者で臣下を選んだおかげで、ルイ14世の臣下は多方面において優秀な者が揃いました。中でも、財務総監に任命されたジャン・バティスト・コルベールは赤字続きだったフランス経済を大きく立て直したことで有名な人物です。
彼は税金を効率的に徴収できるよう税制を改革し「重商主義(貿易を通じて貨幣を貯蓄すること)」に合わせた政策を講じてフランスの経済状況を一気に向上させました。
輸入を厳しく制限することでフランス国内の金銀保有量を増加させ、国家財政を富ましていったのです。例えば、高価な品物に対する輸入関税を高くし外国人労働者の介入を禁止するなど保守的な政策を徹底的に行いました。
また、海外にもフランス市場を広げようと「フランス東インド会社」など海外植民地の運営にも積極的に取り組み、フランスは数多くの植民都市を得ます。
その他にもコルベールは道路・運河開発や王立工場の設立など、フランス国内での商業発展にも尽力。20年にわたってルイ14世とフランスの財政を支えた彼の政策は「コルベルティスム」と呼ばれるようになりました。
優秀な臣下はコルベールだけでなく、ルイ14世の侵略戦争を支えた陸軍担当国務卿であるルーヴォワ卿や数多くの外交条約を結んだ外務担当国務卿ユーグ・ド・リオンヌがいます。ルイ14世がフランス王国の最盛期を築いた影にはこうした優秀な臣下が存在したのです。
逸話2「「朕は国家なり」はルイ14世の言葉じゃない?」
朕は国家なり
ルイ14世が発したとされ世界中に知られているの言葉ですが、厳密にはルイ14世が発した証拠はありません。現在は創作ではないかという説が有力です。
ちなみに、朕とはルイ14世自身を指しており「国王である自分こそが国家だ」と言い表すこの言葉は当時フランスの絶対王政を象徴するものであるとされています。
では、なぜ「朕は国家なり」がルイ14世の言葉だとされているのでしょう?発端はフランスの文学者ヴォルテールの著書「ルイ14世の時代」に書かれたとある逸話にありました。
ルイ14世は自ら国政に携わる前に、当時フランスの裁判所ともいえる「高等法院」が王の権力に服することを求めました。反対した高等法院の人々に対してルイ14世は「朕は国家なり」と言ったといわれています。
これはヴォルテールの著書のみに登場し実際にルイ14世が「朕は国家なり」という言葉を使ったかは定かではありません。しかし、ヴォルテールの著書の言葉があまりにも的を射ていたことも事実です。
ルイ14世はその長い治世のなかで、国王の権力は神から授かったものであるとする「王権神授説」を掲げて国家権力の全てを国王が握る「絶対王政」を確固たるものにしました。
つまり、「朕は国家なり」という台詞通りに国を自分のものとして動かしていたのです。「朕は国家なり」と言ったのはルイ14世ではありませんが、この言葉通りの治世を送ったことは間違いありません。
逸話3「趣味はバレエ?」
「太陽王」と呼ばれたルイ14世。そんな彼の最大の趣味はバレエでした。イタリアから伝わったバレエはフランス宮廷で人気となり、ルイ14世は5歳ですでにバレエの演劇に出演しています。
バレエの虜となったルイ14世は王立舞踏アカデミーを創立し、歌劇と混同してされていたバレエを現在の姿に確立させました。1698年にはバレエダンサーへの年金制度を導入し、現在ではフランス最古の年金制度として機能しています。
バレエへの支援を惜しまなかったルイ14世ですが、彼自身も15歳でバレエダンサーとして舞台デビューし1670年に引退するまでバレエを踊り続けたのです。
また、ルイ14世の「太陽王」という名前はバレエの舞台で太陽神アポロに扮した役からきています。バレエで重要な美しい脚線のために高いヒールを普段から着用し、後にはバレエシューズが履けるほどの小さな足が貴族の証とされるまでになりました。