スターリン批判をした一人
ゴルバチョフは書記長在任中の1987年11月、ロシア革命70周年の記念式典においてスターリンやレーニンを批判しました。もともと、スターリン批判といえば1956年にフルシチョフが行ったものが有名です。
フルシチョフは、1956年のソ連共産党第20回大会でスターリン時代を批判する秘密報告をおこないます。同時に、フルシチョフはスターリンによって弾圧・処刑された人々の名誉回復も行いました。ゴルバチョフも指導者の一人としてスターリンを批判したのです。その背景には祖父がスターリンの大粛清に巻き込まれ投獄されたことがあるのかもしれません。
異例のスピードで出世
ゴルバチョフは54歳にしてソ連共産党書記長に就任しました。ソ連の歴代指導者の中でも54歳での就任は異例のスピード、前任のチェルネンコやその前のアンドロポフが70代で書記長になっているのと比較すれば一目瞭然でしょう。
ゴルバチョフが党中央の要職に就くのは1979年の政治局員候補となってからですが、この時、一日12時間から16時間も執務していたといいます。こうした働きが認められ、1980年に史上最年少の政治局員となりました。
それからわずか4年で最高指導者である書記長に登りつめます。年功序列がまかり通っていたソ連において、驚くべきスピード出世といえるでしょう。
クーデタで失脚
1991年8月19日から22日にかけておきたクーデタ(ソ連8月クーデタ)でゴルバチョフは失脚します。このクーデタはヤナーエフ副大統領やKGB長官のクリュチコフといったソ連共産党保守派によって起こされたものでした。
保守派はゴルバチョフが進める改革が、共産党の一党独裁の否定やソ連解体につながるのではないかと考え、それを阻止するには武力でゴルバチョフを排除するしかないと考えます。そして、ゴルバチョフが独立を宣言したバルト三国に妥協する憲法案を作ろうとしたことが引き金となり、保守派がクーデタに打って出ました。
保守派はクリミア半島にいたゴルバチョフを拘束し、国家非常事態宣言を出します。しかし、ロシア共和国大統領のエリツィンがこれに反対。市民とともに反クーデタで立ち上がり、ソ連軍の大半もクーデタを支持しました。そのため、保守派は政権奪取に失敗します。しかし、ゴルバチョフも権威が完全に失墜。エリツィンに政権を譲りソ連は解体されました。
ゴルバチョフと日本の関り
ゴルバチョフは日本と深いかかわりを持つ人物です。ソ連の指導者だったころ、来日したゴルバチョフは鯉のぼりをみて非常に驚いたといわれます。
また、政界引退後、ゴルバチョフは頻繁に来日していました。日本のマスコミや各種団体がゴルバチョフを招待したからです。来日中、ゴルバチョフは各地の大学での講演やテレビ出演などを行いました。テレビの番組内で彼は何度来日したかわからないと語っており、それだけ来日が頻繁だったことがわかりますね。
現在のゴルバチョフは?
2020年2月現在、ゴルバチョフ氏は存命です。クーデタで失脚し、ロシア政治から引退した彼はゴルバチョフ財団を設立し、ロシア国内や世界に向けて様々な提言を行っています。
たとえば、2019年にアメリカや西欧諸国とロシアの対立が深刻化した時、ゴルバチョフはBBCの取材に応じて、
「核兵器が今も世界を脅かしていると指摘し、全ての国家が核廃絶を宣言すべき」とコメントしました。
世界は「非常に大きな危機に」 ゴルバチョフ元ソ連大統領インタビュー
また、新たにアメリカ大統領となったバイデンに対してロシアと一層の核軍縮交渉をするべきだと呼びかけました。高齢でありながら、ゴルバチョフは世界の政治積極的に関与し続けています。