戊辰戦争とは?原因や流れ、主要人物をわかりやすく解説【年表付き】

戊辰戦争の戦後処理と会津の悲劇

旧幕府軍への重い処分と新政府軍への賞典

1868年12月、東北地方の戦いで勝利した新政府は敵対した諸藩の処分を発表します。主だった藩の処分とを表にまとめました。このほかにもそれぞれ封土の没収や削減、戦犯者の処刑などが実施されました。

処分内容主な藩名
死一等減
・永禁固
会津藩、桑名藩、備中松山藩
封土没収
・謹慎
仙台藩、盛岡藩、二本松藩、
庄内藩、長岡藩、棚倉藩
封土削減
・隠居
米沢藩、関宿藩、一関藩

1869年6月には、新政府軍に貢献した藩や個人への賞典禄を支給しています。その主な支給先と賞典内容を表にまとめました。

賞典内容主な支給先
10万石島津久光・忠義(薩摩藩主)
毛利敬親・元徳(長州藩主)
4万石山内豊信・豊範(土佐藩主)
3万石池田慶徳(鳥取藩主)
戸田氏共(大垣藩主)
大村純熙(大村藩主)
島津忠寛(佐土原藩主)
真田幸民(松代藩主)
2万5千石毛利元徳(山口藩主)
2万3千石藤堂高猷(津藩主主)
2万石鍋島直大(佐賀藩主)
池田章政(岡山藩主)
井伊直憲(彦根藩主)
毛利元敏(長府藩主)
佐竹義堯(久保田藩主)
松前修広(松前藩主)
5000石三条実美(公卿)
岩倉具視(公卿)
2000石西郷隆盛(薩摩藩士)
1800石大久保利通(薩摩藩士)
木戸孝允(長州藩士)

会津藩の悲劇と戊辰戦争の傷跡

徳川宗家に代わり標的となる

京都守護職の本陣が置かれた金戒光明寺

会津藩の悲劇は、藩主・松平容保が京都守護職に就いた時にはじまります。当初、松平容保は京都守護職を固辞しますが、再三の要請に断りきれず拝命したのでした。公武合体と京の治安維持につとめ孝明天皇の信任も厚かった松平容保。しかし大政奉還後は、新政府軍の憎悪感情を一身に受ける身となります。

戊辰戦争では旧幕府軍は賊軍・朝敵とされ、多くの藩は新政府軍に味方します。旧幕府軍はつねに戦力差に悩まされ、このため会津藩では非戦闘員である少年や女性までもが戦闘に加わりました。白虎隊や婦女隊の悲劇はこうして生まれることになります。敗戦後は会津23万石は没収され、斗南藩3万石(実質は7千石)に移されました。

今も残る萩市・会津若松市の不仲説

「戊辰150年」のポスター

今も強く残るとされているのが、萩市(山口県)と会津若松市(福島県)の不仲説です。1986年に萩市側から友好都市提携の申し入れがなされた際には、反対が根強いことを理由に会津若松市側が拒否。明治以降も朝敵とされた東北とりわけ会津では、その傷跡は現代にも残されています。

一方、その後の両市では民間交流が盛んになり、2011年に東日本大震災が発生した折には、萩市から会津若松市に対し2,250万円の義援金と支援物資が寄せられました。2019年11月23日には会津若松市の市政120周年式典に藤道健二・萩市長が招待されています。

戊辰戦争の年表

1867(慶應3)年:王政復古の号令下る

王政復古の部隊となった小御所
  • 1月9日、明治天皇、即位
  • 10月3日、土佐藩前藩主の山内容堂が徳川慶喜に対し大政奉還の建白を行う
  • 10月13日、朝廷から薩摩藩・長州藩に倒幕の密勅を下す。徳川慶喜、大政奉還を奏上する。
  • 11月、近江屋事件(坂本龍馬、中岡慎太郎暗殺)おこる
  • 12月9日、王政復古の大号令

1868(慶應4/明治元)年:戊辰戦争がはじまり各地に飛び火

各地での戦い
  • 1月2日:旧幕府軍、討薩表を掲げ京をめざして大坂城を進発
  • 1月3日:鳥羽・伏見の戦いおこる
  • 1月4日:朝廷が仁和寺宮嘉彰親王に錦旗・節刀を授ける
  • 1月6日:徳川慶喜・松平容保ら幕府首脳部が大坂城を脱出
  • 2月12日:徳川慶喜、上野寛永寺で謹慎し恭順を示す
  • 2月23日:彰義隊が結成される(上野戦争)
  • 3月6日:甲陽鎮撫隊、新政府軍と交戦し敗退(甲州勝沼の戦い)
  • 3月13日:西郷隆盛と勝海舟による交渉
  • 3月14日:朝廷が五箇条の御誓文を公布
  • 4月11日:江戸城無血開城、大鳥圭介率いる旧幕府軍が江戸を脱出
  • 4月19日:旧幕府軍が宇都宮城を占拠(宇都宮戦争)
  • 4月21日:新政府軍が宇都宮城を奪還
  • 4月20日:会津藩が白河城を占拠(会津戦争)
  • 4月25日:新選組局長・近藤勇、板橋にて処刑
  • 5月1日:新政府軍が白河城を奪還
  • 5月2日:小千谷談判決裂、長岡藩は開戦を決意(北越戦争)
  • 5月3日:奥羽列藩同盟成立
  • 5月10日:朝日山の戦い
  • 5月15日:新政府軍が上野寛永寺の彰義隊を殲滅
  • 5月19日:長岡城の戦い
  • 6月16日:輪王寺宮公現入道親王が奥羽越列藩同盟の盟主となる
  • 7月17日:朝廷が江戸を東京と改称する
  • 8月19日:榎本武揚率いる旧幕府艦隊が品川沖を脱出
  • 8月21日:母成峠の戦い
  • 8月22日:戸ノ口の戦い
  • 8月23日:会津若松城総攻撃
  • 9月8日:朝廷が元号を明治に改元する
  • 9月22日:会津若松城開城
  • 10月26日:榎本軍が五稜郭を占領(函館戦争)
  • 12月15日:蝦夷共和国の発足

1869(明治2)年:蝦夷共和国の降伏、戊辰戦争の終結

五稜郭本陣
  • 3月25日、宮古湾海戦。旧幕府軍、甲鉄奪取に失敗。
  • 4月17日、松前口の戦い
  • 4月23日、木古内口の戦い
  • 4月24日、二股口の戦い
  • 4月29日、矢不来の戦い
  • 5月11日、新政府軍、函館を総攻撃
  • 5月18日、蝦夷共和国、新政府軍に降伏し五稜郭を開城。戊辰戦争が終結。
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