ウィンストン・チャーチル首相とはどんな人?名言や名演説も紹介

3.親ユダヤ主義だったらしい

“死の工場”といわれたアウシュヴィッツ強制収容所では多くのユダヤ人が虐殺された

チャーチルは親ユダヤ主義であり、イスラエルの地に故郷をというユダヤ人の運動に賛成している人物でした。そのため第二次世界大戦時に、ナチスドイツにユダヤ人が迫害されている時は同情し、「この殺戮は恐らく世界史上最大かつ最悪の犯罪行為である」と怒りを表明し、ユダヤ人絶滅収容所“アウシュヴィッツ強制収容所”のガス室を空爆してユダヤ人を救うべきだと訴え続けています。

しかし連合国側でそのような主張をしているのはチャーチルのみであり、アメリカに「軍事施設以外の空爆など費用と時間の無駄」と反対されて退けられています。その後ドイツの敗戦が強まった頃、各地の強制収容所が解放されたときに、余りの酷さに世界中が愕然としました。そのことを考えると、チャーチルの発言は非常に人道的であったと感じられます。

チャーチルの功績

功績1「イギリスを戦勝国に導いたこと」

絶体絶命の時でも常に前向きだったというチャーチル

やはりチャーチルの最大の功績は、“絶体絶命の状況でナチスドイツと徹底抗戦することを決めた”ことではないでしょうか。1940年はドイツが快進撃を見せ、フランスは降伏、ソ連は“独ソ不可侵条約”のため参戦せず、アメリカも“モンロー主義”のためにあくまで中立の立場を示していました。

誰も味方してくれる国もなく早期に講和を結ぼうという意見も出る中で、チャーチルは「我々は決して降伏しない」と演説し徹底抗戦を決めました。そしてドイツがソ連と、日本がアメリカと戦争を始めるという幸運も重なり米ソが味方となったイギリスは第二次世界大戦で戦勝国となることができたのです。

ヒトラーは早期の講和を想定していたために抗戦の姿勢は予定外だったという

イギリス国民は“あの時講和しなくてよかった”“この決断で世界に平和が訪れた”と今も誇りにし、現在も“100名の最も偉大な偉人”で1位を取る程の人気を誇っているのです。

功績2「ノーベル文学賞を受賞したこと」

文筆で生計を立てるチャーチルの風刺画

チャーチルは生涯において自分の体験談を出版し、1953年に第二次世界大戦回顧録が“ノーベル文学賞”を受賞しています。受賞理由は、“歴史や伝記の記述の熟達に加え、高揚した人間の価値についての雄弁な庇護者である”というところが評価されたといいます。

チャーチルは軍人時代から生涯にかけて、文筆を手がけています。長く書き続けた伝記が評価されたのですが、本人は“ノーベル平和賞ではないのか”と不満そうだったそうです。

功績3「戦後は日本親善を推進したこと」

イギリスに訪問した昭和天皇・香淳皇后・明仁親王(現:明仁上皇)

チャーチルは第二次世界大戦後、反日感情の強かったイギリスで日本親善に尽力しました。当時は日本軍の捕虜になった体験記がベストセラーとなったり、反日感情が強く在留邦人も嫌がらせを受けるような状態だったといいます。

そんな中1953年にエリザベス女王の戴冠式に明仁親王を招待し、反日論を抑え込むように努力しています。午餐会でチャーチルは、日本とイギリスの立憲君主制という共通点を強調し、イギリス国内に向けて親善をアピールしたといいます。

チャーチルの名言

聴衆の前で演説を行うチャーチル

「あらゆる困難を克服して勝利を得るのだ。勝利なくして、我々の生存はあり得ないからだ」

首相に就任したときの演説で語った言葉です。当時第二次世界大戦が勃発し、イギリスも難しい立場に立たされていました。そんな中に情緒に訴える力強い言葉で国民を励ましたのです。

追い詰めながらも戦い続けると皆を鼓舞した

「我々は水際で戦う。我々は着陸地面で戦う。我々は野原や街頭で戦う。我々は丘で戦う。我々は決して降伏しない」

ナチスドイツと徹底抗戦を訴えた時の演説です。どんな状況でも戦い抜くことを誓い、どんな状況でも諦めずに立ち向かうようにと国民を勇気づけました。

軍を視察するチャーチル。危険な中でも足を赴き励まし続けたという

「公明正大な行為、同胞に対する愛情、正義と自由を重んじる心によって、我々が今強いられている忌まわしい時代から、苦しみぬいた世代が、穏やかにかつ意気揚々と歩みだすことが出来れば世は明けるだろう。それまでは、ひるむなかれ、飽きるなかれ、絶望するなかれ」

戦争が終わるまで国民を励まし続けたチャーチルの言葉です。戦争ももちろんそうですが、時代時代で困難は常に私たちを襲ってきますが、皆で一丸となって困難を乗り越えていかないといけない、改めてそう感じさせてもらえる言葉です。

1 2 3 4 5

コメントを残す