「古事記って何?どんな内容なの?」
「だれがいつ書いたもの?」
このような疑問を持たれている方もいるのではないでしょうか?古事記は、奈良時代の712年に完成した現存する日本最古の歴史書です。天地の始まりから神々が生まれて日本の国土を作り、それを治める歴代天皇の事績や伝説が書かれています。
とくに全体の3分の1を占める神話部分では、日本の神様が国を造り、文化を創造していく様子など日本国の精神と文化のルーツともいえる物語が展開されています。古代日本のことを知る上で欠かせない書といえるでしょう。
ここでは古事記は誰がいつどういった目的で作ったのか?その特徴や魅力、その書かれている内容などをご紹介します。
神話や歴史といえばとっつきにくく感じるかもしれません。しかし古事記は物語風に描かれ、現代語訳であれば読み物としても十分親しみやすく楽しめます。この記事が古事記を読むきっかけになれば幸いです。
この記事を書いた人
古事記とは
書名 | 古事記 |
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巻数 | 3巻 |
成立年 | 712年 |
編纂者 | 稗田阿礼と太安万侶 |
収録期間 | 天地初発~推古天皇 |
表記 | 変体漢文 |
冒頭でもご紹介した通り、古事記は現存する日本最古の歴史書です。第40代天武天皇が編纂を命じて奈良時代の第43代元明天皇の時代に完成しました。
古事記には、日本の国土の成り立ちから建国、天皇の国土支配へと続く壮大な神話、そして第33代推古天皇までの代々の天皇の系譜と伝説が記されています。それらが物語風にまとめられ、文学的価値も高い作品です。
以下で古事記がどういったものなのか詳しく見ていきましょう。
日本神話『古事記』の内容を簡単に解説
古事記は上・中・下の3巻に分かれています。ここではざっとあらすじを解説します。
上巻(神話)
天地が分かれた時から神武天皇が誕生するまでの神話です。はるか昔、天と地に分かれ、天の神々が誕生しその最後に生まれたイザナキ・イザナミという男女の神が日本列島を生み出します。続いてこの神々は海や川、火といった様々な神を生み、イザナキからは最後にアマテラス、ツクヨミ、スサノオが生まれました。
スサノオの子孫オオクニヌシは地上で国を造りますが、天の神アマテラスが地上の国は自分の子孫が治めるべきだと宣言。力負けしたオオクニヌシが国を譲ることを承諾し、地上にアマテラスの孫のニニギが降臨します。
中巻(伝説的)
ニニギの子孫であるイワレビコが初代・神武天皇となり、以降第15代応神天皇までの物語です。神武天皇が即位するまでの経緯や、ヤマトタケルの遠征物語などが描かれています。神話から歴史へと移る過渡期を描いています。
下巻(歴史的)
第16代・仁徳天皇から第33代・推古天皇までの物語。歴代天皇の実績など、歴史的な記録が多く記されています。雄略天皇、継体天皇などヤマト朝廷の混乱期の様子も垣間見えます。
古事記の性質や目的・作られた経緯とは
古事記を編纂した目的は、天皇が国を支配する正統性を明らかにするためだったとされています。そのため古事記は天皇を神聖化し、その皇統を伝える役目を果たしています。
この編纂を命じたのは天皇を中心とした集権国家作りを進めていた天武天皇です。当時、歴史を伝える『帝紀』(天皇の系譜)と『旧辞』(豪族の伝承)は、各豪族によって都合がよいように書き換えられ、その伝承がバラバラになっていました。
天武天皇は天皇のもとで国をまとめるためには歴史は一つであるべきと考え、正しい歴史書を作るべく古事記と日本書紀の制作を命じたのです。
しかし天武天皇は古事記が完成しないうちに崩御します。そのため事業は一時中断しましたが、奈良時代の元明天皇の命で太安万侶(おおのやすまろ)が本にまとめ、和銅5年(712年)に天皇に献上しました。
なお、読み方は当初から「コジキ」と呼ばれていたのかどうかは不明です。
古事記の作者は誰なのか
古事記には特定の作者はいません。古い伝承として伝えられてきた物語を本にまとめたのが古事記なのです。
その編集に関わったのが稗田阿礼(ひえだのあれ)と太安万侶という人物です。古事記序文によれば、天武天皇が稗田阿礼に誦み習わせた『帝紀』と『旧辞』を、元明天皇の命を受けた太安万侶が編集して本にまとめ和銅5年(712年)に献上したとあります。
稗田阿礼は一度聞いたことは忘れないという優れた暗記能力の持ち主。そして太安万侶は文才に秀でており、4か月で古事記を完成させています。古事記はふたりの傑出した才能によって生み出されたものでした。