就任演説で強い印象を残した
このスピーチは2009年、大統領1期目の就任時に行われた演説です。オバマ大統領と言えば「Yes,We Can」のフレーズで有名ですが、この演説では、そういったキーワードは使用しませんでした。
代わりに、アメリカ国民の団結と現状の危機、未来への希望、先人たちの偉業を讃える言葉などを述べ、聴衆に強い印象を残しました。以下は就任演説の日本語訳の一部です。全文を読みたい方、英文も知りたい方は下記からご覧ください。
政府はできること、やらなければならないことをしますが、この国が頼りとするものは、詰まるところ、国民の信念と決意です。最も難しい局面を乗り切ることができるのは、堤防が決壊したときに見知らぬ人を助ける親切心や、友人が職を失うのを見るよりは自分の労働時間を削る無私の心があるからです。最終的に私たちの運命を決めるのは、煙に覆われた階段を駆け上る消防士の勇気であるとともに、子供を喜んで育てようとする親の意志です。
私たちの課題は新しいものかもしれません。それに立ち向かう手段も新しいかもしれません。しかし、私たちの成功の可否を左右する、正直さと勤勉、勇気と公正、寛容と好奇心、忠誠心と愛国心といった価値観は、古くからあるもので、真実です。これらは米国の歴史を通じて、前進するための静かな原動力となってきました。必要とされているのは、こうした真実に立ち返ることです。今私たちに求められているのは、新たな責任の時代です。米国人一人ひとりが、自分自身、国、そして世界に対して義務を負っていると認識することです。そして、全力を尽くして困難な仕事に取り組むことほど心を満たし、米国人らしさを示すものはないと確信して、この義務をいやいやではなく、喜んで引き受けることです。
これが市民であることの代償であり、約束です。
これが私たちの自信の源です。神が、定かではない運命に方向性を与えるように、私たちに求めているのです。
これが私たちの自由と信条の意味なのです。これが、あらゆる人種や信仰の男女や子供たちが、この巨大なモール(広場)に集まって祝うことができる理由、そして、60年足らず前に地元のレストランで食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が、今、極めて神聖な宣誓を行うために皆さんの前に立つことができる理由です。
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バラクオバマの家族構成とは
オバマの妻「ミシェル・オバマ」
オバマ大統領の妻ミシェルはイリイノ州シカゴの出身の、アメリカの法律家です。
オバマ大統領がシドリー・オースティン法律事務所に勤務しているときに出会い、1992年に結婚しました。そしてオバマが大統領になるとアメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人のファーストレディとして有名になり、世界で最も人々を元気付ける女性25人の1人に選ばれました。
オバマの2人の娘「マリア」「サーシャ」
オバマ大統領には「マリア」と「サーシャ」という2人の娘がいます。2人はホワイトハウスに住む最年少の子供で、2014年には最も影響力のある25人の若者として選ばれました。
家族仲は良好で、2人が大学へ進学し実家を離れることになったさいには、涙を流して見送ったそうです。
バラクオバマの功績
功績1「アメリカ史上初の黒人大統領」
オバマ大統領の最も有名な功績といえば、やはりアメリカの歴史で初めての黒人大統領ではないでしょうか。
昔ほどひどくはありませんが、アメリカは黒人差別のある国です。そんなアメリカで、肌の黒いオバマが大統領に就任したことは、少数派の人々にとって大きな希望でした。そのため、特に貧困層や黒人、移民からの期待が集まりました。
オバマ大統領は彼らに希望を与えた、という点で最高の大統領と言われています。
功績2「世界経済を救った」
あまり公になっていませんが、オバマ大統領は財政支出を行なってアメリカ経済を救い、そして世界経済を破局から守りました。
オバマが就任した2009年は、リーマンショックの不況真っ只中で「100年に1度の大不況」と言われるほどの危機でした。しかし、1929年に起こった世界恐慌の失敗から教訓を得ていたオバマ大統領は、財政支出を行なって経済に介入。金融機関や企業を倒産から救いました。
国家の借金は4.5倍に膨れ上がりましたが、結果的にアメリカの国内総生産成長率(GDP。国の経済を表す指標)はマイナス2.78%から回復し、毎年1.5〜2.5%ずつ成長しています。
アメリカの経済状態は世界に影響を及ぼします。オバマ大統領は、アメリカの経済危機を救って経済を軌道に乗せることで、世界の経済を救ったと言えるでしょう。
功績3「国民保険制度改革『オバマ・ケア』 」
先述しましたが、オバマ大統領が特に力を入れたのが国民保険制度改革、通称「オバマ・ケア」です。
実はこの国民保険制度は1901年のセオドア・ルーズベルト大統領のころから取り組まれていた案件だったのですが、リーマン・ショックによる不景気や財政の負担、個人の自由の損害などの理由で長年、法案の可決に至りませんでした。
これを可決まで持ってきたのがオバマ大統領です。とはいえ、かなり強引だったため可決後にはアメリカ26州から保険制度は違憲だと訴訟がおきました。さらには、後任のトランプ大統領が選挙公約の1つに医療保険制度の廃止を掲げ、支持を得ます。
オバマ大統領の「弱者救済」の政策は、残念ながら自由主義のアメリカとは相性が悪かったようです。