バラクオバマとはどんな人?生涯・年表まとめ【スピーチや功績、名言も紹介】

バラクオバマの年表

1961〜1991年 「誕生〜大学卒業」

オバマが通っていた学校「プナホウ・スクール」の旧校舎

1961年 – 0歳「ハワイ州ホノルルで誕生」

1961年8月4日にオバマはハワイ州ホノルルで生を受けました。母親はアメリカ・カンザス州の白人で父親はケニア出身の黒人で、オバマはいわゆる混血でした。このことについて、オバマはちょっとした抵抗があった、と自伝で告白しています。

家庭環境は円満とは言い難く、1963年に両親が別居。その翌年には離婚し、母親に引き取られ、1967年までインドネシアで暮らしていました。1971年になるとオバマは母方の祖父母と暮らすためにハワイへ期間しました。

その後地元で有名な小中高一貫の学校へ入学し、1979年に卒業するまでハワイの母方の家でオバマは生活しました。

1979年 – 18歳「オクシデンタル大学に入学」

オクシデンタル大学は映画のロケ地として利用されることもある

高校を卒業したオバマは、カリフォルニア州ロサンゼルスにある、西海岸で最も古い学校の一つオクシデンタル大学へ入学。2年後には、ニューヨーク州のコロンビア大学へ編入学し、政治学、特に国際関係について学びました。

大学卒業後はニューヨークで出版社やNPOビジネスインターナショナル社に1年勤めます。ニューヨークで4年を過ごしたオバマは、イリノイ州シカゴに引っ越し、1988年5月まで教会が主導する地域復興事業の管理者を勤めました。

1988年の秋にはハーバード大学の法科大学院へ入学し、1991年に法務博士の学位を取得します。

1992〜2008年「弁護士〜上院議員、大統領へ」

ハーバード法科大学院で、黒人として初めてハーバード・ロー・レビューの編集長に選ばれた

1992年 – 31歳「シカゴの弁護士事務所に就職」

オバマはハーバード大学の法科大学院を卒業すると、シカゴに戻りました。そしてそこで弁護士として法律事務所に勤務し、妻・ミシェルと出会います。

また、弁護士として働くかたわら、シカゴ大学大学院の講師として、合衆国憲法を教えていました。

2004年 – 43歳「アメリカ合衆国上院議員に当選」

オバマは、貧困層を助けるための草の根社会活動に力を入れており、人権派弁護士として名が知られるようになりました。そして1996年にはイリノイ州の州議会上院議員の補欠選挙に当選。

2003年にはアメリカ合衆国上院議員選挙に民主党から出馬し、見事選挙を勝ち抜いて上院議員に選ばれました。

2008年 – 47歳「大統領選挙」

立候補宣言をするオバマ

オバマをアメリカ合衆国大統領選挙の候補に推す声は、2004年からイリノイ州を中心に徐々に高まっていきました。そして2008年、オバマは大統領選挙へ出馬します。

当初は知名度と資金力のあるヒラリー・クリントンが優勢と予想されました。しかし、アイオワ州の地元紙ではオバマが最も多くの支持率を獲得。特に、保守傾向にある他の立候補者の支持者や20代の若者から支持されました。

また、演説で医療保険制度や年金制度の改革、労働者の保護を訴えるなどして多くの共感を得て予備選挙を勝ち抜きます。一般投票に向けて、民主党党大会最終日に行われた演説では、イラク戦争の終結を約束。

さらに、1963年のちょうどその日に行われた、アメリカの人種差別撤廃の未来について語られたキング牧師の演説「I Have a Dream」を踏まえて、「我々の夢は1つにすることができる」と述べました。

一般投票でも見事票を得たオバマは2009年1月20日、黒人初の大統領に就任しました。

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2009〜2012年「大統領就任 1期目」

大統領就任宣誓を行うオバマ

オバマ大統領がこの時期に積極的に取り組んだのが「弱者救済」です。この時期のオバマ政権はイラク戦争やリーマンショック、これらによる国内経済の混乱をどう解決するかが課題でした。

2009年 – 48歳「ノーベル平和賞受賞」

前述したように、オバマ大統領は平和的な外交姿勢と核廃絶への取り組みが評価されてノーベル平和賞を受賞します。就任して1年も経っていない国家の首脳が受賞するのは異例で、多くの批判が集まりました。

オバマ大統領は、ノーベル平和賞の受賞はこれからの活動に弾みをつける手段であることを胸に刻み、21世紀の課題を全国家で対処する呼び声の一つとして、受け取りました。簡単に言うと、ノーベル平和賞受賞にふさわしい功績を挙げられるように努力をする、ということです。

2009年 – 48歳「イラク戦争の終結」

イラク戦争はイラクとアメリカ主体の連合軍の間で起こった戦争。アメリカ兵4000人以上が犠牲になった

オバマ大統領は選挙期間中に、イラク戦争終結を公約として掲げました。しかし、就任後にこの公約を修正・撤回しています。

というのも、完全撤退に対する共和党や軍の上層部から反対意見が出たようで、それを考慮に入れる必要があったからです。当初の予定からは大幅に遅れましたが、オバマ大統領は2010年8月に大多数の戦闘部隊を撤退。2011年12月には米軍の完全撤収が終わり、イラク戦争の終結を宣言しました。

2009年 – 48歳「積極的な財政政策」

1929年の大恐慌の反省を活かし、積極的に経済に手を加えた

オバマ大統領はリーマンショックへの対策として、財政支出を増やしました。

まず、製造業の中で史上最大の倒産をしたゼネラルモーターズを国有化し、救済。これにより失業者を減らします。他にも金融機関などの救済も積極的に行い、米国経済はマイナスからプラスへと立ち直れました。

他にも景気刺激対策のための法律、アメリカ再生・再投資法やドット=フランク・ウォール街改革・消費者保護法を成立させました。

2010年 – 49歳「医療保険改革」

オバマ大統領が最も力を入れた「医療保険制度改革」は2010年3月に成立しました。

当時のアメリカでは国民の6人に1人が、失業などによって医療を受けられない状態でした。こうした人々を救うため、オバマ大統領は保険への加入を義務付けました。

一見、全員が医療を受けられる良い政策に思えますが、病気がちな人への保険金の支払いが嵩み、中小企業は破綻の危機へ追い込まれてしまうなどのデメリットもありました。

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