コナン・ドイルの名言
私は仕事で疲れたという記憶はまったくない。しかし、何もしないでいると、くたくたに疲れきってしまう。
I completely have no memory tired with work. But when nothing is being doing, I tire in bad shape.
この言葉はコナン・ドイルの逞しい精神力を表現していますね。ドイルは作家としても医師としても人並外れた仕事量をこなしてきました。ドイルにとっては疲れより仕事にかける熱意のほうが強かったのでしょう。
想像力がなければ、怖いものはない。
When I’m fanciless, there is nothing fearfulness.
これは現代の私たちにも的を射ている言葉です。「怖いことが起きるか」「未来はどうなるのか」などと想像することで恐怖が生まれます。もし想像力がなければ恐ろしい考えを浮かべることもなく、日々を淡々と過ごせるでしょうね。
人々は自分達が理解しないことを軽蔑する
People spurn that one doesn’t understand.
人間は自分たちと異なるものに対して恐怖を感じ、遠ざけようとします。人種差別が絡んだ冤罪を解決したドイルだからこそ言える言葉です。私たちも差別や偏見をなくすために、この言葉を肝に命じなければなりませんね。
コナン・ドイルの人物相関図
コナン・ドイルにまつわる逸話
逸話1「ホームズのモデルはドイルの恩師」
コナン・ドイルが生み出したシャーロック・ホームズは非常に論理的で相手が驚くほどの観察眼を持っていることで有名です。そんなシャーロック・ホームズにはモデルとなった人物が存在しました。
ドイルの大学時代の恩師であるジョセフ・ベル教授です。ベル教授は患者を診察する際に相手の服装や容姿を観察し、病状だけでなく職業や現在の生活状態まで言い当てていました。
ドイルは彼の診察を見てホームズというキャラクターを作り上げたのです。のちに書いた自伝においても、ベル教授のことを次のように語っています。
私は旧師ジョウ・ベルのことを思い浮かべ、あのわしのような顔、あの不思議なやりかた、こまかいことを知るあの捕らえどころのない方法を思いだしてみた。もしあの人が探偵だったら、魅惑的だのに組織的でないこの仕事を、精密科学の領域にまで持ってきそう
『わが思い出と冒険』延原謙訳
大学在学中はあまり興味を惹かれる授業がなかったドイルですが、ベル教授の手伝いだけは心躍る貴重な体験だったのでしょう。
逸話2「本当は歴史小説家になりたかった?」
コナン・ドイルといえばシャーロック・ホームズの作者であり、推理小説家だと思う人が圧倒的に多いでしょう。しかし、当初ドイルは推理小説家になる気はなく歴史小説家として身を立てたいと思っていたのです。
彼は推理小説のような大衆向けの小説ではなく、政治的面からも見ても人々の糧となる歴史小説を好んでいました。推理小説は単なる暇つぶしとして書いていたのです。
しかし、シャーロック・ホームズを主人公とした推理小説はドイルが予想していた以上に世間の好評を得ます。出版社からは毎日のように原稿の催促があり、それは原稿料をどれだけ上げても変わりませんでした。
ドイルは徐々にホームズを憎むようになり、遂にはホームズ物語を終わらせるために作中でホームズを殺すことを決意します。
短編小説『最後の事件』でホームズが滝壺に落ちて死んだという結末に読者は悲しみに暮れました。大勢の人々が喪に服し、出版社に大量の抗議文を送ったほどです。
ドイルは気にせず歴史小説の執筆に専念していましたが、8年後に友人から聞いた言い伝えに興味を惹かれ長編小説『バスカヴィル家の犬』を執筆。ホームズを再登場させました。
『バスカヴィル家の犬』は大人気となり、ホームズの復活を後押ししてしまいます。結局、ドイルは1903年の短編小説『空き家の冒険』でホームズを生き返らせて再びホームズシリーズの連載を始めることになったのです。
逸話3「生涯で2人の女性を愛した?」
コナン・ドイルは仕事にも精力的で愛国心に溢れ、スポーツも万能でした。それは恋愛に関しても同じであり、ドイルは生涯を通して2人の女性を愛しぬきます。
1人目は最初の妻ルイーズです。彼女はドイルが医師として個人開業していた時に看取った患者の姉でした。26歳でルイーズと結婚したドイルは仕事をしながらも、彼女とフィギュアスケートをしたり三輪車に乗ったりと夫婦生活を楽しみます。
2人の間には1男1女が生まれ、家庭生活は順調に進んでいるかのように思えました。しかし、ドイルが34歳の頃にルイーズが肺の病にかかり余命を宣告されてしまったのです。
必死にルイーズの看病を続けていたドイルですが、その間にある女性を愛してしまいました。オペラ歌手として活動していたジーン・リッキーです。しかし、紳士であったドイルは妻ルイーズを見捨てずに彼女の看病を続けました。
その甲斐あってか、1ヶ月の命と思われていたルイーズの容体は安定。余命宣告から13年間生き続けることができました。ルイーズは49歳で亡くなりましたが、その時ドイルは彼女の死に深く心を痛めて不眠症になります。ジーンを愛していてもルイーズへの愛情がなくなったわけではなかったのですね。
ルイーズの死後から1年経った1907年、ドイルはジーンと再婚します。2男1女に恵まれ、ドイルは再び幸せな家庭生活を取り戻しました。ジーンはドイルが71歳で亡くなるまでそばに寄り添い、死後も心霊主義による交信によってドイルと交流を続けたといいます。