1899年 – 40歳「第二次ボーア戦争勃発」
1899年に第二次ボーア戦争が勃発。ドイルは母の反対を押し切り、イギリス人医師として戦争に従事します。
1900年には政界への進出にも本腰をいれましたが、あえなく落選。それでも、ボーア戦争時のイギリス軍を擁護する活動を行ったことでナイトの爵位を授与されます。
1901年 – 42歳「長編『バスカヴィル家の犬』を発表」
ホームズ作品からずっと離れていたドイルですが、ジャーナリストのゴルフ仲間から奇妙な言い伝えを聞いて『バスカヴィル家の犬』の連載を始めました。皆が待ちに待っていたホームズの復活です。
「現実の事件を解決してほしい」というホームズ宛の手紙は以前よりも大量に届き、ドイルはできる限り返事を書いていました。その返事にはホームズの相棒ワトソンの名義で「ホームズさんは留守でして…」と書いてあったといいます。
1906年 – 47歳「妻ルイーズが死去」
1906年に長い間肺病を患っていた妻ルイーズが死去し、ドイルは悲しみに暮れました。妻のいない喪失感を埋めるために、「エダルジ事件」の解明に奔走するなどドイルは必死に自分を立て直そうとしたのです。
しかし、翌年の1907年にジーン・レッキーと再婚。再び温かい家庭を築くことができ、ドイルは精神的な安定を得ます。
1912年にはタイタニック号沈没を巡り文学者ジョージ・バーナード・ショーと論争を繰り広げたり、「スレイター事件」に関する小冊子やSF小説『失われた世界』を出版するなど忙しい日々を送りました。
1914年 – 55歳「第一次世界大戦が勃発」
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドイルは愛国心から再びイギリス政府に全面協力します。
そして、第一次世界大戦をモチーフとした短編小説『最後の挨拶』にてホームズがドイツ人スパイを捕まえる様子を描きました。
1918年 – 59歳「心霊主義に関する著書を発表」
第一次世界大戦によってすっかり疲弊してしまったドイルは心霊主義に没頭。心霊主義に関する著書『新なる啓示』や心霊主義小説『霧の国』の連載を開始しました。
同時にホームズの短編小説も連載していましたが、ホームズファンは論理と理性を重んじるホームズの作者が心霊主義者になったことが理解できずにいたことでしょう。
1930年 – 71歳「サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル死去」
心臓発作を起こすことが多くなったドイルは医師から休養することを勧められていました。しかし、講演や執筆をやめることはせず活発に行動しやがて心臓発作が悪化するようになってしまいます。
そして、1930年の7月7日。イングランド南東部のサセックスに移住していたドイルはイギリスの美しい田舎風景を眺めながら家族に見守られ、71歳の生涯に幕を下ろします。
ドイルの訃報を聞いた世界各国のファンたちは大量の花束と弔電を送り、偉大な小説家の死に涙しました。ドイルのお墓には墓標として次の言葉が書かれています。
鋼鉄のごとく真実で、刃のごとくまっすぐな、アーサー・コナン・ドイル。騎士、愛国者、医師、そして文学者
まさに、ドイルの人柄と生涯を表した言葉ですね。
コナン・ドイルの関連作品
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コナン・ドイルの事件簿
コナン・ドイルとホームズのモデルとなったベル教授がコンビとなり、難事件を解決していくというドラマです。実在した人物がホームズ作品のように事件を解決していくところがとても面白いですね。
フーディーニ&ドイルの怪事件ファイル〜謎解きの作法〜
2016年に放送されていたドラマシリーズであり、アメリカの手品師フーディーニとコナン・ドイルが怪事件を解決していくストーリーになっています。女性の刑事が登場するなど現代社会に近い内容です。
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コナン・ドイルとはどんな人?ミステリ小説の傑作『ホームズ』を生んだ著者の逸話
イラストともにコナン・ドイルの人生が紹介されています。重要なポイントごとに目次が作られているため非常に見やすいです。
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コナン・ドイルについてのまとめ
今回は、名探偵シャーロック・ホームズを生み出したコナン・ドイルの生涯を解説しました。「ホームズの生みの親」「偉大な推理小説家」というイメージが強いドイルですが、その影には歴史小説家になりたい気持ちやホームズ人気を憎む気持ちなど様々な感情が入り混じった人物でしたね。
この記事を通して、コナン・ドイルという人物はホームズを生み出した推理小説家というだけでなく「愛国者であり騎士のような強い精神力を持った人物」であることを知っていただけたら幸いです。