晩年は心霊主義者となる
第一次世界大戦以前や大戦中は非常に精力的に活動していたドイルですが、戦争中に義弟や甥、長男や弟を亡くして戦後には身も心もすっかり疲弊していました。
そんな精神的ショックを和らげるためか、ドイルは以前から取り組んでいた心霊主主義に没頭し始めます。心霊主義とは「肉体が消滅しても霊魂(死者の魂)は存在し続ける」という思想のことであり、当時は死者と会話する交霊会が頻繁に開催されていました。
晩年のドイルは世界に心霊主義を広めることを目標とし、世界各地で心霊主義に関する講演を行いました。亡くなった息子や弟とも霊媒師を通して何度も会話をしたといいます。
1920年に2人の少女と妖精が並んでいる写真がイギリス社会で話題になった時もドイルは写真が本物だと信じて、著書『妖精物語 実在する妖精世界』を出版。
のちに写真は偽造だと分かりましたが、世間は「理知的かつ活動的だったドイルが妖精写真を信じたこと」に驚きを隠せませんでした。ドイルは1930年に亡くなりますが、死後も交信によって家族に助言をし続けたのです。
コナンドイルの代表作品
シャーロック・ホームズシリーズ
- 緋色の研究:1886年
- 四つの署名:1890年
- シャーロック・ホームズの冒険:1892年
- シャーロック・ホームズの思い出:1894年
- バスカルヴィル家の犬:1902年
- シャーロック・ホームズの帰還:1905年
- 恐怖の谷:1915年
- シャーロック・ホームズ最後の挨拶:1917年
- シャーロック・ホームズの事件簿:1927年
SF小説シリーズ
- 失われた世界:1912年
- 毒ガス帯:1913年
- 霧の国:1926年
ジェラール准将シリーズ
- ジェラール准将の功績:1896年
- ジェラールの冒険:1903年
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コナン・ドイルの功績
功績1「名探偵シャーロック・ホームズを生む」
コナン・ドイルの生涯における功績として、1番最初に挙げられるのは「名探偵シャーロック・ホームズを生み出した」ことでしょう。ドイルは71年の生涯において、長編と短編合わせて60編ものホームズ作品を書き上げました。
内容はホームズが相棒のワトソン博士とともに数々の難事件を解決していくというもの。科学的知識や観察力など論理的な思考をもとに事件を解決し、人々を救うホームズは瞬く間にイギリスの人気者になりました。
作品が出版された当時は「切り裂きジャック事件*」によってイギリス国民全員が怯えていたこともあり、人々はホームズの存在に安心と希望を見出したのです。
それでなくとも、当時のイギリス社会は貧富の差が激しく犯罪が横行していた時代。当時イギリスを統治していたヴィクトリア女王までが「シャーロック・ホームズのような捜査をしなさい」と警察に要請してたほどです。
ドイルは大胆かつ巧みな文章力で様々な事件をホームズに解決させ、作中には鉄道やアヘン窟などの19世紀末のイギリス社会を反映した描写を取り入れました。読みやすい短編小説も多く、ドイルの生み出すホームズの世界に階級問わず多くの読者が惹き込まれていったのです。
ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)とは?事件概要や犯人像を紹介
功績2「2つの冤罪事件を解決」
コナン・ドイルは探偵として活動していたわけではありませんが、生涯において2つの冤罪事件を解決に導いたことがあります。
1つ目の事件は「ジョージ・エダルジ事件」です。1903年の夜に起こった家畜殺害事件であり、インド系の弁護士ジョージ・エダルジが容疑者として逮捕されました。しかし、エダルジは冤罪だと新聞に訴えを出しそれを見たドイルが捜査に乗り出したのです。
犯行現場の視察や裁判記録の調査したドイルはエダルジ本人との面会まで行いました。そして、面会で彼が強度の乱視または近視であることを見抜きます。
エダルジの視力では夜に家畜を狙って殺すことは難しいと考えたドイルは彼の無実を確信しました。筆跡鑑定の誤りや衣服の血痕の量が少なすぎることも追求し、最終的にエダルジは無罪となりました。
2つ目の事件は「スレイター事件」です。1908年に起きた強盗殺人事件であり、容疑者とされたのはユダヤ系ドイツ人のオスカー・スレイター。スレイターは素行が悪くユダヤ人であったため、警察は彼を犯人だと決めつけ証拠をねつ造し逮捕しました。
このような警察のねつ造・隠蔽工作はエダルジ事件の時にもあり、ドイルは腐敗した司法制度を正そうとスレイター事件解決に乗り出します。小冊子を出版し、凶器の不自然さや人種差別による偏見思考が捜査に影響していることを訴えたのです。
最終的にスレイターは釈放されましたが無罪とはならず、ドイルたち支援者が多額の裁判費用を負担して公式的な無罪を勝ち取ります。
コナン・ドイルは名探偵ホームズを生み出しただけでなく、自身の鋭い観察眼と高い記憶力によって無実の人々を救い司法制度の誤りを正そうとした「もう1人の名探偵」でした。
功績3「ボーア戦争に貢献し「Sir(サー)」の称号を獲得」
コナン・ドイルは強い愛国主義者であり、イギリスのために身を粉にして闘うことを厭いませんでした。
第二次ボーア戦争では40歳という年齢ながら医師として戦地に赴き、来る日も負傷したイギリス兵の治療に専念します。
そんな中でボーア戦争は苛烈を極めており、多くのボーア人が強制収容所で亡くなったことをきっかけにイギリスは世界各国から非難を浴びました。これに対して、戦地にいたドイルは真っ向から反対します。
ドイルは著書として『大ボーア戦争』『南アフリカ戦争 原因と行い』を執筆。これらにはイギリス軍を擁護する記述が多数書かれており、イギリスの正当性を世界に主張しました。
この活動が評価され、1902年に当時の国王エドワード7世からナイトの爵位を授与され「サー」の称号を名乗ることができるようになります。