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太平洋戦争をわかりやすく解説!原因や死者数、終戦までを年表付きで紹介

「太平洋戦争はどんな戦争なのかな?」
「アメリカと戦争して日本が負けたことは知っているけど…」

太平洋戦争は第二次世界大戦の局面の一つで、日本が中心の枢軸国と、アメリカ合衆国・イギリスなどの連合国との太平洋を中心に起こった戦争です。枢軸国・連合国共に多くの犠牲者を出し、日本も本土空襲や沖縄戦・原爆投下により多くの人が命を落としています。

多くの犠牲を出した太平洋戦争とは何だったのかを知る必要がある

“日本の傷”となり、余り詳しい内容を知らない人も多い太平洋戦争。しかし目を背けず歴史を振り返ることにより、繰り返してはいけない歴史として見直す必要がある戦争です。この記事では、多くの国の思惑が絡み合い、日本が戦争を仕掛けるに至った理由や原因など出来るだけわかりやすく解説します。太平洋戦争を知って、戦争の悲惨さを再確認できるはずです。

※この記事では事実を正確に伝えるために、残酷な表現や写真が登場します。苦手な方は次のトピックを読む等の自衛をお願いいたします。

太平洋戦争とはどんな戦争なのか?

大東亜共栄圏を描いた記念切手

太平洋戦争は1941年に、アジアの欧米植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指すという大義名分で始まった戦争でした。その太平洋戦争がどのような戦争であったのか?見ていきます。

第二次世界大戦の一部である戦争だった

人類史上最悪といわれた第二次世界大戦

太平洋戦争は第二次世界大戦時に起こった戦争でした。1939年から始まった第二次世界大戦において、1941年に日本が英領マレー半島の上陸作戦と真珠湾攻撃をもって宣戦布告し開戦。戦況は当初、日本が快進撃を見せたものの、ミッドウェー海戦の敗戦を境に守戦に転じます。

そして1945年にサイパン島と硫黄島の戦いに敗れ占拠されてから、アメリカ軍は日本全国への空襲が可能となり、日本は本土空襲を受けるようになります。その後4月に連合国は沖縄本土に上陸を開始。6月に沖縄を占領後、連合国は7月に日本の降伏を求めるポツダム宣言を発表し、日本はこれを黙殺します。

日本は世界で唯一の被爆国となった

8月にはアメリカは広島・長崎に原子爆弾を投下。結果日本はポツダム宣言を受諾し、日本の敗戦で太平洋戦争は終結しました。その後は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、戦後日本の復興の舵取りをすることとなりました。

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開戦されたのはいつ?

真珠湾に向かう日本軍艦

太平洋戦争は12月8日に日本の真珠湾攻撃によって開戦しました。この日に昭和天皇が”開戦の詔勅”を英米両国に発し、宣戦布告しています。

太平洋戦争の基本方針を記した戦争方針書によると、「東南アジア南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域ならびに主要交通線を確保して、長期自給自足の態勢を整う」とあります。

御前会議により太平洋戦争をすることが決定された

そして戦争の終わらせ方は、「独伊と提携して先ず英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む」と予定していました。

太平洋戦争の死者数

ガダルカナル島で進軍する日本軍、戦地でも多くの死者を出した

太平洋戦争の死者数は、日本軍の軍人の総数は230万人。そして内地での戦災死者数は約80万人といわれ、総数310万人が犠牲になったといわれています。ただしこの数字は1977年に厚生省が発表した数字であり、現在も調査が続けられ数は増え続けています。

またアメリカ軍の死者は約16万人、イギリス軍の死者は約8万5千人です。太平洋戦争の死者数は、日米英合わせて約330万人になります。そしてアジア太平洋各国の民間人死者数まで合わせると、約2000万人以上の人々が犠牲となったのです。

太平洋戦争の参加国と交戦勢力

第二次世界大戦の勢力図、水色が枢軸国・緑が連合国・黄色が中立国
交戦
勢力
枢軸国連合国


日本
タイ王国
満州国
ドイツ
イタリア
など
イギリス
アメリカ合衆国
オーストラリア
オランダ
中国
ソ連
など






ハンガリー王国
ブルガリア
ギリシャ国
フィンランド共和国
など
南アフリカ連邦
キューバ
ノルウェー
メキシコ
ブラジル
など

※その他参加国は、参加しているが参戦していない国を指します

抗戦勢力は日本・ドイツ・イタリア・タイ等の”枢軸国”と呼ばれる勢力と、イギリス・アメリカ・中国等の国が”連合国”と呼ばれる勢力で争いました。ソ連も連合国ですが、戦争に参加したのは終戦間際の1945年8月です。

日独伊三国同盟のプロパガンダ画

日本は1939年に日独伊三国同盟を結び枢軸国側に属しました。しかし枢軸国は最後まで統合した戦争指導は行われませんでした。そのため太平洋戦争は、アジア勢力とアメリカ等の連合軍との戦闘となっていたのです。

アジアでは実質日本の傀儡国家だった満州国と、同じアジアの独立国であったタイ王国などが枢軸国として参戦ています。タイは1941年に日泰攻守同盟条約を結び、終戦までアメリカ・イギリスと交戦しました。

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戦地となった主な場所

領地拡大した日本地図

およそ4年に及んだ太平洋戦争は、各地で激戦を繰り広げました。その中で主な戦地は以下になります。

  • 真珠湾
  • 米領フィリピン
  • 香港
  • ミッドウェー島
  • ガダルカナル島
  • 硫黄島
  • 沖縄

日本の敗戦により終結

降伏文書に署名する様子

太平洋戦争は1945年8月14日に終戦の詔書が発され、8月15日に昭和天皇による玉音放送でポツダム宣言受諾の旨を国民に知られ無条件降伏することを示しました。そして9月2日に東京湾横須賀沖に停泊していたアメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で降伏文書の調印式が行われています。これにより第二次世界大戦と太平洋戦争は終結したのです。

太平洋戦争と大東亜戦争の呼び方について

日本政府が発券した大東亜戦争国庫債券

戦争中、日本は太平洋戦争の事を“大東亜戦争”と呼んでいました。開戦時に東條英機内閣が、日中戦争も含めて大東亜戦争とすると閣議決定したのです。その理念は「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」ことを目的としていました。

しかしアジアの植民地の宗主側だった連合国側にとって都合が悪かったために、戦後GHQによって大東亜戦争の呼称は禁止され、代わりに“太平洋戦争”と呼ばれるようになりました。GHQの禁止は現在、失効していますが、大東亜戦争という呼称は一種のタブー視されておりメディアでの使用は控えられています。

当時の宣伝写真、日本の利益への思惑があったとはいえ植民地支配を解放した一面もあった

しかし連合国の視点での価値観で禁止されたために、本来の大東亜戦争という呼称を使用するべきだという考える人も多数存在し、現在も歴史認識問題で呼称問題は議論され続けています。

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太平洋戦争のきっかけや原因は?

真珠湾に向けて出陣する零型戦闘機

多くの犠牲者を出した太平洋戦争が起こったきっかけや原因は何だったのか?以下のように考えられています。

きっかけは真珠湾戦争だった

真珠湾攻撃により沈没するアメリカ軍戦艦

太平洋戦争のきっかけは、アメリカ海軍が多数駐留するハワイの真珠湾攻撃でした。この奇襲攻撃により、太平洋戦争の火蓋が切って落とされたのです。

日本側は1941年12月1日の御前会議で、山本五十六が「最初の1,2年は暴れてみせますが、それ以降は保証しません」と発言するなど、奇襲しなければアメリカに勝てないと考えていました。そして真珠湾に向けて艦隊が出発しますが、ここで“宣戦布告するかしないか”が問題となっています。

真珠湾を撮影した日本側の写真

戦争は事前に宣戦布告するのが常識であり、行われなければ騙し打ちとなります。そのため会議で攻撃の30分前に宣戦布告することがきまりました。しかし駐米大使が手続きにもたつくという痛恨のミスを犯してしまい、結果攻撃の40分後に宣戦布告してしまいます。

これによりアメリカ国民は大激怒し、日本に復讐を誓い太平洋戦争が始まったのです。このことは日本の軍部と官僚の連携が上手くいっていなかったことが要因にあり、日本史上最悪の戦争突入を加速させる原因の一つとなってしまいました。

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