ミッドウェー海戦とは?もし勝っていたら?敗因や目的をわかりやすく解説

ミッドウェー海戦における主要人物

ミッドウェー海戦時の日本軍はベテランが多くいた

結果的に敗北したためあまり顧みられることの少ないミッドウェー海戦ですが、この頃の日本軍はベテラン指揮官やベテランのパイロットなど多く在籍していました。その中で主要の人物を紹介します。

山本五十六

山本五十六連合艦隊総司令長官
出典:Wikipedia

日本の海軍軍人で、第26,27代連合艦隊司令長官です。M1作戦を受け入れられなければ辞任するという強硬な姿勢で受け入れさせています。

目的はミッドウェー島の占領と米機動部隊撃滅の二つでした。この作戦は目的が二つあったために上手く下士官まで意図が伝わらず、大本営命令がミッドウェー島占領を目的、連合艦隊が米機動部隊撃滅を目的と指示したために、どちらの作戦を優先したら良いか混乱したという証言も残っています。

撃墜された山本の戦闘機
出典:Wikipedia

結果、ミッドウェー海戦は敗北し日本は主力空母4隻失う大失態となります。その後敗戦の失態で責任を問われることはなく、1943年の前線視察中にアメリカ軍戦闘機に撃墜され、ブーゲンビル島に墜落し戦死しました。

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南雲忠一

南雲忠一中将
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日本の海軍軍人で、太平洋初期から中期に第一航空機隊及び第三艦隊司令長官を務めました。第一艦隊・第三艦隊の参謀長官を務めた草鹿中将曰く、人情に厚く部隊運用にも優れていましたが、航空戦に不慣れだったと回想しています。

ただし、ミッドウェー海戦の対戦アメリカ軍指揮官も南雲中将よりも戦歴を積んでおらず、南雲中将以上に航空戦に不慣れだったという点から南雲中将だけに責任を押し付けるのは不適当といわれています。

佐世保鎮守府庁舎の司令官となった
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ミッドウェー海戦の敗戦後は佐世保鎮守府司令官となりますが、1943年に最後の第一艦隊総司令官となっています。その後サイパン島の戦いで守備隊は玉砕、その際に自決し戦死しました。

山口多聞

山口多聞少将
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日本の海軍軍人で、ミッドウェー海戦で沈没した戦艦空母飛龍沈没時に戦死しました。ミッドウェー海戦で南雲司令部に装備を陸用爆弾のままで攻撃隊を発進させた方が良いと進言したといいます。しかし南雲司令官は陸軍爆弾の効果の低さなどを理由に却下しています。

結局海戦で空母3隻が大破し炎上。結局山口は「我レ今ヨリ航空戦ノ指揮ヲ執ル」と発進し敵空母攻撃を命じています。しかしアメリカ軍の集中攻撃を浴びて飛龍も炎上。山口は船員を集め最後の挨拶を行い皇居を拝し萬歳を唱え、軍艦機と将機を降納しています。

山口中将の最期を描いた絵
出典:Wikipedia

部下たちは山口にも退艦をすすめる部下を振り切り、戦艦に戻っていったと伝わっています。そして飛龍は沈没し、戦死しました。

ミッドウェー海戦を時系列に紹介

日本空母が被弾した状況を再現したジオラマ
出典:Wikipedia

ミッドウェー海戦の流れを時系列に紹介します。

ミッドウェー島空襲

炎上するミッドウェー基地
出典:Wikipedia

6月5日に南雲機動部隊はミッドウェー空襲隊を発進し、「敵空母を基幹とする有力部隊が大挙行動推定せず」という方針のもとに行動を開始します。そして第一次攻撃部隊がミッドウェー島を攻撃開始。しかし事前に日本が攻めてくることを知っていたアメリカ軍は、戦闘機で奇襲、航空戦となります。制空権の争いは15分後に日本が勝利を収めます。日中戦争からのベテランパイロットが多数在籍していたからといわれています。

米軍の妨害を排除した日本軍は、ミッドウェー基地を空襲。重油タンクや基地施設など損害を与えています。しかし航空機は日本軍攻撃のために飛び立った後で攻撃できず、滑走路もあまり損傷できませんでした。そのため損害が不十分と感じた友永大尉は機動部隊に「カワ・カワ・カワ(第二次攻撃の要あり)」と打電します。

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