天智天皇とはどんな人?生涯・年表まとめ【百人一首に選ばれた和歌も紹介】

663年 – 37歳「白村江の戦いに敗れる」

白村江の戦い
出典:Wikipedia

660年に新羅・高句麗に百済が滅ぼされたために、朝廷に滞在していた百済皇子・扶余豊璋を送り返し支援して白村江の戦いを仕掛けますが、唐・新羅連合軍に大敗しています。

中大兄皇子は斉明天皇と共に九州に出向き、筑紫の朝倉宮に滞在していましたが、661年に斉明天皇が崩御。その後皇太子のまま指揮しますが、結果663年の白村江の戦いで敗退。白村江の敗戦に危機感を覚えた中大兄皇子は国土防衛の政策を打ち出し、水城や狼煙(のろし)・防人を設置しています。

667年 – 41歳「近江大津宮に遷都し翌年天皇に即位する」

近江大津宮内裏跡
出典:Wikipedia

667年に近江大津宮に遷都し、668年にようやく天皇として即位しました。この時弟の大海人皇子を皇太弟としています。即位が遅れた理由は色々考えられていますが、何故かはわかっていません。

669年 – 43歳「中臣鎌足が死去、藤原姓を与える」

大織冠に任命されたのは、日本史上中臣鎌足だけだ
出典:エナガ先生の講義メモ

669年に信頼する部下であった中臣鎌足が落馬した怪我が元で死去しました。この時中臣鎌足は見舞いに来た天皇に、白村江の戦いの責任を詫びたと伝えられています。死の前日に「大織冠」の位と「藤原」の姓を与え、翌日に鎌足は死去。それから鎌足の子孫は「藤原」を名乗るようになりました。

671年 – 45歳「大友皇子を皇太子に任命し、病に倒れる」

弟の大海人皇子を呼び後事を託そうとした

671年1月に皇太弟に大海人皇子にしていたにもかかわらず、大友皇子を史上初めての太政大臣に任命しています。同年4月に大津宮に水時計の新台を置いて、鐘鼓を打って時報を開始させる功績を残しますが、10月に病に倒れます。

中々病が治らず重態に陥ったために、弟の大海人皇子を呼び後事を託そうとしますが大海人皇子はこれを辞退。大海人皇子は剃髪して出家し、吉野へ去っています。

672年 – 46歳「近江大津宮で崩御」

病により近江大津宮で崩御したのが定説である

672年に天智天皇は近江大津宮で崩御したといわれています(別に暗殺説もあり)。享年46歳でした。日本書紀によると、天智天皇は息子の大友皇子が非常に聰明だったために皇位を継がせたかったといいます。

しかし天皇の崩御後半年で壬申の乱が勃発。大友皇子と大海人皇子は争い、大海人皇子が勝利し天武天皇として即位しています。敗れた大友皇子は自害し、以降天武系の天皇が続くこととなりました。

天智天皇の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

天智天皇 (人物叢書)

天智天皇の生涯を記した伝記です。通説を覆すような内容も含まれて、多面的に天智天皇を研究している一冊です。2016年発刊した比較的最近の本なので、新しい情報ものっているために今の天智天皇の研究を知りたい人にもぴったりの本です。

天智と天武 1 -新説・日本書紀- (ビッグコミックス)

従来の説に沿った内容ではなく、新説を設定に織り込んだ漫画です。あまり飛鳥時代興味ない…という歴史好きも読んで面白いと評判のようです。ただし歴史の通説をそれている設定も見受けられるので、漫画を全て鵜吞みにせずに読み物として読むことがおすすめの漫画です。

天上の虹(1) (講談社漫画文庫)

筆者が個人的におすすめの里中満智子さんの漫画です。持統天皇が主役の漫画ですが、もちろん父である天智天皇も多く登場します。一般的な説に沿っての人間ドラマが描かれている超大作です。

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歴代天皇ゆっくり解説 第三十八回 天智天皇

ゆっくり解説シリーズの天智天皇の回です。わかりやすくまとめてあるので、天智天皇がどういう人なのか、どういう政治をしたのかをざっくり知りたいという方におすすめしたい動画です。

関連外部リンク

天智天皇についてのまとめ

今回天智天皇の執筆を任せて頂き、里中満智子さんの「天上の虹」が好きだった筆者にとっては非常に嬉しい執筆となりました。戦国時代や幕末に比べると地味な時代であるものの、日本が大きく方針が定まる大事な時代でもあります。

その中でも天智天皇は謎の部分が多く、色々な説がありとても面白い人物だと感じています。結局最後はどの様だったのかは永遠に藪の中ですが、そういうところも歴史のロマンのように感じています。この記事を読んで、天智天皇はこんな人だったのかと知った人がいたら非常に嬉しく思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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