ウォーレンバフェットにまつわる逸話
逸話1「マクドナルドが大好物でかなりの偏食家」
投資の神様として多くの人から尊敬されるバフェット氏ですが、実はかなりの偏食家です。一番のお気に入りはマクドナルドとコーラ。話によると毎朝マクドナルドのハンバーガーを食べていて、コーラは毎日5本飲んでいるそうです。
さらに、ハンバーガーの食べ方やコーラの銘柄にもこだわりがあります。ハンバーガーは中の具材やソースを抜いて肉とパンだけを食し、コーラは特に甘いと言われるチェリーコークしか飲みません。
小さい子供のような好みで、なんだか親近感が湧きますね。ちなみに、バフェット氏の食生活を聞いた医者は「遺伝子がよほど頑張らなければとっくに死んでいる」と評価しています。
逸話2「車や家にお金を使わない、富豪とは思えない質素な生活」
まごうことなきお金持ちのバフェット氏ですが、富豪の一般的なイメージとは違って家にも車にもお金をかけない倹約家です。
1958年に3万1500ドルで購入した質素な家に住み続け、車は4万4600ドルのキャデラックXTSに乗っています。また、携帯にもお金を使っておらず、いまだに折りたたみ式の携帯電話を利用。クーポンなども積極的に利用しており、とても億万長者とは思えないお金の使い方をしています。
むしろ、お金を大切に使っているからこそ、バフェット氏は億万長者になれたのかもしれませんね。
逸話3「唯一の贅沢はプライベートジェット」
倹約家のバフェット氏が唯一、お金をかけているのがプライベートジェットです。バフェット氏本人も、「自分が多くのお金を費やす唯一のもの」と発言しています。
なぜバフェット氏がプライベートジェットにお金をかけるのか、それは時間の節約のためです。プライベートジェットは飛行機の便にとらわれなくてすみ、搭乗手続きや手荷物検査も必要ありません。そのため、時間を大幅に節約できるのです。
要するに好きな時に好きな国へ、短時間で出かけられるんですね。自由を重視するバフェット氏らしい買い物と言えます。
ウォーレンバフェットの年表
1930年 – 0歳「アメリカ・ネブラスカ州オマハで誕生」
バフェット氏は1930年に、アメリカ・ネブラスカ州オマハで証券会社を営む父ハワードと母レイラの間に誕生しました。
幼い頃からビジネスに興味を持っており、祖父からコーラを6本25セントで購入し、それを1本5セントで売ったり、配達のアルバイトやゴルフ場のボール広いなどを行ったりしていました。
1941年 – 11歳「初めて株券を購入する」
バフェット氏は11歳で初めて株を購入しました。姉とともにシティ・サービスの株を1株38ドルで3株買ったのですが、27ドルに下がってしまいます。それでもバフェット氏は株を手放さず、1株40ドルに上昇したタイミングで売却しました。
無事、利益を得られたバフェット氏。しかし、その後シティ・サービスの株価は1株200ドル近くまで高騰しました。あと少し待っていれば、大きな利益をあげられた、この苦い経験はバフェット氏に以下の3つの教訓を与えます。
- 買った時の株価にこだわらない
- よく考えることなく小さな利益を得ようと急いではいけない
- 他人のお金を使って投資するのは慎重でなくてはならない
以来、バフェット氏は長期投資に重きをおくようになります。
1947年 – 17歳「コロンビア大学に入学」
1942年、バフェット氏の父が下院議員に当選したため、家族全員でワシントンD.C.に引っ越すことになりました。当時12歳のバフェット氏は、突然の環境の変化に適応できず、祖父の家からオマハの学校に中学2年生まで通うことになります。
幼い頃からの趣味であるビジネスは続けており、1943年には自転車を仕事の経費として控除し、13歳で初めて所得税の申告を行いました。また、高校三年生の頃には友人とともに、理容店にピンボールを置くビジネスを開始し、週50ドルの利益を稼ぎます。
1947年、高校を卒業したバフェット氏は父の進めもあり、ペンシルベニア大学に入学しましたが中退。ネブラスカ大学リンカーン校に編入し、その卒業後『賢明なる投資家』の著者ベンジャミン・グレアムが教鞭をとっているコロンビア大学に入学して投資について学びました。
1954年 – 24歳「資産運用会社グレアム・ニューマンに証券アナリストとして入社」
1951年、大学院で博士号を取得したバフェット氏は故郷オマハの父が運営する証券会社で働きます。
そして1952年にはスーザンと結婚し、1953年に子供が生まれ人生は順調。1954年には、グレアムから一緒に働かないかと誘われ、彼の会社で証券アナリストとして入社しました。
以降、グレアムが引退するまでその会社で働き続けます。