エドガー・アラン・ポーとは、19世紀に活躍したアメリカ人作家です。世界初の推理小説『モルグ街の殺人』や恐怖小説『黒猫』を執筆。詩『大鴉』も評判を呼び、詩人としても大きな成功をおさめました。
彼の功績は世界の作家に文学家に影響を与え、特に日本の小説家である江戸川乱歩は作風にいたるまでポーの影響を受けています。
しかし、エドガー・アラン・ポーについて彼の名前や作品しか知らないという人もいるでしょう。小説家であり詩人であったエドガー・アラン・ポー。彼が送った生涯とはいったいどのようなものだったのでしょうか?
この記事ではエドガー・アラン・ポーの生涯や功績、面白い逸話について推理小説が大好きで「モルグ街の殺人」を読み明かした筆者が紹介します。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。
エドガー・アラン・ポーとはどんな人物か
名前 | エドガー・アラン・ポー |
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誕生日 | 1809年1月19日 |
没日 | 1849年10月7日 |
生地 | アメリカ合衆国 (マサチューセッツ州、ボストン) |
没地 | アメリカ合衆国 (メリーランド州、ボルティモア) |
配偶者 | ヴァージニア・クレム |
埋葬場所 | アメリカ合衆国 (メリーランド州、ボルティモア) |
エドガー・アラン・ポーの生涯をハイライト
エドガー・アラン・ポーは、1809年に俳優の父デイヴィッド・ポーと女優の母エリザベスの間に生まれました。1歳の時に父親が失踪し、母と苦しい貧困生活を送ります。
結核により母が亡くなると両親の友人アランに引き取られ養子となり、寄宿舎生活を経てヴァージニア大学に入学し古典文学や語学を学びました。しかし、賭博による借金によりポーは大学を辞めて陸軍に入隊します。
22歳のころに軍隊を除隊すると、ポーは叔母の家に居候し短編小説や詩を書くようになりました。ゴシック小説『アッシャー家の崩壊』や世界初の推理小説『モルグ街の殺人』などを執筆。ポーが作家兼編集者として勤めていた『グレアムズ・マガジン』は大人気雑誌となります。
その後も詩「大鴉」など現代に残る名作を生み出すも経済的な支えにはならず、ポーは貧困に苦しみながら40歳の若さで謎の死を遂げました。
しかし、ポーの影響は日本の小説家江戸川乱歩など世界中に広がっており現在においてもその人気が衰えることはありません。
波乱に満ちた青年時代
エドガー・アラン・ポーの人生は、短いながらも波乱に満ちていました。1歳半ばで父親が失踪し、母親の死後はポーは兄妹と分かれてアラン家の養子になります。アラン家は輸入業を営んでおり、ポーが10代のころ事業を広げるためイギリスへ移り住みました。
イギリスでは義母が体調を悪くしたことから各地を転々とし、ポーはいくつかの寄宿学校で過ごすことになります。しかし、イギリスでの事業は上手くいかずにアラン家はアメリカへ帰国。ポーはアイルランド系の学校に通いながら古典文学や語学を学び、ヴァージニア大学へ進学しました。
大学生活は順調に見えましたが、いくつかの試練がポーを襲います。入学前に婚約していた女性との縁談が両家の反対によって破談。また、義父からの生活費が遅れたことでトランプ賭博に手を出して莫大な借金を背負うことになりました。
借金によって大学を辞めたポーは陸軍に入隊。軍隊生活を送りながら詩集を出版し始めます。しかし、21歳で義父に勘当されたことがきっかけで陸軍を辞めて本格的な文学活動に入りました。
その後、ポーは評価の高い作品を出版し続けましたが不十分な給料や伸びない売り上げなどにより家計が困窮。飲酒によるトラブルがもとで何度も出版社を変える羽目になりました。現在では非常に高い評価を得ている文学者ポーですが、その青年期は度重なる環境の変化と貧困という苦しみにあふれていたのです。
13歳の少女と結婚
文学者としての一面が強いエドガー・アラン・ポーですが、恋愛好きな一面も持っていました。14歳で旧友の母親に恋するも彼女は死去。そして、16歳で両親たちの反対を押し切りサラ・エルマイラ・ロイスターと婚約するも破談に終わります。
その後は叔母の娘であるヴァージニアを見初め求婚しますが、当時ヴァージニアはまだ13歳。当然のことながら、叔母は2人の付き合いに大反対しました。しかし、ポーの熱意ある説得に叔母は渋々許可を与えて2人は1836年に結婚します。ポーは27歳、ヴァージニアは13歳の時のことです。
本来ならばヴァージニアにはまだ結婚できる歳ではありませんでしたが、結婚誓約書の年齢を21歳として裁判所から結婚の承諾を得ることができました。現代で行えば犯罪ですが、この時代には可能なことだったのでしょう。
めでたく結婚したポーとヴァージニアですが、2人の結婚生活は豊かとは程遠いものになりました。ポーの収入が少なく貧しい生活を強いられ、ヴァージニアは結核にまでかかってしまいます。
最終的にヴァージニアは24歳の若さでこの世を去りました。最期に住んでいた家屋も木造の貧しいものであり、2人の結婚生活は常に貧困とともにあったのです。妻の死後、ポーは数人の女性と浮名を流し婚約もしましたが結局再婚しないままこの世を去りました。