小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

エドガー・アラン・ポーとはどんな人?生涯・年表まとめ【代表作品も紹介】

エドガー・アラン・ポーとは、19世紀に活躍したアメリカ人作家です。世界初の推理小説『モルグ街の殺人』や恐怖小説『黒猫』を執筆。詩『大鴉』も評判を呼び、詩人としても大きな成功をおさめました。

彼の功績は世界の作家に文学家に影響を与え、特に日本の小説家である江戸川乱歩は作風にいたるまでポーの影響を受けています。

エドガー・アラン・ポー
出典:Wikipedia

しかし、エドガー・アラン・ポーについて彼の名前や作品しか知らないという人もいるでしょう。小説家であり詩人であったエドガー・アラン・ポー。彼が送った生涯とはいったいどのようなものだったのでしょうか?

この記事ではエドガー・アラン・ポーの生涯や功績、面白い逸話について推理小説が大好きで「モルグ街の殺人」を読み明かした筆者が紹介します。

エドガー・アラン・ポーとはどんな人物か

名前エドガー・アラン・ポー
誕生日1809年1月19日
没日1849年10月7日
生地アメリカ合衆国
(マサチューセッツ州、ボストン)
没地アメリカ合衆国
(メリーランド州、ボルティモア)
配偶者ヴァージニア・クレム
埋葬場所アメリカ合衆国
(メリーランド州、ボルティモア)

エドガー・アラン・ポーの生涯をハイライト

エドガー・アラン・ポーの写真(ヴァージニア大学にて撮影)
出典:Wikipedia

エドガー・アラン・ポーは、1809年に俳優の父デイヴィッド・ポーと女優の母エリザベスの間に生まれました。1歳の時に父親が失踪し、母と苦しい貧困生活を送ります。

結核により母が亡くなると両親の友人アランに引き取られ養子となり、寄宿舎生活を経てヴァージニア大学に入学し古典文学や語学を学びました。しかし、賭博による借金によりポーは大学を辞めて陸軍に入隊します。

22歳のころに軍隊を除隊すると、ポーは叔母の家に居候し短編小説や詩を書くようになりました。ゴシック小説『アッシャー家の崩壊』や世界初の推理小説『モルグ街の殺人』などを執筆。ポーが作家兼編集者として勤めていた『グレアムズ・マガジン』は大人気雑誌となります。

「ジェントルマンズ・マガジン」の表紙(1839年)
出典:Wikipedia

その後も詩「大鴉」など現代に残る名作を生み出すも経済的な支えにはならず、ポーは貧困に苦しみながら40歳の若さで謎の死を遂げました。

しかし、ポーの影響は日本の小説家江戸川乱歩など世界中に広がっており現在においてもその人気が衰えることはありません。

波乱に満ちた青年時代

リッチモンドにあるエドガー・アラン・ポー博物館
出典:Wikipedia

エドガー・アラン・ポーの人生は、短いながらも波乱に満ちていました。1歳半ばで父親が失踪し、母親の死後はポーは兄妹と分かれてアラン家の養子になります。アラン家は輸入業を営んでおり、ポーが10代のころ事業を広げるためイギリスへ移り住みました。

イギリスでは義母が体調を悪くしたことから各地を転々とし、ポーはいくつかの寄宿学校で過ごすことになります。しかし、イギリスでの事業は上手くいかずにアラン家はアメリカへ帰国。ポーはアイルランド系の学校に通いながら古典文学や語学を学び、ヴァージニア大学へ進学しました。

大学生活は順調に見えましたが、いくつかの試練がポーを襲います。入学前に婚約していた女性との縁談が両家の反対によって破談。また、義父からの生活費が遅れたことでトランプ賭博に手を出して莫大な借金を背負うことになりました。

『アッシャー家の崩壊』の1ページ目
出典:Wikipedia

借金によって大学を辞めたポーは陸軍に入隊。軍隊生活を送りながら詩集を出版し始めます。しかし、21歳で義父に勘当されたことがきっかけで陸軍を辞めて本格的な文学活動に入りました。

その後、ポーは評価の高い作品を出版し続けましたが不十分な給料や伸びない売り上げなどにより家計が困窮。飲酒によるトラブルがもとで何度も出版社を変える羽目になりました。現在では非常に高い評価を得ている文学者ポーですが、その青年期は度重なる環境の変化と貧困という苦しみにあふれていたのです。

13歳の少女と結婚

ヴァージニア・クレム
出典:Wikipedia

文学者としての一面が強いエドガー・アラン・ポーですが、恋愛好きな一面も持っていました。14歳で旧友の母親に恋するも彼女は死去。そして、16歳で両親たちの反対を押し切りサラ・エルマイラ・ロイスターと婚約するも破談に終わります。

その後は叔母の娘であるヴァージニアを見初め求婚しますが、当時ヴァージニアはまだ13歳。当然のことながら、叔母は2人の付き合いに大反対しました。しかし、ポーの熱意ある説得に叔母は渋々許可を与えて2人は1836年に結婚します。ポーは27歳、ヴァージニアは13歳の時のことです。

本来ならばヴァージニアにはまだ結婚できる歳ではありませんでしたが、結婚誓約書の年齢を21歳として裁判所から結婚の承諾を得ることができました。現代で行えば犯罪ですが、この時代には可能なことだったのでしょう。

ヴァージニアが死去した木造の家屋
出典:Wikipedia

めでたく結婚したポーとヴァージニアですが、2人の結婚生活は豊かとは程遠いものになりました。ポーの収入が少なく貧しい生活を強いられ、ヴァージニアは結核にまでかかってしまいます。

最終的にヴァージニアは24歳の若さでこの世を去りました。最期に住んでいた家屋も木造の貧しいものであり、2人の結婚生活は常に貧困とともにあったのです。妻の死後、ポーは数人の女性と浮名を流し婚約もしましたが結局再婚しないままこの世を去りました。

貧困の中で小説を執筆

推理小説『マリー・ロジェの謎』
出典:Wikipedia

生涯を通して貧困に苦しんだポーですが、その中でも現代に残る素晴らしい小説を書き上げています。40年の生涯で長編・短編小説、詩を含めて80以上の作品を作り上げました。

18歳のときに初めて詩集を出版。その後、次々と詩集を出版しましたが、あまり好評ではありませんでした。しかし、そんな中でポーに転機が訪れます。週刊行誌『サタデー・ヴィジター』に投稿した短編小説『瓶の中の手記』が最優秀作に選ばれたのです。

審査員であった作家ジョン・P・ケネディと親しくなり、彼の支援によって定期刊行誌『サザン・リテラリー・メッセンジャー』への作品掲載ならび編集者に就任します。

詩『大鴉』の挿絵
出典:Wikipedia

ポーは編集者としても敏腕であり、幅広い分野における論評を行い『メッセンジャー』の発行部数を伸ばしていきました。ポーは出版社を転々としながら自身の作品も執筆し続け、いくつかの作品を掲載した定期刊行誌『グレアムズ・マガジン』は約1年間で4万部近い売り上げを誇こるようになったのです。

しかし、文学者としての地位は上がってもそれに見合った給料はではありませんでした。高評価だった詩『大鴉』はたった9ドルという少ない報酬。編集者の仕事も週給10ドルでした。貧しい環境下で素晴らしい作品を作り上げていったポー。彼はある意味、天才的な才能の持ち主だったのかもしれませんね。

エドガー・アラン・ポーの代表作品

代表的なゴシック小説

  • ライジーア:1838年
  • アッシャー家の崩壊:1839年
  • 黒猫:1843年

代表的な冒険小説

  • アーサー・ゴードン・ピムの物語:1837年
  • メエルシュトレエムに呑まれて:1841年

代表的な推理小説

  • モルグ街の殺人:1841年
  • 黄金虫:1843年
  • 盗まれた手紙:1845年

代表的な詩

  • 大鴉:1845年
  • アナベル・リー:1849年
  • ユリイカ 散文詩:1848年

エドガー・アラン・ポーの功績

功績1「現代短編小説の祖となった」

推理小説『モルグ街の殺人』の挿絵
出典:Wikipedia

エドガー・アラン・ポーはあらゆるジャンルの作品を執筆した文学者ですが、その中でも短編小説の火付け役となったことが功績として挙げられるでしょう。

ポーが作品を発表する以前は短編小説なるもの自体があまり一般的ではありませんでした。「短編」という言葉自体も使われていなかったぐらいです。しかし、ポーは長編小説だけでなく短編小説の分野に力を入れました。

ポーの小説で有名な作品のほとんどは短編小説です。推理小説『モルグ街の殺人』や冒険小説『黄金虫』、恐怖小説『アッシャー家の崩壊』『黒猫』『赤死病の仮面』なども全て短編になっています。

恐怖小説『赤死病の仮面』の挿絵
出典:Wikipedia

短編作品が多いため、ポーの小説は「短編集」としてジャンルを問わずひとつの単行本にまとめられていることが多いです。

ポーが短編小説を一般的に広めたことから、現在の私たちは様々な小説をひとつの本で読むことができるのですね。

功績2「江戸川乱歩など多数の小説家に影響を与えた」

江戸川乱歩
出典:Wikipedia

エドガー・アラン・ポーは数多くの小説家や文学者に影響を与えた人物です。中でも、日本の小説家平井太郎こと江戸川乱歩はポーの名前をもじったペンネームで推理小説を書くなど大きな影響を受けています。

江戸川乱歩のデビュー作である『二銭銅貨』はポーの推理小説『黄金虫』の影響を色濃く受けており、暗号文やポーの名前が作中に登場しているほどです。乱歩はポーに触発された推理小説を次々と出版し、日本の探偵小説における新しい時代を築き上げました。

ポーの作品をフランス語に訳したシャルル・ボードレール
出典:Wikipedia

また、乱歩はポーの推理やトリックを考察したりするなどポーの推理小説に並々ならぬ関心を寄せています。他にも小説家の夏目漱石や谷崎潤一郎などもポーの作品を深く影響を受けるとともにその才能に敬意を表しています。

夏目漱石のおすすめ作品・本15選【漫画や短編、長編作品まで】

ポーの作品は日本だけではなく、ヨーロッパの国々でも高い評価を得ていました。各地で『黄金虫』や『黒猫』などの短編小説が翻訳され、詩人シャルル・ボードレールによってフランス語に訳された時はフランスの文学者や詩人に高い評価を得たのです。

江戸川乱歩のおすすめ本・作品10選【代表作から長編、中短編まで】

功績3「大衆を意識した作品作りで成功」

冒険小説『黄金虫』の挿絵
出典:Wikipedia

エドガー・アラン・ポーは編集者としても活躍していたため、作品を書くにあたって常に大衆の目を意識していました。読み切れる量の短編作品に集中的だったのもそのためです。

また、それぞれのジャンルにも確固たるポリシーを持っていました。恐怖小説を書く場合は「死」「病」など人間が本能的に感じる恐怖や「罪悪感」「死からの再生」など人間自身が生み出す感情をテーマにしています。読者が感情移入しやすく読み終わった後も心に残りやすい「恐怖」をポーは巧みに描き出したのです。

推理小説であれば、トリックや犯行などを構想して最後に探偵が謎解きをするという仕組みをポーが作り出しました。探偵と助手という組み合わせもポーの作品から始まり、のちの推理作家コナン・ドイルたちにも影響を与えています。

ポーに影響された小説家ジュール・ヴェルヌ
出典:Wikipedia

ポーは編集者として雑誌に深く関わっていたため、大衆の好みをしっかりと把握することも大切にしていました。彼が恐怖小説を多く書き上げたのも当時の人々に人気があったからです。

ポーの作品は恐怖小説や推理小説だけでなく、冒険小説においても後世の作家に強い影響を与えました。SFの父とも呼ばれるフランス人作家ジュール・ヴェルヌはポーの冒険小説『アーサー・ゴードン・ピムの物語』に影響を受けています。

1 2

コメントを残す