貧困の中で小説を執筆
生涯を通して貧困に苦しんだポーですが、その中でも現代に残る素晴らしい小説を書き上げています。40年の生涯で長編・短編小説、詩を含めて80以上の作品を作り上げました。
18歳のときに初めて詩集を出版。その後、次々と詩集を出版しましたが、あまり好評ではありませんでした。しかし、そんな中でポーに転機が訪れます。週刊行誌『サタデー・ヴィジター』に投稿した短編小説『瓶の中の手記』が最優秀作に選ばれたのです。
審査員であった作家ジョン・P・ケネディと親しくなり、彼の支援によって定期刊行誌『サザン・リテラリー・メッセンジャー』への作品掲載ならび編集者に就任します。
ポーは編集者としても敏腕であり、幅広い分野における論評を行い『メッセンジャー』の発行部数を伸ばしていきました。ポーは出版社を転々としながら自身の作品も執筆し続け、いくつかの作品を掲載した定期刊行誌『グレアムズ・マガジン』は約1年間で4万部近い売り上げを誇こるようになったのです。
しかし、文学者としての地位は上がってもそれに見合った給料はではありませんでした。高評価だった詩『大鴉』はたった9ドルという少ない報酬。編集者の仕事も週給10ドルでした。貧しい環境下で素晴らしい作品を作り上げていったポー。彼はある意味、天才的な才能の持ち主だったのかもしれませんね。
エドガー・アラン・ポーの代表作品
代表的なゴシック小説
- ライジーア:1838年
- アッシャー家の崩壊:1839年
- 黒猫:1843年
代表的な冒険小説
- アーサー・ゴードン・ピムの物語:1837年
- メエルシュトレエムに呑まれて:1841年
代表的な推理小説
- モルグ街の殺人:1841年
- 黄金虫:1843年
- 盗まれた手紙:1845年
代表的な詩
- 大鴉:1845年
- アナベル・リー:1849年
- ユリイカ 散文詩:1848年
エドガー・アラン・ポーの功績
功績1「現代短編小説の祖となった」
エドガー・アラン・ポーはあらゆるジャンルの作品を執筆した文学者ですが、その中でも短編小説の火付け役となったことが功績として挙げられるでしょう。
ポーが作品を発表する以前は短編小説なるもの自体があまり一般的ではありませんでした。「短編」という言葉自体も使われていなかったぐらいです。しかし、ポーは長編小説だけでなく短編小説の分野に力を入れました。
ポーの小説で有名な作品のほとんどは短編小説です。推理小説『モルグ街の殺人』や冒険小説『黄金虫』、恐怖小説『アッシャー家の崩壊』『黒猫』『赤死病の仮面』なども全て短編になっています。
短編作品が多いため、ポーの小説は「短編集」としてジャンルを問わずひとつの単行本にまとめられていることが多いです。
ポーが短編小説を一般的に広めたことから、現在の私たちは様々な小説をひとつの本で読むことができるのですね。