功績2「江戸川乱歩など多数の小説家に影響を与えた」
エドガー・アラン・ポーは数多くの小説家や文学者に影響を与えた人物です。中でも、日本の小説家平井太郎こと江戸川乱歩はポーの名前をもじったペンネームで推理小説を書くなど大きな影響を受けています。
江戸川乱歩のデビュー作である『二銭銅貨』はポーの推理小説『黄金虫』の影響を色濃く受けており、暗号文やポーの名前が作中に登場しているほどです。乱歩はポーに触発された推理小説を次々と出版し、日本の探偵小説における新しい時代を築き上げました。
また、乱歩はポーの推理やトリックを考察したりするなどポーの推理小説に並々ならぬ関心を寄せています。他にも小説家の夏目漱石や谷崎潤一郎などもポーの作品を深く影響を受けるとともにその才能に敬意を表しています。
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ポーの作品は日本だけではなく、ヨーロッパの国々でも高い評価を得ていました。各地で『黄金虫』や『黒猫』などの短編小説が翻訳され、詩人シャルル・ボードレールによってフランス語に訳された時はフランスの文学者や詩人に高い評価を得たのです。
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功績3「大衆を意識した作品作りで成功」
エドガー・アラン・ポーは編集者としても活躍していたため、作品を書くにあたって常に大衆の目を意識していました。読み切れる量の短編作品に集中的だったのもそのためです。
また、それぞれのジャンルにも確固たるポリシーを持っていました。恐怖小説を書く場合は「死」「病」など人間が本能的に感じる恐怖や「罪悪感」「死からの再生」など人間自身が生み出す感情をテーマにしています。読者が感情移入しやすく読み終わった後も心に残りやすい「恐怖」をポーは巧みに描き出したのです。
推理小説であれば、トリックや犯行などを構想して最後に探偵が謎解きをするという仕組みをポーが作り出しました。探偵と助手という組み合わせもポーの作品から始まり、のちの推理作家コナン・ドイルたちにも影響を与えています。
ポーは編集者として雑誌に深く関わっていたため、大衆の好みをしっかりと把握することも大切にしていました。彼が恐怖小説を多く書き上げたのも当時の人々に人気があったからです。
ポーの作品は恐怖小説や推理小説だけでなく、冒険小説においても後世の作家に強い影響を与えました。SFの父とも呼ばれるフランス人作家ジュール・ヴェルヌはポーの冒険小説『アーサー・ゴードン・ピムの物語』に影響を受けています。
エドガー・アラン・ポーの名言
とかれることを望まない秘密だってあるさ。
There is a secret that I do not want to be called.
探偵や警察といった職業のほかにも好奇心旺盛だと色々な秘密を解きたくなるものですよね。しかし、世の中には「知らなくて良い秘密」もたくさんあります。この名言は知らない方が良い秘密を明確に表現した言葉です。
ネコのようにミステリアスに書けたらと思う。
I wish I could write it mysterious like a cat.
ネコはとても不思議な行動をする生き物として知られています。地震を予知する能力や驚異的な跳躍力などまだまだ知られざる秘密がたくさんあるのです。ポーはそんなネコのミステリアスな部分を羨ましく思っていたのでしょう。
主よ、あわれなわが魂を救いたまえ。
Lord help my poor soul.
この言葉はポーが死ぬ間際に言った台詞といわれています。文学の才とは逆に貧しい生活を送ってきたポー。結婚を控えていた時期の死でしたから、最期の瞬間こそ神に祈りたかったのでしょう。
エドガー・アラン・ポーの人物相関図
エドガー・アラン・ポーにまつわる逸話
逸話1「ポーの作品はアメリカで不人気?」
ヨーロッパや日本で高い評価を受けていた一方で、母国アメリカではポーの作品はあまり評価を得られませんでした。理由のひとつとしてはアメリカ文学の始まりがアメリカ北部であったことがあげられます。
文学においての地位や名誉を決める権限を持っていたのが北部の人々だったため、アメリカ南部出身のポーは当初からあまり良い目で見られていなかったのです。それに加えて、当時のアメリカ北部は清教徒*の多い地域だったために文学は道徳や倫理性が重視されました。
ポーの作品は恐怖小説など不健全なものばかりだったため、文学作品として正しい評価を受けることができなかったのです。そのうえ、評論家のルーファス・ウィルモット・グリスヴォルドが個人的な恨みからポーを非難する著書を書いたために長い間アメリカではポーの存在が悪く思われていました。
ポーの功績がアメリカで正式に認められたのは19世紀末から20世紀のころであり、1954年には優れた推理作家に送られる「エドガー賞」が設立されてやっと母国でポーの名誉が認められたのです。
逸話2「大酒飲みでトラブル体質」
ポーは優秀な小説家であり学業の面でも良い成績をおさめていましたが、大酒飲みという困った癖がありました。
妻ヴァージニアと結婚する際に叔母の大反対にあった時は精神的不安定となり飲酒の量が増え、ヴァージニアが結核で倒れたときもお酒に走り仕事を休みがちになるなどお酒のトラブルが絶えなかったのです。
ヴァージニアの死後に数人の女性と浮名を流し、その中でホイットマン夫人と婚約するも「禁酒する」という約束を破ったため破談となりました。
亡くなる直前もお酒を飲んでおり、ポーにとってお酒は苦しい生活を忘れさせてくれる唯一の手段だったのかもしれませんね。