エドガー・アラン・ポーとはどんな人?生涯・年表まとめ【代表作品も紹介】

1839年 – 30歳「『ジェントルマンズ・マガジン』に編集者として勤務」

ポーが編集した『ジェントルマンズ・マガジン』
出典:Wikipedia

自分の功績に見合った給料が支払われていない件などから創刊者と反りが合わなくなり、ポーは『メッセンジャー』の職を辞めてしまいます。そして、新たな雑誌『ジェントルマンズ・マガジン』で編集者として働くようになりました。

『メッセンジャー』から『ジェントルマンズ・マガジン』に移る間にポーは冒険小説『アーサー・ゴードン・ピムの物語』を書き上げ、一時は話題作としてもてはやされます。

その後、『ジェントルマンズ・マガジン』では『アッシャー家の崩壊』などの恐怖小説を出版。賛否両論を得ますが、大きな反響も呼びました。

1841年 – 32歳「『グレアムズ・マガジン』の編集者となる」

しかし、再び創刊者と揉めて『ジェントルマンズ・マガジン』を辞職。その後、新たに創刊された『グレアムズ・マガジン』の編集者になりました。この雑誌では『モルグ街の殺人』や冒険小説『メエルシュトレエムに呑まれて』などを出版。イギリスを代表する作家チャールズ・ディケンズにも面会したのも『グレアムズ・マガジン』に勤めていた頃です。

1842年 – 33歳「妻ヴァージニアが病にかかる」

恐怖小説『黒猫』の挿絵
出典:Wikipedia

ポーは雑誌の編集をするうちに自分の雑誌を創りたいと思い始めました。しかし、そんな時に妻ヴァージニアが自宅で血を吐いてしまい結核と診断されたのです。当時、結核は不治の病とされていました。

愛しい妻が結核だと知り、ポーは打ちのめされ『グレアムズ・マガジン』の仕事も辞めてしまいます。その後は冒険小説『黄金虫』や恐怖小説『黒猫』を出版し、生活費を稼ぎました。しかし、大作である詩『大鴉』も僅かな報酬しかもらえず生活はどんどん貧しくなっていったのです。

そして、木造建築の家屋に引っ越した翌年に妻ヴァージニアが死去。ポーとの11年の結婚生活に幕を下ろしたのです。

1848年 – 39歳「数々の女性と浮き名を流す」

エルマイラ・ロイスター
出典:Wikipedia

ヴァージニアの死後、ポーは長編の論考である散文詩『ユリイカ』にて宇宙論を展開しました。しかし、著作の売れ行きも講演もあまり上手くいきません。そんな中で、ポーは夜会や講演で出会った夫人たちと浮名を流します。

一時はホイットマン夫人と婚約しますが、禁酒の約束を破ったために破談。その後、若き頃の恋人エルマイラ・ロイスターが未亡人となって現れたため彼女と婚約します。

1849年 – 40歳「エドガー・アラン・ポー死去」

エドガー・アラン・ポーのお墓
出典:Wikipedia

エルマイラとの結婚を控えた1849年の9月。ポーは作品作りのためニューヨークに渡りました。ボルティモアで数泊し、10月3日に泥酔状態のところを友人に発見され病院に運ばれます。

危篤状態が続いたものの、10月7日の早朝に息を引き取りました。文学者・編集者として生きたエドガー・アラン・ポーは40歳の生涯に幕を閉じたのです。

エドガー・アラン・ポーの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

E・A・ポー ポケットマスターピース09

ジャンルを問わず、ポーの作品が20編収録されています。作品の解読や解説もついていますので、エドガー・アラン・ポーの作品を初めて読む人におすすめです。

ポー詩集ー対訳

ポーの叙事詩が23篇収録されています。左ページに英語、右ページに日本語訳があり非常に分かりやすい本です。英語の勉強にもなるおすすめの1冊といえるでしょう。

おすすめの映画

推理作家ポー 最期の5日間

エドガー・アラン・ポーが自身の著作を真似した連続殺人鬼を探し出すというサスペンス・スリラー映画です。本来の登場人物や時系列と合わない点はありますが、ポーの作品の世界観と当時の社会文化を観ることができます。

関連外部リンク

エドガー・アラン・ポーについてのまとめ

今回は、後世の文学に大きな影響を遺したエドガー・アラン・ポーの生涯について解説しました。現在では小説家としても詩人としても偉大な人物として知られているポーですが、生前は正しい評価を受けられなかったという悲しい事実があります。

13歳の少女と結婚したり飲酒のトラブルがあったりと破天荒な一面はあったものの、文学に対する熱意と小説や詩に対する才能は本物でした。短編小説や詩集など読みやすい作品ばかりですので、まだ読んだことがない作品がある人はこの機会にぜひ読んでみてください。

影響を受けた作家江戸川乱歩の作品と読み比べてみるのもおすすめですよ。ポーの世界に浸ってみてくださいね!

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