足利義栄はどんな人?生涯・年表まとめ【死因や家系図、子孫も紹介】

足利義栄(あしかが-よしひで)は、言わずと知れた室町幕府14代将軍です。義栄は将軍としての在職期間は短いものの、先代将軍を殺害され心の拠り所もない中、幕府内の人事整理や政所のトップを代々受け継いでいた伊勢氏を再興するなど、独自の幕府政治を行いました。

足利義栄
出典:Wikipedia

とはいえ、歴史的にも有名な足利義輝と足利義昭の間で将軍を務めたため、この記事を訪れた方の中には

「足利義栄ってどんな人?」
「足利義栄の功績についてが知りたい!」
「義栄は室町幕府にどんな影響与えたの?」

など、足利義栄への印象が薄く、実際にどんな人物だったのかを詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。

この記事では、足利義栄のことを調べていく内に有能さに気が付いた筆者が、義栄が残した功績や逸話、子孫の有無までさまざまな角度から足利義栄とはどのような人物だったのか迫ってみたいと思います。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

足利義栄とはどんな人物か

名前足利義栄
役職室町幕府14代将軍
誕生日天文7年(1538)
没日永禄11年(1568)9月
生地阿波国那賀郡平島の平島館
没地阿波国
配偶者結城氏
埋葬場所徳島県阿南市西光寺

足利義栄の生涯をハイライト

「麒麟が来る」で一ノ瀬颯さん演じる足利義栄
出典:MANTAN WEB
  • 天文7年(1538):足利義維の長男として誕生
  • 永禄8年(1565):三好三人衆によって次期将軍候補として擁立される
  • 永禄9年(1566):阿波国(現在の徳島県)から摂津国(現在の大阪府)へ移る
  • 永禄11年(1568)2月:室町幕府14代将軍に就任
  • 永禄11年(1568)9月:持病の悪化により病死。31歳。

三好三人衆から支援を受けていた義栄

三好三人衆の1人・岩成友通
出典:Wikipedia

足利義栄は、天文17年(1538)に足利義維(あしかが-よしつな)の長男として阿波国で生まれます。この当時の室町幕府は、三好氏の台頭によって権力は地に落ちる寸前でした。

そんな中、永禄8年(1566)に義栄の従兄弟で室町幕府13代将軍・足利義輝が暗殺される永禄の変が起こります。室町幕府再興を目指した義輝を暗殺した三好三人衆は、堺公方と称されていた義栄の父・足利義維を次期将軍候補に考えますが、病気を患っていたため、除外。

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そこで義維の代わりとして将軍候補に挙がったのが、義栄でした。三好三人衆の支援を受けた義栄は将軍になるべく阿波国から京都へ上洛を目指しました。

三好三人衆とは

三好政権を築いた三好長慶の死後、政権を支えた三好長逸、三好宗渭、岩成友通の3人を指した呼称。3人とも三好一族の重鎮または重臣であり、主君の三好義継よりも権力を有していました。

義昭の対抗馬でもあった義栄

歴代室町幕府将軍の中で一番長命だった足利義昭
出典:Wikipedia

足利義栄の他に将軍になるべく上洛を目指していた人物がいました。それは足利義昭で、室町幕府15代将軍となった人物です。

義昭は、永禄の変の際に逃げることを手助けした松永久秀に助けられます。そして、織田信長から支援を受け、上洛を目指します。しかし、三好三人衆の働きで上洛計画が中止になったことにより、義栄が一足先に将軍宣下を受け、永禄11年(1568)に室町幕府14代将軍となりました。

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政治力に長けていた義栄

ケチだった松永久秀
出典:Wikipedia

三好三人衆の支援を受けたことから、傀儡将軍と評価を受けている足利義栄。実のところ、そんなことはありませんでした。

永禄8年(1566)、三好三人衆が松永久秀と対立すると、久秀討伐令を出したり、将軍になった後には頼みにできる先代将軍や義栄の父・義維がいない中で、人事の整理を行ったりと、幕府政治の手腕や判断力に長けていました。

死因は腫物

足利義栄の腫物は背中にあった

足利義栄は永禄11年(1568)9月に、将軍就任からわずか半年ほどで亡くなっています。死因は昔から患っていた腫物の悪化が原因となりました。

義栄死後により、三好三人衆の勢力が弱まったことで義昭が上洛を経て、同年10月に室町幕府15代将軍となりました。

足利義栄の子孫

足利義栄は若くして亡くなったため、子どもはいません。しかし、義栄の弟・足利義助の血筋は現代まで続いていました。

義助の血統は、義助が阿波国平島で生まれたことから「平島公方」と呼ばれており、現当主の足利義弘さんで14代目となります。ちなみに義弘さんは全国足利氏ゆかりの会特別顧問を務められています。

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