元禄文化とは、江戸時代前期に生まれた文化です。戦乱が続いた時代が終わり、井原西鶴や尾形光琳といった、煌びやかで華やかな、快楽を求める作品が多く生まれました。
また、江戸時代の文化は、元禄文化の他に化政文化も知られています。どちらも同じ江戸時代のものではありますが、その時代背景の影響から、生まれた作品も文化全体の印象も大きく違います。
この記事では、元禄文化を生み出した代表的な人物や作品を紹介するとともに、化政文化との違いについても触れています。元禄文化自体を掘り下げるだけではなく、化政文化と比較することで、元禄文化の特徴がより深く理解できるようになるはずです。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
元禄文化とは?
元禄文化とは、江戸時代前期に生まれた町人文化です。主に5代将軍徳川綱吉の治世の文化で、その時代の中心である1688〜1703年の年号「元禄」から元禄文化と呼ばれています。
徳川綱吉とはどんな人?生涯・歴史年表まとめ【性格や身長・死因も紹介】
上方で花開き、経済の発展が目覚ましい時代背景もあって、町人・商人層にも広がりを見せました。それまでの文化は大名や公家・有力町人が主な担い手でしたが、元禄文化は幅広い層に受け止められる、成熟した文化となりました。
元禄文化の3つの特徴
1.鎖国を背景に生まれた日本独自の文化
外国の影響を受けることなく、日本特有の文化となったのは元禄文化の大きな特徴です。17世紀半ばごろから行われた、鎖国による外国船の来航禁止により、これまでのように外国からの文化が入ってこなくなりました。そのため、日本国内で独自の文化が創られていったのです。
2.政治が安定して学問が重視された文化
元禄文化では、学問が盛んに行われました。社会が安定してきたことで、身分秩序を大切にした「忠孝・礼儀」を尊ぶ儒学が広まります。儒学によって合理的なものの考え方が人々に浸透していき、科学分野の発達にも繋がりました。医学や天文学、本草学など、日常生活に役立つ学問である実学が大きく進展したのが元禄時代です。
また、理論的なものの考え方が広まったことで、武士に為政者としての自覚を促す学問も発達しました。これによって社会における秩序を保ち、幕藩体制を維持しようとしたのです。
3.出版や印刷技術の向上で発展した文化
元禄文化が大名や公家・有力町人のみならず、商人や一般町人にまで広がった背景に、出版技術の向上があります。
元禄期には庶民的な風俗画として浮世絵が登場します。まだ墨刷り一色の版画ではありましたが、当時のかけ蕎麦一杯の価格と同程度の、今でいうと500円でお釣りがくる位の価格で浮世絵を買うことができました。この価格設定は、出版業者である版元が数多く生まれ、木版技術が発達して、作品の大量生産ができるようになったことで可能になりました。
化政文化との違い
化政文化とは
化政文化は江戸時代後期に江戸で生まれた町人文化です。11代将軍徳川家斉の治世を中心に、洒落(しゃれ)や通(つう)を好んで野暮(やぼ)を笑うという、刹那的で快楽を追い求めたのが特徴です。派手さよりも粋を重んじて渋さを重視しました。
1804〜1817年の「文化」、1818〜1829年の「文政」という年号から一字ずつを取って化政文化と呼ばれています。
元禄文化と化政文化の違い
文化の中心地
元禄文化は、上方を中心に発展しました。江戸幕府が開かれて約100年は経っていますが、商業都市として最も栄えていたのは、当時はまだ江戸よりも上方と呼ばれる京都や大阪だったからです。
一方、化政文化は江戸を中心に広まりました。江戸時代も後期となり、江戸が上方と並んで大きな経済都市に成長したためです。
文化の担い手
元禄文化は大名や豪商、有力町人だけではなく、一般の町人や商人も担い手となりました。化政文化は、主体が町人です。庶民が中心となり、全国的な広がりをみせた多種多様な文化となりました。