【超入門】日本美術史とは?年表順にわかりやすく徹底解説

不明 – 不明年「紫式部」

紫式部

どんな人? – 作家・歌人と多彩な才能の持ち主

平安時代は仮名文字が発展したことによって書物が多くできた時代です。紫式部は「源氏物語」や宮中での生活の様を書いた「紫式部日記」などを残しており、現代の我々も1つの長編物語として楽しめます。作家としての才能だけでなく歌人としても活動しており「紫式部集」は彼女の人生を詠んだ作品となっているほか「小倉百人一首」には和歌が収められていたりと作家・歌人と多彩な才能を持った女性であることが分かります。

966年頃 – 1025年頃「清少納言」

清少納言
出典:Wikipedia

どんな人? – 紫式部と並び平安時代を代表する作家・歌人

清少納言の生まれた家庭は朝廷に仕える貴族でした。そのため清少納言も一条天皇の妻である定子の教育係に任命されるなど宮中を支えた1人です。しかし藤原家の権力争いが起こり始め清少納言は宮中を去ったり、戻ったりしています。ちょうどその頃から書き始め出来上がったとされるのが「枕草子」です。

「枕草子」は自然についてや宮中について、さらには身の回りで起きた出来事などを清少納言独自の見方で書かれている随筆になります。清少納言が仕えていたのが定子、紫式部が仕えていたのが彰子とどちらも天皇の妻として名を挙げられる人物に仕えていたため清少納言と紫式部はライバル関係に位置づけされることが多いです。ただ実際には宮中にいた時期が違い2人は会ったことがないとされているそう。

872年 – 945年「紀貫之」

紀貫之

どんな人? – 歌人として最大の功績を残した人物

紀貫之が有名になった理由は「古今和歌集」の撰者となったことが大きいです。また古今和歌集に添えられた序文「仮名序」を執筆したことで後世の日本文学に大きな影響を与えました。さらには散文作品「土佐日記」も執筆しており、これは日本文学において完本として伝わる最古のものとされています。

1185年「鎌倉時代」

鎌倉時代に建立した南禅寺

どんな時代? – 政権が変わったことにより日本文化も変化

これまで政権を支配していた貴族に変わり、鎌倉時代は武士が政権を握り始めました。そのため庶民の感覚が反映された作品が多くなったり、中国から亡命してきた人たちによって浄土宗や浄土真宗といった新たな宗教が広まったりしました。 また鎌倉時代の特徴的な美術文化としては絵巻物に人物の肖像画が出始めたことです。絵画用語で似絵と呼ばれる肖像画が出始めたことにより、その当時活躍した人物を我々は絵を見て学ぶことができるのです。ただ権力争いで幕府が混乱していたからか、絵巻をはじめ絵画などは誰が作者なのかわからない作品も多いです。

活躍した武将・仏師は?

  • 源頼朝(尾張国)
  • 運慶(奈良県)
  • 快慶(不明)

1147 – 1199年「源頼朝」

伝源頼朝像

どんな人? – 征夷大将軍となり新たな時代を築いた人物

1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼし、武士の反乱を防ぐため全国に守護・地頭を設置した源頼朝。勢力を強めた源頼朝は征夷大将軍に任命され、新たな時代となる鎌倉幕府を開きました。 また源頼朝を語る上で重要な人物が1人。北条政子です。源頼朝が亡くなってからも彼を敬い、鎌倉幕府を守り続けました。特に幕府に対して不安を感じていた武士たちに行ったとされる演説「最後の詞」は御家人を感動させ後の永久の乱の勝利に貢献し幕府を支えました。

源頼朝の名言

大事を思ひはからふ者、物とがめをせず、事ならぬことを事になさず。 名言の引用元http://meigen.pt-hamamoto.biz/index.php?901

身を重くし心を長くして、あだ疎かに振舞はず、小敵なりとも侮る心なくて、物騒がしからず計らひ、たばかりをするが、能き事にてあるぞ。 名言の引用元https://happytam.com/2018/12/22/post-663/

不明 – 1224年「運慶」

金剛力士像

どんな人? -東大寺のシンボル金剛力士像を創作した仏師

焼き討ちによって東大寺は焼失してしまいましたがその再建の際、運慶は像の制作指揮官であったとされています。出来上がった金剛力士像は阿形像と吽形像の2体でできており寺院内に敵が入らないようにとの意味を持ちます。運慶はこのほかにも多数の仏像を作っていますが現存する仏像はすべて重要文化財か国宝に指定されていることから運慶は鎌倉時代を代表する仏師であったことが分かります。

1336年「室町時代」

鹿苑寺金閣

どんな時代? – 武家が美術文化においても輝いた

足利氏によって京都に開かれた室町幕府。武家が政治を行う時代でありながら文化的な面でも活躍した時代になります。特に大きく2つに文化が分けられており3代目将軍・足利義満の時代を北山文化。8代目将軍・足利義政の時代を東山文化としています。 北山文化では金閣寺や能、狂言等が代表的な一方、東山文化では銀閣寺のほか理念の1つである幽玄や美意識の1つであるわび・さびが生まれたとされています。

活躍した武将は?

  • 足利尊氏(神奈川県)
  • 足利義満(京都府)
  • 足利義政(京都府)
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