【超入門】日本美術史とは?年表順にわかりやすく徹底解説

1358 – 1408年「足利義満」

足利義満

どんな人? – 南北朝を統一したお金持ち

父親が亡くなってしまったためわずか10歳にして3代目将軍となった足利義満。周囲に支えられながら分裂していた南北朝を統一、また中国との交流も盛んに行い貿易をはじめ文化や文明発達に貢献しました。そうした活動の中徐々に富を得た足利義満は別荘を建てます。これが後の金閣寺となるのです。2階と3階は金箔がたくさん貼られておりいかにお金持ちだったかが分かる建物となっています。 義満はこのほか京都に八角七重塔の建設を進めたとされます。

1436 – 1490年「足利義政」

足利義政

どんな人? – 将軍の仕事より芸術にのめり込んだ一生

8代目将軍に任命された足利義政。しかしながら幕府の財政難や一揆に悩まされ将軍として自ら政治を行うことは少なく、文化人としての活動の方が多かったといわれています。 茶道・華道・日本庭園など現代にもなお続いている文化がこの時代に生まれました。そしてもう1つ足利義政が残した功績は銀閣寺の建立です。銀閣寺には書院造の原型があり、今日の日本の住宅建築に影響を与えたことが分かります。ただ銀閣寺が完成する前に足利義政は亡くなってしまいました。

1568年「安土桃山時代」

南蛮人渡来図

どんな時代? – 南蛮文化の広がりと桃山文化の誕生

織田信長と豊臣秀吉が政権を握り、フランシスコ・ザビエルをはじめ多くの宣教師がキリスト教を布教した時代です。宣教師たちは日本に訪れた際に時計や眼鏡を贈呈したり、天文学や数学といった知識を伝えたりとヨーロッパの文化や文明(南蛮文化)を日本に伝えました。

そうした海外との盛んな交流から日本はこれまで仏教色の強かった文化から現実的、あるいは世俗的な作品(桃山文化)に変化していきました。またこの時代は城を多く築いた時代でもあったため権威の象徴的な意味合いで天守閣も生まれました。

活躍した茶人は?

  • 千利休(大阪府)
  • 今井宗久(奈良県)
  • 津田宗及(不明)

1522 – 1591年「千利休」

千利休

どんな人? – 天下三宗匠と称されたわび茶の完成者

千利休は豊臣秀吉の側近であり、その上豊臣秀吉からかなり信頼されていた1人とされています。豊臣秀吉から茶室を作るよう命令されてからより茶人として活動し始め茶会を開くほか大名である弟子たちも多くいたそうです。彼の1番の功績としてはお茶の様式である「わび茶」を完成させたということ。新たな流派を作ったものの最終的には豊臣秀吉の逆鱗に触れ、豊臣秀吉から切腹を命じられ自害しました。

千利休の名言

守りつくして、破るとも、離るるとても、本を忘れるな。/名言の引用元https://spirituabreath.com/sennnorikyuu-meigenn-10269.html

当たり前のことが、いつでもどこでもできるならば、私があなた方の弟子になりましょう。/名言の引用元https://spirituabreath.com/sennnorikyuu-meigenn-10269.html

1603年「江戸時代」

洛中洛外図屏風(部分)

どんな時代? – 長期にわたり安定的な政権が維持され美術文化も発展

1603年に徳川家康が征夷大将軍に任命されたことから始まった江戸幕府。以降安定して政治を行い幕府は200年以上続き平和がもたらされた時代です。比較的平和な時代であったため、庶民も美術を楽しむことができ特に版画は著しく発展を遂げました。 現在、我々が楽しんでいる俳諧・人形浄瑠璃・歌舞伎・舞踊・落語などはすべて江戸時代に生まれており、後世の日本に大きな影響を与えています。

活躍した画家は?

  • 菱川師宣(安房国)
  • 喜多川歌麿(不明)
  • 葛飾北斎(江戸)
  • 歌川広重(江戸)

1618 – 1694年「菱川師宣」

『見返り美人図』菱川師宣

どんな人? -「浮世絵の祖」と呼ばれる確立者

菱川師宣は狩野派・土佐派などの画家から絵画技法を学び、そこから独自の技法を生み出しました。そしてそれを生かし数々の挿絵を描いたとされています。次第に挿絵が1つの絵として評価され始め版画により大量生産できたことによって庶民も芸術を楽しむことができたのです。 彼の代表作としては世界的にも評価されている「見返り美人図」です。この絵は東京国立博物館に収蔵されており、また昭和になると記念切手の図案に採用され多くの人に菱川師宣が知られるきっかけになりました。

1753頃 – 1806年「喜多川歌麿」

『姿見七人化粧』喜多川歌麿

どんな人? – 女性の美を追及し続けた浮世絵師

喜多川歌麿の作品はとても繊細で美しい曲線が特徴です。さまざまな姿態と女性の表情の美しさを描いています。さらに当時流行していた狂歌に絵を合わせた狂歌絵本も著し、狂歌人気と相まって彼の出世作になりました。

数多くの絵画を描いた喜多川歌麿ですが開国後に多くの作品が海外に流出しておりボストン美術館には383点にも及ぶ絵画が所蔵されています。ただ長い間公開をしていなかったため大変保存状態が良くいまでも鮮やかな絵を見ることができます。

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