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チャールズ・マンソンとはどんな人?起こした事件や逸話、生涯まとめ

「チャールズ・マンソンの事件を知りたい」
「映画で見たけどマイソン・ファミリーってどんな集団?」

チャールズ・ミルズ・マンソンはアメリカのカルト指導者であり、「マンソン・ファミリー」という集団を操り9名の殺害を指示した人物です。実は自分が手を下していないことを知らない人も多いですが、この事件は日本で起こった「オウム真理教」の事件の時に、洗脳事件として取り上げられることもあったのを記憶している人もいるでしょう。

チャールズ・ミルズ・マンソン
出典:Wikipedia

犯罪を見てみると、事件は非常に残酷であり見るに堪えない事件ばかりです。しかし今後マンソン・ファミリーのようなカルト集団が現れないように事件を見直し対策することも必要だと感じます。この記事ではチャールズ・マンソンの犯罪内容から、当時の時代背景なども含めてどのような人物かを解説していきます。

※この記事では事実を正確に伝えるために、残酷な内容が続きます。苦手な方は次の項目を読むことや、年表を読む等自衛をお願い致します。

チャールズ・マンソンとはどんな人物か?

名前チャールズ・ミルズ・マンソン
誕生日1934年11月12日(推定)
没日2017年11月19日
国籍アメリカ合衆国
没地アメリカ合衆国カルフォルニア州
犠牲者9名
犯行期間1968年
死因急性心筋梗塞

チャールズ・マンソンが起こした事件とは?

注意!残酷な表現が登場します

まず「キング・オブ・カルト」といわれたチャールズ・マンソン率いるマンソンファミリーの犯罪を綴っていきます。マンソン・ファミリーは1968年の2ヶ月で4つの事件を起こし、9名を殺害しています。事件は非情の残虐かつ異常であり、当時のアメリカの人々を恐怖に陥れました。今からマイソンファミリーが起こした事件の概要を紹介します。

起こした事件の概要

マンソン・ファミリー、小さな洞窟は敵が襲ってきたときに使用する目的だったそうだ
出典:exciteニュース

1967年にカルフォルニアを拠点とした「マンソン・ファミリー」という共同体を結成し、女性を性によって洗脳し指図するようになりました。そしてマンソンの信奉者はマンソンの命令に従って1969年の7月から8月にかけて、4つの場所で9名を殺害したのです。

最初の事件は、麻薬の番人で音楽教師のゲイリー・ヒンマンがカルト集団の3名によって殺害されます。この時ヒンマンをナイフで殺害し自動車を奪い逃走、あたかも黒人解放組織ブラックパンサー党の犯行に見えるように偽装しました。

最初の事件はブラックパンサー党の犯罪に見えるように偽装している
出典:Wikipedia

次にマンソンはファミリーに殺害を命令。もっとも有名なテート・ラビアンカ殺人事件を引き起こします。この時に妊娠8か月だったシャロン・テートを含めた4名を殺害。数日後に同じ手口でスーパーマーケットチェーンのラビアンカ夫妻を殺害したのです。

逮捕までの流れ

マンソンファミリーが拠点としたスパーン映画牧場
出典:HUFFPOST

最後の殺害事件から一週間もたたないうちに、警察が車両窃盗の疑いでマイソンファミリーが暮らすスパーン牧場を家宅捜索し逮捕に至りました。しかしこの時はまだ、殺人事件の容疑者とはみなしていませんでした。そして証拠不十分として釈放されています。

しかし捜査は2か月後に急展開を迎えます。実行犯の一人、ボーソレイユの恋人が逮捕され自分の無実を証明するためにファミリーの悪事を暴露。同じころに他の容疑で捕まっていたスーザン・アトキンスが自分はテート殺しの実行犯だと同じ独房の囚人に自慢し、囚人が看守に密告。そこからイモづる式にマンソンやファミリーは逮捕されたのでした。

チャールズ・マンソンの起こした主な3つの殺人事件と被害者

マンソン・ファミリーの女性
出典:RollingStone

チャールズ・マンソン率いるマンソン・ファミリーは9名もの犠牲者を出していますが、大きく分けると3つの事件に分類されます。その3つの事件の詳細を紹介します。

第一の事件「ゲイリー・ヒンマン殺人事件」

最初の犠牲者ゲイリー・ヒンマン
出典:知的好奇心の扉 トカナ

1969年の7月25日に最初の犠牲者となったのは、自宅に2万ドルの隠し遺産を持っているという噂だった麻薬の売人で音楽教師だったゲイリー・ヒンマンでした。そもそもファミリーの3名がヒンマンの自宅に借金の取り立てにいったのが事の発端だったといいます。

3人はヒンマンを詰問。マンソンはヒンマンの自宅を訪れ、短剣で耳を切り落としたりなどの苛烈な拷問を加えて金の隠し場所を白状させようとしています。そしてマンソンは「殺せ」と命じて立ち去りました。

ナイフで苛烈な拷問を加え遺産を探し回っていた

その後メンバーはヒンマンを縛ったまま家宅捜索を続けますが結局遺産は見つからず、夜明け頃、ヒンマンは窓に駆け寄り大声を出して助けを求め始めてます。その行動にパニックになったファミリーの一人が、ナイフでヒンマンの胸を二突きし殺害しました。

ブラックパンサーのシンボルを残し犯行を偽装しようとした

3人はヒンマンの血で壁に「政治豚(Political Pig)」と書き、ブラックパンサー党のシンボルの「猫の手」を描き、ブラックパンサー党の犯行のように偽装しました。ファミリーはヒンマンの遺体を、ヒンマンの車に乗せスパーン牧場に帰っています。

第二の事件「シャロン・テート殺人事件」

殺害されたシャロン・テート
出典:Wikipedia

1969年の8月に車両窃盗の罪で逮捕されたファミリーの一人を助ける目的で、当時妊娠8か月だった女優シャロン・テートとテートの元婚約者そして夫の友人4名、合わせて5名が惨殺されました。

今回は殺人目的でしたが、マンソンがターゲットに選んだ理由は酷く理不尽なものでした。元々シャロン・テートの家の前の住人はレコード・プロデューサーが住んでいました。

前の住人だったテリー・メルサー(一番左の人物)
出典:Wikipedia

その人物に苦情を言うために訪問すると、既に住んでおらずシャロン・テートが住んでいたのです。そして使用人に塩対応されたことを恨んだための犯行でした。驚くべきことに、マンソンファミリーは現在住んでいるのが誰かを知らなかったといいます。

夫人は妊娠8か月であったにもかかわらず惨殺された

襲撃の当日、テートの夫は欧州に出張に出ており、家には妻のテートが夫の代わりに4人をもてなしていました。マイソンの指令を受けたマンソンファミリーの4人は潜入して見つかったため1人を銃殺。その後被害者たち4人をリビングに集め殺害。この時テート夫人は妊娠8か月だったといいます。

4人を刺殺しテート夫人が赤ちゃんが産みたいと請うのも耳を貸さず16箇所も刺し殺害しました。彼らはここでもリビングのドアに「pjg(豚)」と書き残しています。

第三の事件「ラビアンカ夫妻殺人事件」

「豚に死を」と書かれた壁
出典:殺人博物館

テート殺害事件の翌日に、スーパーマーケットチェーンのオーナー、レノ・ラビアンカの家を襲っています。そしてラビアンカ夫妻が犠牲となりました。事件の動機は「金持ちであれば誰でも良かった」という驚くべき理由だったといいます。

この時マンソンは夫妻を縛り上げ、ファミリーに殺害を指示。ファミリーはナイフやフォークで、夫妻を刺殺しました。そしてレノ・ラビアンカのお腹には「war(戦争)」と刻み、壁に「Death to pig(豚に死を)」、冷蔵庫に「Healter Skelter(ヘルタ・スケルター)」と血で書き残しています。

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