鎖国から開国までの簡単年表
江戸幕府は慶弔17年(1612)に起きた岡本大八事件をきっかけに、同年には幕府が管理する領地に禁教令を発布。そして、慶長19年(1614)には全国へ規模を広げ、多くのキリスト教徒がマカオかマニラへ国外追放となりました。
平山常陳事件とは平山常陳が船長を務めた朱印船が、ポルトガル人やスペイン人の宣教師を乗せて帰国を試みたところ、イギリスとオランダの船に見つかった事件です。江戸幕府はこの事件を機に、元和の大殉教と呼ばれる大規模なキリスト教弾圧をしました。
イギリスは同年に起きたアンボイナ事件でオランダに襲われたことでアジア諸国から撤退。今後はインドでの貿易に専念したため、日本の平戸にあるイギリス商館を閉鎖し、貿易も今後一切行われませんでした。
この当時のスペインの狙いはフィリピンとメキシコ間での貿易でした。キリスト教布教の観点もあり、この時点からスペイン船は来航を止めました。
江戸幕府は寛永10年(1633)に第一次鎖国令を出し、奉書船以外の来航を禁止と同時に5年以上海外にいる日本人の帰国を禁止します。翌年の第二次鎖国令では、第一次鎖国令の再通達をしました。
寛永12年(1635)の第三次鎖国令では、中国とオランダ船の入港を長崎に限定します。さらには、日本人の海外渡航も禁止しました。
寛永13年(1636)に出された第四次鎖国令で、貿易に関係ないポルトガル人をマカオへ追放します。追放対象はポルトガル人と結婚した日本人にまで及び、287人がその対象となりました。また貿易に関係するポルトガル人たちは長崎の出島へ移されました。
島原の乱は、島原半島と天草諸島の領民たちが藩主の重税とキリスト教弾圧に耐え切れずに起こした日本史史上最大規模の一揆です。島原の乱鎮圧後、江戸幕府はポルトガルとの貿易を断絶する方向性となりました。
ポルトガルとの貿易を断絶するためには、オランダとの貿易だけで完全にまかなえるかが懸念点としてありました。その見通しがついたことで、江戸幕府は第五次鎖国令を発布。ポルトガル船の来航を禁止したことで、鎖国体制が確立されました
ポルトガルは日本と再び貿易を試みるため、寛永17年(1640)に使者を送ります。しかし、江戸幕府は使者を処刑し貿易再会を拒否。正保4年(1647)に再度交渉を試みますが、再び拒否されたことで、以後ポルトガル船の来航はなくなりました。
リターン号事件は貿易再開を求めたイギリス船・リターン号を、イギリス王チャールズ2世がポルトガル王女カタリナと結婚していることとイギリス商館を一方的に閉鎖したことにより、入港拒否。イギリス船の来航を禁止した事件です。この事件により、ヨーロッパから来航する船は、しばらくの間オランダのみとなりました。
文化露寇は外交使節としてロシアから派遣されたニコライ・レザノフが部下に日本の北方を攻撃させた事件です。この事件により、鎖国で平和が築かれていた日本に国防の重要性を認知させ、江戸幕府は鎖国体制の維持と国防強化を目標としました。
フェートン号事件は、オランダ船と偽って入港したイギリス船フェートン号を入港させてしまった事件です。この事件で、日本はイギリスを危険な国と見なし、英語の研究が盛んに行われました。また、この事件以後、イギリス船が日本に現れることになります。
大津浜事件は水戸藩領内の大津浜でイギリス人12人が上陸し、水戸藩による尋問の後、食料を与えて全員を返した事件です。この事件の対応を水戸学の学者・藤田幽谷は強く批判。そして、攘夷運動に繋がっていきます。
フェートン号事件、大津浜事件により、異国船打払令が発布されました。内容は中国やオランダ船以外で日本に接近する外国船は容赦なく砲撃するということでした。
モリソン号事件は日本人漂流民を乗せたアメリカの商船・モリソン号をイギリスの軍艦と勘違いして砲撃した事件です。この事件を受けて、国内で江戸幕府の鎖国政策を批判した者を逮捕する蛮社の獄が起こりました。
薪水給与令は外国船に飲料水や燃料の提供を認める法令です。この法令はモリソン号事件や天保11年(1840)のアヘン戦争で中国がイギリスに負けたことが要因で出されました。
マシュー・ペリー率いる4隻の船が浦賀に停泊し、開国を要求します。日本に蒸気船が来航したのはこれが初めてでした。
再来航したペリーと日本は日米和親条約を締結しました。これにより、下田と箱館を開港した日本は約200年に及ぶ鎖国体制を終え、開国しました。
鎖国に関するまとめ
今回は、鎖国について解説しました。
江戸幕府はキリスト教から日本を守るために鎖国体制をしきました。これにより、長期的な平和を築けたものの、技術面においてヨーロッパ諸国から後れを取る形となります。
しかし、海外と極力国交を結ばなかったことにより、元禄文化といった平安時代の国風文化のような日本独自の文化が花開いたことも事実。鎖国によって失ったものもあれば、得たものもあったことがわかりました。
この記事を通して、鎖国について興味や関心を持っていただけたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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