大宝律令制定による影響
中央集権体制が完成した
大宝律令施行は天智天皇の時代から日本の悲願だった、天皇を頂点とした中央集権の律令国家の完成の総仕上げでした。
大宝律令に至るまで天智、天武天皇の時代から戸籍を作り、班田収授を行ない、持統天皇の時代に律令国家の舞台装置となる藤原京(のちに平城京に遷都)の都が完成。そして最後に国を動かす仕組みとなる律令が完成し、律令国家が完成したのです。
大宝律令の施行により、国家という枠組みが立ち上がり、それに沿って国の中で生きる人々の生活が始まります。年号や暦を使い、官僚制の整備、戸籍の作成と税金の徴収などがスタート。そうなると行政機関で働く役人が登場する一方で庶民は税をおさめ、道路や都の造営、防衛に駆り出されました。
国を支える税制をきちんとシステム化したことも国の安定的な運営を可能にし、その仕組みが全国に浸透したことで、国の地方支配を強めました。
日本の国号と元号が誕生した
この大宝律令は1400年以上も前のものですが、意外なところで現在と結びついています。
「日本」という国号は大宝律令より以前からあったようですが、正式表記は大宝律令が最初とされています。中国では隋、唐、清など次々と国名が変わりましたが、日本は1000年以上前から変わらず日本と名乗っているわけですね。
また平成から令和へとうつり話題となった「元号」は、645年の大化が始まりとされています。当時は散発的にしか使われていませんでした。それが大宝律令で元号を使うことが定められ、これ以降、元号が継続的に使われて今に至っています。
国として自立した
大宝律令を施行して律令国家を完成させたことは、日本が大国・唐と肩を並べる近代的な国家になったことを意味しました。
これまでは中国の文化は主に朝鮮半島経由で日本に伝えられており、渡来人の助けを得なければ理解できない面もありました。しかし日本社会の外交の積み重ねや発展により、日本は直接、中国文化を吸収し、それを参考にして国家を作り上げるまでに至ったのです。
大宝律令の覚え方・語呂合わせ
大宝律令の覚え方について語呂合わせをいくつかご紹介します。自分が覚えやすいものを選んでみてください。
- 701(なおいい)国に大宝律令
- 70(名を)1(広)めた大宝律令
- 701(ナウイ)大宝律令
大宝律令がよく分かる関連作品
律令制とは何か
比較的コンパクトのため律令制についてすぐに知りたい人にはおすすめ。律令制という制度そのものはもちろん、それを通して古代国家の枠組みをどう生み出してきたかまで解説しています。従来の概念を変える新説もあり、律令制を知る手助けになる1冊です。
学習まんが 日本の歴史2 律令国家をめざして
「学習漫画」日本の歴史シリーズの第2巻です。表紙の聖徳太子を『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる漫画家の荒木飛呂彦が手掛けています。乙巳の変や壬申の乱などを経て日本が律令国家としてまとまっていく様子が漫画で分かりやすく描かれています。
大宝律令に関するまとめ
いかがでしたでしょうか。大宝律令についてその内容や目的、影響などをご紹介しました。今の日本も法治国家ですが、大宝律令はそのルーツともいえる存在です。日本という名前や元号もこの大宝律令で定められており、今に連綿と続く不思議さを感じます。
この記事を読んで飛鳥や奈良時代に思いを馳せていただけたら嬉しく思います。