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日本が関わった戦争の歴史年表まとめ!原因や影響、強かった理由も解説

「日本はどんな戦争をしてきたの?」
「それぞれの戦争に関係はあるの?」
「どういう影響があったの?」

この記事では明治以降に日本が関わった戦争についてまとめました。日本は国同士が全面的に戦う戦争を5つ経験しています。日清・日露戦争、第一次世界大戦、日中・太平洋戦争です。

長崎に投下された原子爆弾、日本が行った戦争の末路
出典:Wikipedia

これらの名前はみなさんご承知かと思いますが、戦争が起きた原因や内容、結果や影響などについてはわかりにくい部分も多いのではないでしょうか。またこれらの戦争はそれぞれ密接に関係しています。日清戦争の結果、日露戦争が起きて・・・といった具合です。

この記事ではそれぞれの戦争の詳細や関係について年表などを使ってわかりやすく解説していきます。

近代日本が関わった戦争とは?

日本の戦争について簡単に解説

日本が圧倒的勝利をおさめた日本海海戦の様子
出典:Wikipedia
年月戦争
1894年7月~1895年4月日清戦争
1904年2月~1905年9月日露戦争
1914年7月~1918年11月第一次世界大戦
1937年7月~1945年9月日中戦争
1941年12月~1945年8月太平洋戦争

明治時代になり日本という国家ができてから、日本は諸外国と5つの戦争を経験してきました。

明治時代に日清戦争、日露戦争、大正時代に第一次世界大戦、昭和に入って日中戦争、太平洋戦争を行いました。

日清・日露戦争、第一次大戦で日本は勝利をおさめ利益を得ました。また日本は、国際連盟の常任理事国にまで上り詰めました。しかし、その後の日中戦争とそれに連続する太平洋戦争では完膚なきまでに叩きのめされ、それまでの利益をすべて失ったばかりか数多くの犠牲を生むことになりました。

5つもの戦争があった理由

第一次世界大戦勃発時の世界の植民地地図
出典:Wikipedia

明治維新が起こった1867年から太平洋戦争が終わった1945年までの80年足らずの間に、大規模な戦争が5つも行われた理由は、当時世界が植民地主義の時代だったことが大きな原因です。

日本が明治時代を迎えたころ、世界は植民地主義の真っ只中で弱い国は容赦なく植民地にされる時代でした。日本で明治維新が起きたのも、植民地にされてしまうのではないかという危機感が原因の一つでした。

日清・日露戦争は、不凍港を求めて南下してくるロシアから国を守るということが大きな目的でした。これらの戦争に勝利した日本は、今度は守る側から攻める側へと変化しました。中国の権益を求めて大陸へ進出したのです。第一次世界大戦や日中・太平洋戦争は日本が海外に権益を求めて外国と衝突した戦争と言えます。

このように食うか食われるかといった時代に列強との競争を生き抜くためには、戦争という手段を最大限に利用して生き抜く必要がありました。このため数多くの戦争を行われることになったのです。

戦争と事変、出兵との違い

日本とソ連間で行われたノモンハン事件の様子
出典:Wikipedia

5つの戦争があった間には、満州事変や支那事変、シベリア出兵、ノモンハン事件などの出来事も起こっています。これらは戦争とどう違うのでしょうか?

明確な定義はないのですが、戦争は国と国とが宣戦布告をして全面的に戦うものを指すことが多いようです。事変は宣戦布告がなく規模も戦争と比べてやや小さいもの、出兵や事件はさらに規模が限定されるものに用いられています。

しかし日中戦争のように当初宣戦布告がされなかった戦争もあります。このため日中戦争は日華事変、支那事変などと呼ばれていた時期もあります。

近代日本が関わった戦争一覧

日清戦争

戦争名日清戦争
1894年7月25日~
1895年4月17日
相手国
主な戦場朝鮮半島、遼東半島
死傷者(日本)約1万7000人
死傷者(清)約3万5000人
結果日本の勝利
年月出来事
1894年1月甲午農民戦争始まる
1894年7月25日豊島沖海戦
(日清戦争開戦)
1894年9月平壌の戦い、黄海海戦
1894年11月21日旅順口占領
1895年1月~2月威海衛の戦い
1895年4月27日下関条約調印(終戦)
平壌の戦いの様子、清軍の装備の古さがこの絵からもわかります
出典:Wikipedia

日清戦争は豊島沖(ほうとうおき)海戦で幕を開けました。平壌の戦い、黄海海戦で勝利をおさめ、その勢いに乗って遼東半島に侵攻。旅順、大連を占領し遼東半島を完全に制圧します。

さらに日本は山東半島に上陸、威海衛の戦いで清の北洋艦隊を壊滅させます。圧倒的な勝利の後、日本と清は下関条約を結び戦争は終わりました。

当時清はアヘン戦争などでは敗れたものの、世界2位の経済大国で「眠れる獅子」と呼ばれていたため、小国日本が勝てるのかという不安がありましたが、蓋を開けてみると連戦連勝でした。日本が圧倒的だった理由は、清軍の装備が前近代的なものだったのに対し、日本は富国強兵により装備・軍制の近代化が進んでいたからでした。

原因

朝鮮(魚)を日本・清・ロシアがねらっているという当時の風刺絵
出典:Wikipedia

当時清の属国だった朝鮮から清の影響を取り除いて朝鮮の近代化を進め、ロシアの南下に備えようとしたのが日清戦争の原因です。

明治時代、政府がもっとも恐れていたのはロシアの南下でした。ロシアは国土の大半が氷に閉ざされるため不凍港を持つことが課題でした。そのため常に領土を南に広げることをねらっていたのです。

また当時朝鮮は清の属国で独立国ではありませんでした。日本からすると朝鮮を独立させ、ロシアへの防波堤にしたいという思いがありました。清を朝鮮から追い出すために始めたのが日清戦争です。

1894年1月に朝鮮で甲午農民戦争東学党の乱)が発生しました。日本は居留民保護の名目で兵を送りますが撤退をめぐって清と対立、交渉が決裂したことがきっかけとなり日清戦争が始まりました。

結果と影響

下関条約の会議の様子
出典:Wikipedia

日本が大国清に勝ったことで、日本は国際社会から一目置かれるようになりました。一方で清から割譲される予定だった遼東半島は、ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉により手放さざるを得なくなります。戦争に勝ってもロシアの脅威が取り払われることはなく、次の日露戦争へとつながっていくのです。

日清戦争とは?原因や結果、結ばれた条約までわかりやすく解説
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