近代日本が関わった戦争一覧
①日清戦争
戦争名 | 日清戦争 |
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年 | 1894年7月25日~ 1895年4月17日 |
相手国 | 清 |
主な戦場 | 朝鮮半島、遼東半島 |
死傷者(日本) | 約1万7000人 |
死傷者(清) | 約3万5000人 |
結果 | 日本の勝利 |
年月 | 出来事 |
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1894年1月 | 甲午農民戦争始まる |
1894年7月25日 | 豊島沖海戦 (日清戦争開戦) |
1894年9月 | 平壌の戦い、黄海海戦 |
1894年11月21日 | 旅順口占領 |
1895年1月~2月 | 威海衛の戦い |
1895年4月27日 | 下関条約調印(終戦) |
日清戦争は豊島沖(ほうとうおき)海戦で幕を開けました。平壌の戦い、黄海海戦で勝利をおさめ、その勢いに乗って遼東半島に侵攻。旅順、大連を占領し遼東半島を完全に制圧します。
さらに日本は山東半島に上陸、威海衛の戦いで清の北洋艦隊を壊滅させます。圧倒的な勝利の後、日本と清は下関条約を結び戦争は終わりました。
当時清はアヘン戦争などでは敗れたものの、世界2位の経済大国で「眠れる獅子」と呼ばれていたため、小国日本が勝てるのかという不安がありましたが、蓋を開けてみると連戦連勝でした。日本が圧倒的だった理由は、清軍の装備が前近代的なものだったのに対し、日本は富国強兵により装備・軍制の近代化が進んでいたからでした。
日清戦争が起きた原因・きっかけ
当時清の属国だった朝鮮から清の影響を取り除いて朝鮮の近代化を進め、ロシアの南下に備えようとしたのが日清戦争の原因です。
明治時代、政府がもっとも恐れていたのはロシアの南下でした。ロシアは国土の大半が氷に閉ざされるため不凍港を持つことが課題でした。そのため常に領土を南に広げることをねらっていたのです。
また当時朝鮮は清の属国で独立国ではありませんでした。日本からすると朝鮮を独立させ、ロシアへの防波堤にしたいという思いがありました。清を朝鮮から追い出すために始めたのが日清戦争です。
1894年1月に朝鮮で甲午農民戦争(東学党の乱)が発生しました。日本は居留民保護の名目で兵を送りますが撤退をめぐって清と対立、交渉が決裂したことがきっかけとなり日清戦争が始まりました。
日清戦争の結果と影響
日本が大国清に勝ったことで、日本は国際社会から一目置かれるようになりました。一方で清から割譲される予定だった遼東半島は、ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉により手放さざるを得なくなります。戦争に勝ってもロシアの脅威が取り払われることはなく、次の日露戦争へとつながっていくのです。
②日露戦争
戦争名 | 日露戦争 |
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年 | 1904年2月6日~ 1905年9月5日 |
相手国 | ロシア帝国 |
主な戦場 | 満州、遼東半島 |
死者(日本) | 約9万人 |
死者(ロシア) | 約10万人 |
結果 | 日本の勝利 |
年月 | 出来事 |
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1900年 | 義和団の乱 |
1902年 | 日英同盟締結 |
1904年2月6日 | 日本がロシアに対して 最後通牒を送る (事実上の開戦) |
1904年8月 | 黄海海戦 |
1905年1月 | 旅順陥落 |
1905年2月~3月 | 奉天会戦 |
1905年5月 | 日本海海戦 |
1905年6月 | 第一次ロシア革命始まる |
1905年9月5日 | ポーツマス条約調印 |
日露戦争では、黄海海戦や旅順攻略、奉天会戦と日本は大きな戦いで勝利を続けました。特に日本海海戦では海戦史上例がないような一方的な勝利を得ることができました。
しかしそれらに勝利はしたものの、日本は国力を使い果たし疲れ切っていました。一方ロシア側も国内でロシア第一革命が勃発。極東で戦争をしているどころではなくなってきました。このためアメリカの仲介でお互いが歩み寄り講和を結ばれました。これがポーツマス条約です。
日露戦争の原因・きっかけ
ロシアの南下を食い止めようとしたことが日露戦争の原因です。
日清戦争後もロシアは朝鮮への進出をうかがっていました。1900年(明治33年)に清で発生した義和団の乱に乗じてロシアは満州(中国北東部)へ進出、事件が落ち着いた後も満州への駐留を続けます。日本はこれに対して1902年にイギリスと日英同盟を結ぶなどして対抗しますが、圧力は日々強まるばかりでした。
当時建設中だったシベリア鉄道が開通すれば、今よりももっと多くの軍勢が送り込まれてしまいます。そうなる前に開戦することが決定されました。
日英同盟とは?内容や結ばれた理由、復活の可能性も分かりやすく解説
日露戦争の結果と影響
日本の勝利によりロシアの南下を食い止めることができました。日本が大国ロシアに勝利したことは、日本の国際的地位が大幅に上昇しました。日本は非白人国として初めて列強諸国として認められたのです。
そして明治政府の悲願だった条約改正がようやく行われました。江戸時代末期から続いていた不平等条約が1911年(明治44年)の日米通商航海条約により、ようやくすべて改正されたのです。
一方で日本が満州での利権を拡大したことにより、同じく中国へ進出する機会をうかがっていたアメリカと徐々に対立していくようになります。
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全ての発端はロシアの南下政策に対する自衛だったわけで、それに帝国主義の潮流に乗って外国に利益を求めたことが、元々関係無かったアメリカとの衝突を生んだ。皮肉なことにロシアの脅威は未だ排除されていないわけだからこの一連の戦争の歴史はまだ続いていることになる
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