日本が関与した戦争の歴史をわかりやすく解説!年表や原因、強かった理由も紹介

⑤太平洋戦争(第二次世界大戦)

戦争名太平洋戦争
1941年12月8日~
1945年8月15日
相手国連合国(アメリカ等)
主な戦場太平洋、アジア
死者(日本)550万人以上
死者(連合国)26万人以上
結果日本の敗北

年月出来事
1940年9月北部仏印進駐
1941年7月南部仏印進駐、
対日石油禁輸決定
1941年12月8日真珠湾攻撃
(太平洋戦争開戦)
1943年2月日本、ガダルカナル島から
撤退
1944年7月サイパン陥落
1945年8月6日広島に原爆投下
1945年8月9日ソ連参戦、長崎に原爆投下
1945年8月15日日本、無条件降伏
真珠湾攻撃の様子
出典:Wikipedia

太平洋戦争では、日本は真珠湾攻撃の奇襲に成功するなど最初のうちは連勝を重ねます。これは物量で劣ることを自覚していた日本軍が、事前に「月月火水木金金」に代表されるような猛訓練を積んでいたことや、零戦をはじめとする優秀な兵器があったからです。

しかし時間が経過するにつれ、艦船や航空機、優秀な兵士がじわじわと失われていき国力差が目立つようになります。とりわけガダルカナル島で敗北して以降は一気に下り坂に入っていきました。

1944年(昭和19年)にサイパン諸島が陥落すると、本土が空襲にさらされるようになります。1945年にはとうとう沖縄が侵攻され激しい戦闘の末に陥落します。最後には原子爆弾を投下されソ連まで参戦することとになり、どうにもならなくなった状態で無条件降伏しました。

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太平洋戦争の原因・きっかけ

仏印へ進駐した日本軍
出典:Wikipedia

アメリカなど連合国からの経済制裁に耐えられなくなり起こした戦争です。

日本の満州や中国への進出は、アメリカとの関係を悪化させるものでした。アメリカは排日運動を強化しイギリスやオランダ、中国などと手を組んで日本に対する経済制裁を行います。いわゆるABCD包囲網と呼ばれているものです。

しかしこの経済制裁は、禁輸で手に入らなくなった資源手に入れるために日本の南進を加速するものになりました。このような悪循環が続き、両国間の関係は一気に悪化しました。1941年(昭和16年)7月に日本が南部仏印へ進駐したことにより、日本への石油禁輸が決定されました。

当時日本は石油のほとんどをアメリカからの輸入に頼っており、石油の禁輸は日本の死を意味するものでした。日本にはもう戦争を起こして一発逆転をねらうしか手段がなくなっていたのです。

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太平洋戦争の結果と影響

廃墟となった東京市街
出典:Wikipedia

日本は敗北し、日清戦争以降に得た海外での権益をすべて失いました。そればかりか沖縄や小笠原諸島、北方領土も失ってしまいました。北方領土は現在も返還されていません。

日本本土は空襲で焼けつくされました。国土だけでなく国民も大きな犠牲を負いました。軍人だけではなく数多くの民間人も犠牲になりました。このようにすべてを失ってしまったのが太平洋戦争の末路と言えます。

この戦争に負けたことで、明治以来の体制が大幅に変えられます。国の基本方針を定める憲法が大日本帝国憲法から日本国憲法になり、象徴天皇制や戦争放棄を始めとして国のあり方が大きく変わりました。

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3 COMMENTS

BBCkreampie

全ての発端はロシアの南下政策に対する自衛だったわけで、それに帝国主義の潮流に乗って外国に利益を求めたことが、元々関係無かったアメリカとの衝突を生んだ。皮肉なことにロシアの脅威は未だ排除されていないわけだからこの一連の戦争の歴史はまだ続いていることになる

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