三島由紀夫に子供はいるの?現在の姿や妻との関係も簡単に紹介

三島由紀夫の長男・平岡威一郎とは?

平岡威一郎が編集・監修した『三島由紀夫映画論集成』
出典:アマゾン

三島由紀夫の第二子は平岡威一郎さんは1962年5月2日生まれ。三島が37歳の時の子供で、現在59歳です。

お茶の水女子大学附属小学校に通い、名門・開成中学校に進学。しかし高校には進まずそのまま渡米。帰国後は映画監督・市川崑のもとで映画製作の助手を務めました。

その後の学歴について明確なことは不明ですが、威一郎が通学していた小学校の校長であり倫理学者の勝部真長(かつべみたけ)によれば、威一郎は慶応義塾大学に進んだそうです。

学生時代からクリエイティブな部分は父親譲りかもしれません。

三島由紀夫との思い出

威一郎にボディビルを見せていた三島
出典:吃驚!偉人奇人伝

三島は威一郎が誕生した時から「小説家だけにはなってもらいたくない」と懇願していたのだそう。特に威一郎に関しては男児ということからも将来に対して強い心配を抱いていました。

三島は普段、子供と食事をする際はテレビを消すなど、大衆文化を見させない徹底した教育方針を持っていました。しかし唯一三島が好きだったのは赤塚不二夫の『もーれつア太郎』で、それが掲載されている雑誌を威一郎と取り合っていたのだそうです。お茶目なエピソードですね。

また威一郎が6歳の時、家に友人が集まる時には、三島は自慢のボディビルを奇声を挙げながら披露して子供たちを楽しませていたというエピソードも残っています。

威一郎の現在は?

映画にまつわる仕事を多数行った威一郎
出典:監督館

威一郎は成人後、映画の助監督を務めました。また『三島由紀夫映画論集成』の編集・監修に携わるほか、三島の代表小説『春の雪』の企画・監修も行うなど、父の偉業を形作る仕事を多数行いました。その際には、「三島威一郎」の名義だったそうです。

一方、1990年代には作詞家も志し、中森明菜『少女A』の作詞家・売野雅勇(うりのまさお)に弟子入りした経験もあります。

このような創作活動にかかわるかたわら、宝石店を営むなどの実業家としても活動しているそうです。

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三島由紀夫の自決と子供へ抱いていた想い

自決寸前にスピーチをする三島由紀夫
出典:読売新聞

三島由紀夫は1970年11月25日に市ヶ谷駐屯地で、自衛隊員に決起を促すスピーチをした後に割腹自殺しました。この時にも既に紀子と威一郎は生まれており、三島は家族を置いてこの世を去ったのです。

自決当日、市ヶ谷駐屯所へ向かう車を学習院初等科の近くに停車させます。そして、

「わが母校の前を通るわけか。俺の子供も現在この時間にここに来て授業をうけている最中なんだよ」

と、11歳の紀子のことを気にかけていたと言います。学習院初等科と市谷駐屯地は近くにあるので、どのような思いで車を停めたのか少し胸が詰まります。

三島由紀夫が通った「かつ吉」
出典:ぐるなび

また、三島は自決を決意した1970年の3月頃から威一郎と時間も多く持つようになりました。

デパートや後楽園遊園地に威一郎をよく連れて行ったそうです。そして遊んだ帰りには水道橋にあるとんかつ屋「かつ吉」へ行ったとか。筆者も行ったことがありますが「かつ吉」は現存しており、とても美味しいとんかつ丼が人気です。

自決の2週間前には授業参観に行き、校長と威一郎について3時間も懇談しました。また、自決の前日には母親に対して「お母様、僕はもう威一郎を諦めました」と語っていたそうです。

三島由紀夫をより深く知るなら

作家、政治活動家、父親と多様な顔をもった三島
出典:毎日新聞

ここで三島由紀夫の概要について少し紹介します。

三島由紀夫は第二次世界大戦後に日本文学を代表する作家です。ノーベル文学賞候補にもなり、その名声は海外にまで及びました。『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』などの代表作は、無頼的でありながら西洋思想も通底しており、東洋と西洋の要素が合わさった作風が特徴です。

晩年には自衛隊に入隊。政治的傾向が強まった三島は1970年に割腹自殺を決行。これにより新右翼が生まれるなど社会的にも大きな影響を与えました。

三島由紀夫はかの有名な歌手・美輪明宏とも交流がありました。また、青年期から同級生の男子学生に美しさを見出すなどの同性愛的傾向もあったようです。そのような特性は三島文学の「美」の感性に大きな影響を与えたとも考えられています。

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三島由紀夫子供に関するまとめ

三島由紀夫の子供について解説しました。いかがでしたでしょうか。

私の中では始め、その作品や政治活動家としての印象の強さの方が正直勝っていました。しかし今回、父親としての三島由紀夫の姿を知り、その愛情深さや父性の強さを知って三島の「柔らかな一面」に触れられた気がします。そして、子供たちの三島作品を守り、受け継ぐ姿にも胸を打たれました。

確かにここに父親・三島由紀夫がいたことを強く実感した執筆でした。

この記事を通して、三島由紀夫やその作品に興味を持っていただけたら幸いです。

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