屋島の戦いとは?いつ、どの場所で起きた?扇の的のエピソードもわかりやすく解説

主要な登場人物

源義経

源義経
出典:Wikipedia

鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟です。戦の天才で戦場でのエピソードがたくさん残されています。

屋島の戦いでも

  • 暴風雨の中、船頭を脅して四国へ渡った
  • 屋島へ少数で乗り込み奇襲をかけた

など、義経らしい逸話が残されています。

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那須与一

那須与一
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那須資隆(なすすけたか)の十一男。扇の的のエピソードの主人公です。しかしこの人物は実在したかどうかさえはっきりわかっていません。同時代の歴史史料には名前が出てこないからです。

しかし系図では那須家の二代目当主におさまっています。十一男にもかかわらず当主になったということは、この扇の的のような功績があったからなのかもしれません。

佐藤継信

佐藤継信
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源義経の家臣で、「源平盛衰記」では義経四天王とされている人物です。屋島の戦いで義経を守って討ち死にしたと伝えられています。

この場面は「平家物語」では「嗣信最後」として描かれています。主君の代わりに射抜かれた継信は「主に代わって討たれたと語られることこそ、この世の思い出です」と言って事切れ、義経はさめざめと泣いたそうです。義経と部下との絆の強さがうかがいしれるエピソードですね。

屋島の戦いの始まりから終結まで

戦いが起きるまで

平家の都落ち

木曽義仲
出典:Wikipedia

治承4年(1180年)、以仁王が打倒平家の兵を挙げました。源氏方の武士はこれに次々と応え、その中でも木曽義仲の活躍は群を抜いていました。

義仲は寿永2年(1183年)5月に倶利伽羅峠の戦いで平家に勝利、京都へ攻め上ってきました。平家は安徳天皇と三種の神器を携えて都から太宰府へ落ち延びます。これが平家の都落ちです。

一ノ谷の戦い

一ノ谷の戦い
出典:Wikipedia

京都を制圧した木曽義仲でしたが市中で乱暴狼藉を働き統治に失敗。寿永3年1月に宇治川の戦いで源義経・範頼軍に敗れて戦死しました。

源氏方が内輪もめをしている最中に、平家は力を盛り返し福原(兵庫県神戸市)まで戻ってきました。そして京都へ戻る日を虎視眈々とねらっていたのです。そんな平家とそうはさせまいとする源氏との間で戦になります。これが寿永3年2月に起きた一ノ谷の戦いです。一ノ谷の戦いで平家は大敗し屋島へと逃れました。

一ノ谷の戦いとは?いつどこで起きた?戦いの経過もわかりやすく解説

源範頼の苦戦

源範頼
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一ノ谷の戦いで平家は敗れましたが、依然として平家は瀬戸内海を中心とした中四国・九州を勢力下に置いていました。平家のような強力な水軍を持っていない源氏は屋島を攻撃できません。源氏方は平家を孤立させるべく、源範頼軍に九州を制圧させて瀬戸内海の平家を孤立させる作戦に出ました。

しかし九州攻めはなかなかうまくいきませんでした。なぜなら平家の水軍が範頼軍の補給路に対してたびたび攻撃を仕掛けてくるからです。まともに補給ができていない範頼軍では兵士の士気が下がり、崩壊寸前に陥りました。

この苦境を知った源義経は後白河法皇へ願い出て屋島を攻撃することにしたのです。

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