凶悪事件を起こした犯人のその後と現在の様子まとめ

凶悪事件を起こした犯人は、刑に服している人もいれば、普通の生活に戻った人もいます。凶悪事件を起こした犯人たちが事件後どうしているのでしょうか。

この記事では、凶悪事件を起こした犯人はその後どうしているのか、その実態や生活の様子を事件の概要も交えて紹介します。

※気になる犯人・事件を押せば詳細までジャンプします。

なかには驚愕の現実もあるので、注意してご覧ください。

この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

重信 房子 | 日本赤軍事件:1970年〜1980年

若い頃の重信房子
出典:産経ニュース

重信房子は日本赤軍の元最高幹部です。日本赤軍は1970年代に存在した国際武装組織であり、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と連携し、テルアビブ空港乱射事件やオランダのフランス大使館占拠事件、ダッカ事件などを引き起こしました。

重信は1974年のハーグで起きたフランス大使館占拠事件において、武器の調達に関与。国際指名手配となりましたが、2000年に大阪で逮捕されています。彼女は実行犯ではなく司令官だった為、実行犯の幹部達が無期懲役になる中で、懲役20年の判決を受けました。

出所直後の重信房子
出典:産経ニュース

服役中の重信は、獄中で4度にわたる手術で9つの癌を摘出しています。結果的に彼女は2022年5月28日に出所し、自由の身となりました。テロリストではあるものの、出所の際には数十人の支援者が駆けつける等、彼女を支持する人が多い事も事実です。

出所後の記者会見で、重信は以下の言葉を述べています。

「かつてのあり方を反省し、かつ、日本をより良く変えたいという願いと共に謝罪の思いを、私自身の今日の再出発に据えていく所存です」
「社会に戻り、市民の一人として、過去の教訓を胸に微力ながら何か貢献したいという思いはありますが、能力的にも肉体的にも私に出来ることは、ありません」

文春オンライン

彼女は既に76歳ですが、償いはまだ始まったばかりです。これからの動向に注目しましょう。

一柳展也 | 神奈川金属バット両親殺害事件:1980年

金属バットで両親の頭部を殴打し殺害しており殺害現場は血まみれだった

一柳展也は1980年11月29日に、金沢金属バット両親殺害事件を起こした人物です。この日の夜、寝室で寝ている両親を金属バットで撲殺。寝室は両親の血飛沫が飛び散り、脳梁が散乱する等、凄惨な状況だったようです。

一柳の父は東京大学を卒業し、兄は早稲田大学を卒業する等、エリート街道をひた走っていました。一方の一柳は大学に合格できず、荒れた浪人生活を送っていました。そんな生活を父に叱責された事で、一柳は一連の犯行に及んだのです。

千葉刑務所
出典:Wikipedia

当時は受験戦争が社会問題になっている時期でもあり、受験戦争がより一層問題化されるきっかけとなりました。一柳は懲役13年の判決を受け、千葉刑務所に服役。刑務所内では、「話がつまらない」という理由でいじめられていたといわれています。

1997年に出所した一柳は、インドに渡り仏教系のボランティア活動に携わっているそうです。インドに永住して、教育活動に一生を捧げるつもりだと週刊誌の取材を受けています。

小嶋茂夫・徳丸信久・高志健一・近藤浩之・龍造寺・筒井良枝 | 名古屋アベック殺人事件:1988年

事件を報道する新聞
出典:管理人のぼやき特集

小嶋茂夫、徳丸信久、高志健一、近藤浩之、龍造寺、筒井良枝の5人は、1988年2月23日に起きた名古屋アベック殺人事件の犯人です。彼らは名古屋市緑区の大高緑地で、理容師のアベック2人を拉致し、長時間にわたる暴行を加えて殺害。遺体を山林に遺棄しました。

主犯の小嶋は当時19歳でしたが、無期懲役の判決が下り、現在も服役中です。2015年にくも膜下出血で倒れるものの、大きな後遺症はありませんでした。刑務所では模範囚として過ごし、遺族に手紙を送りながら、いつか社会復帰できる日を待っているそうです。

犯人の中で唯一成人だった高志雄一
出典:Secret NOTE

準主犯の徳丸は当時17歳で、無期懲役の判決が下っています。彼はメディアの取材を受ける事はなく、詳しい事は不明です。唯一の成人だった高志健一は懲役13年の判決が下り、2000年初頭に出所しましたが、遺族に賠償金も払わぬまま、行方をくらましています。

準主犯の近藤は、19歳で懲役13年の判決が下るものの、既に出所中です。彼もまた賠償金も払わぬまま、行方をくらましており、現在は妻子と幸せな生活をしているとの事。一度インタビューに答えていますが、他人事のような発言をして物議を醸しています。

事件に加担した龍造寺は当時17歳であり、懲役5年〜10年の不定期刑が言い渡されました。彼女は3度の結婚を経て、雪丸リエという名前で暮らしているそうです。筒井は18歳で懲役5年〜10年の不定期刑となり、現在は2度の結婚を経て2人の子供がいるそうです。

事件を起こした時、彼らの多くは未成年でした。彼らの残忍な犯行と出所後の横柄な行動は、未だに多くの批判を浴びているのです。

宮野裕史・湊伸治・神作譲・渡邊泰史 | 女子高生コンクリート詰め事件:1988~1989年

事件の被害者女性と犯人
出典:BUZZ MEDIA

宮野裕史・湊伸治・神作譲・渡邊泰史は、1988年から1989年に起きた女子高生コンクリート詰め事件の犯人達です。彼らは女子高校生を拉致監禁し、40日に渡り強姦や暴行を行い衰弱死させています。更に遺体をドラム缶に詰め、東京湾埋立地に遺棄したのです。

彼らは後に逮捕され、懲役刑が言い渡されますが、主犯の宮野でさえも懲役20年と軽いものでした。当時未成年であったために少年法が適応され実名報道もされず、刑罰も軽すぎたために、少年法の問題が浮き彫りになった事件です。

主犯の宮野は2008年に出所していますが、2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕されています(後に証拠不十分で不起訴)。現在は養子縁組をし、改名して横山裕史と名乗っています。また多摩市のアパートに住んでいるという噂があり、格闘ジムに通い時々試合しているといいます。

湊は出所後にムエタイの選手になり、タイ料理店等で試合していたそうです。しかし「コンクリ」と観客からブーイングを浴び、結果を残せずに引退。2018年に車の停め方で口論になり、相手の男性の首を折り畳みナイフで刺した罪で逮捕されています。現在も裁判中は続いているとの事です。

加害者の現在は今も報道されている
出典:サンダーストームのブログ

神作は外国人女性と結婚するものの離婚。更生保護司の人と養子縁組をし、現在の神作という名前になっています。2004年に母のスナックで監禁致傷を行い、再逮捕されました。彼は事件の事を自慢げに語っていたという話もあり、改心の様子が見られていません。

渡邊泰史は再犯を起こしていませんが、刑務所を出た後は家で引きこもりのような生活を続けているという情報があります。

神作譲は外国人女性と結婚するものの離婚。更生保護司の人と養子縁組をし、現在の神作という名前になっています。その後パソコン関連会社に勤めたものの、勤務態度が悪く退職。2004年に母のスナックにて監禁致傷を行い、再逮捕されました。この人物は事件を出所後に自慢げに語っていたという話もあり、全く改心の様子が見られないそうです。

渡邊泰史は再犯を起こしていませんが、刑務所を出た後は家で引きこもりのような生活を続けているという情報があります。

1 2 3 4 5

10 COMMENTS

匿名

実母亡くなって父親が再婚しただけで複雑な家庭環境って…偏見じゃん
しかも継母が遺族への賠償とかしてるんでしょ?良いお母さんじゃん。
家庭の問題じゃなくて犯人の女の性格の問題でしょ

返信する
匿名

webライターとして活躍中 とか書いてるけど、検索してもこのサイトぐらいしか引っ掛からない人だから仕方ないよ笑

返信する

コメントを残す