世界で一番悲惨な事件・残酷な事件ランキングTOP25

20位:カール・パンズラム事件 | カール・パンズラム – 1920~1928年

カール・パンズラム
出典:Wikipedia

カール・パンズラム事件とは、アメリカでカール・パンズラムという男が起こした連続殺人で、立証されていない人も含めて22名を殺害、その他1000件以上の同性愛行為、何千もの強姦や放火を行ったといわれています。

初めての殺人は、ニューヨークで10名の水夫をレイプした後に殺害し、海に捨てています。他にもワニ狩りと称して雇った6人を沼地で殺害し、遺体をワニに食べさせたりもしました。そして男性相手の強姦を繰り返し殺害。しかし生まれついた同性愛ではなかったといいます。

遺体をワニに食べさせたという

1928年に逮捕され懲役25年の刑に服していましたが、数か月後に死刑を望み、洗濯場の作業監督を鉄棒で殴り殺して起訴されています。そして望みどおりに死刑が決まり、絞首刑に処されました。最後の言葉は、

「さっさとしろよ。田舎者め。お前がもたもたしているうちに、俺なら10人は殺せるぞ!」

だったそうです。

19位:恐怖の館住人 | フレッド&ローズウエスト – 1967~1994年

フレッド&ローズウエスト夫婦
出典:海外のシリアルキラー

イギリスで1967~1994年の間に、フレッド&ローズ・ウエストという夫婦により12名が殺害された事件です。被害者を拉致・強姦・拷問の末に殺害しバラバラにして自宅に遺棄していました。その中には、自分の実の子供も含まれていたといいます。事件があった館は「恐怖の館」と呼ばれることとなります。

二人は近親相姦が当たり前の環境で育ったために、子供と性交し、妻と娘を売春婦として働らかせ収入を得ていました。そして虐待の延長で娘を殺害。その他にもベビーシッターの女性などを殺害し被害者は12名にも及びました。フレッドは女性の体に異常に執着していたといい、殺害した女性の体を解体し、妊娠している被害者の遺体は胎児を取り出していたといいます。

恐怖の館跡、現在は遊歩道となっている
出典:ハナママゴンの雑記帳

自宅から発見された遺体はほとんどが、バラバラに解体された状態だったそうです。夫婦は1994年に逮捕され、フレッドは刑務所で自殺、ローズは10件の殺人事件で終身刑を受け刑に服しています。

18位:BTK事件 | デニス・レイダー – 1974~1991年

デニス・レイダー
出典:JapaneseClass.jp

アメリカで1974〜1991年にかけて起きた、10名が連続的に殺害された事件です。犯人のデニス・レイダーは、自らをBind(束縛)、Torture(拷問)、Kill(殺す)の頭文字をとって「BTK」と名乗っていました。およそ25年間の間に、自らの犯罪の詳細を説明する手紙を警察や新聞社に送りつけています。10年間のブランクがあり、2004年に手紙の送付を再開するも、2005年に逮捕されました。

犯行は被害者を束縛し、絞殺しています。しかし1991年から殺害が途絶え、捜査に進展が見られず、コールドケースとなっていました。そして2004年に再度再開され犯行文を送りつけるも、送りつけたフロッピーディスクのコンピューター情報により捜査が進展。市内の教会にあるコンピューターであることが発覚し、そこに通っていたレイダーが捜査に浮上し逮捕されたのです。

地元のテレビ局に送りつけた犯行声明文
出典:殺人博物館

事件が起こっていたカンザス州では1994年から死刑制度が復活していましたが、事件はそれ以前に起こっていたものであったことから、10回の終身刑を宣告され、現在カンザス州の刑務所で終身刑に服しています。

17位:ゴールデン・ステイト・キラー | ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ – 1974~1986年

ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ
出典:今どきのアラウンドフォーティー

1970~80年代にアメリカカルフォルニア州で、13件の殺人と50人以上の強姦、100件以上の強盗の連続事件です。犯人のジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロは「ゴールデン・ステイト・キラー(黄金州の殺人鬼)」とあだ名されました。

ディアンジェロの犯行期間は1974~1986年であり、3地区で殺人などを犯しています。手口は女性の家に侵入し強姦。抵抗する女性は撲殺。男性の住人とかち合った時には、銃殺しました。こうした犯行を約40年続けていたものの、犯人の職業が警察官だったために捜査を間違った方向に誘導しており暗礁に乗り上げてしまいます。

DNAでルーツを調べるためのデータベースは今後も事件解決が見込まれている

しかしDNAを基にした系譜データベースを利用することにより、デイアンジェロが初めて捜査線上に浮上。2018年に逮捕され、2020年に終身刑が言い渡されました。DNA系譜データベースによってコールド案件が解決した事例となっています。

16位:死神博士 | マルセス・プショー – 1941~1944年

マルセス・プショー
出典:Wikipedia

1941〜1944年にかけて第二次世界大戦中のフランスで、ユダヤ人など少なくとも26名(本人の自供では63名)殺害した事件です。犯人はマルセス・プショーという医師で、国外脱出を依頼したユダヤ人を自宅に監禁し、毒ガスで殺害しました。その他にも対独活動に従事していた知識人や、パリの暗黒街のギャングも犠牲になっています。

しかし火事が起こった時に多くの遺体が発見され犯行が発覚するものの、戦争の混乱中であったために足取りが掴めずにいました。そして終戦後に「アンリ・ヴァレリー大尉」と名を変えて潜伏していたところを逮捕されています。

プジョーの家を捜査する写真
出典:Wikipedia

プショーは裁判で犯行は認めたものの、自分はナチスの手先を処刑したと正当化しました。そして裁判中に居眠りをしたりなど、戦後のフランスで注目された犯罪者となっています。結局プショーには死刑判決が下り、ギロチンにより処刑されました。

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