【新着】日本で起きた凶悪事件TOP30

日本で有名なタブー事件20選まとめ【タブーとされている理由も紹介】

これまで、日本ではさまざまな事件が起きてきました。大体の事件はニュースで知れるものの、あまりに惨殺な事件や日本の闇に触れるものはタブーとされています。

そのため、

「日本でタブーとされる事件って何だろう?」
「どうしてタブーなの?」

と気になっている人も多いのではないでしょうか。

そこで、今回は日本でタブーとされる有名な下記20の事件を、タブーの定義や事件の内容も交えて紹介します。

この記事を読めば、タブーとされる事件を知れるだけでなく、日本の闇を垣間見ることができますよ。

タブーとは
「タブー」とは、ポリネシア語が語源で「〜してはいけない決まり事」という意味を指します。最近近年では意味がは拡大され、「口に出してはいけない事」をタブーと言うケースもありますね。

ちなみに、紹介する事件の中には情報統制が敷かれた他、捜査が打ち切られた事件もあります。情報が錯綜しているため、全てを真実と捉えず、この記事も「一つの仮説」と考えるのをおすすめします。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

日本で有名なタブー事件20選

帝銀事件 – 1948年

事件発生時の様子
出典:Wikipedia

帝銀事件は1948年1月26日に東京都豊島区の帝銀銀行椎名町支店で、1人の男が行員ら12人を毒殺して現金と小切手を奪った銀行強盗殺人事件です。警察は画家の平沢貞通という人物を逮捕し、強引な取り調べを経て平沢は罪を認めました。

平沢は公判で無実を主張したものの、1955年に死刑が確定します。平沢は1987年に95歳で亡くなるまで、刑務所にいたのです。事件が起きた頃の日本はGHQの占領下にあり、帝銀事件の捜査にはGHQの介入もあったとされます。

帝銀事件の犯人は当初はプロと判断され、警察は日本の戦前の機密部隊・731部隊の関係者を洗っていました。ただGHQは731部隊の機密情報を独占する為に、捜査関係者に圧力をかけたともされます。もちろん真実かどうかは不明です。

様々な憶測が流れる戦後間もないタブー事件と言える帝銀事件。正しいと言えるのは平沢は獄死するまでずっと無実を訴え続けた事、そして冤罪の可能性が極めて高いという事です。

下山事件 – 1949年

下山総裁の遺体を搬出する様子
出典:Wikipedia

下山事件は1949年7月6月未明に国鉄総裁・下山定則が電車に轢かれた轢死体となって発見された事件です。事件直後からマスコミはこの事件を取り上げ、大きな話題になりました。

警視庁では他殺と自殺で見解が分かれたものの、公式の見解は発表されずに捜査本部は解散。1964年に時効を迎えています。下山事件は戦後最大のミステリーと称され、事件の1ヶ月後には国鉄に関連した三鷹事件と松川事件という謎の多い事件も起きています。

下山が国鉄の総裁に就任したのは1ヶ月前の事。当時は共産党による労働運動が激化する中、下山はGHQの対日占領政策の一環で10万人の国鉄職員のリストラを迫られていました。下山はGHQと労働組合の板挟みにあい、精神的に追い詰められていたのです。

下山事件を他殺とした場合、GHQや共産党、右翼団体などの様々な説が挙げられています。戦後間もない日本のタブーの一つが下山事件である事は間違いないでしょう。

橋北中学校水難事件 – 1955年

事故の現場となった中河原海
出典:Wikipedia

橋北中学校水難事件は1955年7月28日に、三重県津市の橋北中学校の女子生徒36人が中河原海岸で溺死した事件です。授業の一環で水泳訓練がこの海岸で行われ、参加生徒660名は性別や水泳能力で区分けされていました。

水難事故当日は無風快晴で海面も穏やかでした。しかし海に入ってから数分後に約100名の女子生徒が一斉に溺れる事態が発生。49人が引き揚げられたものの、36名が亡くなりました。

この水難事故は平常時の満ち潮では説明できない異常流が発生したとされますが、「頭巾にもんぺ姿の女性達が手招いていた」と証言した生徒もいます。実は事件の起きた10年前の1945年7月28日、津市は5度目の空襲を受けて、多くの人が亡くなっているのです。

この幽霊の「証言自体はメディアの捏造」という説もある為、真偽は不明。中河原海岸には遊泳禁止となっています。今でもこの地域では事件の事はタブーになっていると言えますね。

狭山事件 – 1961年

事件の脅迫状
出典:Wikipedia

狭山事件は1961年5月1日、埼玉県狭山市で当時高校1年生だった女子生徒が暴行の末に殺害された事件です。家族に金銭を要求する脅迫状が届けられ、警察は40人という厳戒態勢で受け渡し場所で張り込むものの、犯人を取り逃してしまいます。

後に女子生徒の遺体は被差別部落で発見され、埼玉県警は被差別部落一帯に聞き込みを開始。捜査線上にあがった被差別部落出身の石川一雄を別件で逮捕し、強引な取り調べで犯行の自白をさせたのです。

1964年3月に石川に死刑判決が下るものの、後に無期懲役となり1994年12月に仮出所。彼は今でも弁護団と無罪を勝ち取る為の運動を続けています。

本事件は被差別部落という日本の闇、警察の不祥事などのタブーが漏洩した事件です。犯人は被害者の兄という説も根強い他、被害者や石川の周囲では自殺した者もいます。都市伝説では「隣のトトロ」との関連も噂される等、謎や闇の大きさはとても大きいのです。

狭山事件とは?事件の真犯人や経緯、場所、長い間問題になっている理由について解説

三億円事件 – 1968年

犯人のモンタージュ写真
出典:時事新聞

三億円事件は1968年12月10日に発生した窃盗事件です。現金輸送車に積まれた三億円が白バイを装った犯人に奪われてしまいます。遺留品は120点あり、警察は楽観ムードで捜査するものの、時効を迎えます。

有名な犯人説として「警察官の息子」があります。彼は事件から5日後に青酸カリで自殺。ただ彼の家を捜査した際に現金は見つかっていません。仮に警察官の息子が犯人なら、警察のタブーどころの話ではないですね。

犯人は知略のみで三億円の窃盗に成功し、3億円は保険で賄われています。現金の被害額は2億9430万7500円であり、その語呂をとって「憎しみのない強盗」とも呼ばれています。

ただこの事件では25歳の府中市の運転手が誤認逮捕されました。新聞各社は彼の学歴や性格、家庭環境等を細かく報道した為、本人は職を失い一家は離散し、2008年に自殺。様々な媒体で語られる三億円事件ですが、この一件もタブーと言えるでしょう。

三億円事件とは?事件の経緯や真相、犯人像、関連作品まで紹介

連合赤軍事件 – 1971年〜1972年

2009年頃に撮影された浅間山荘
出典:Wikipedia

連合赤軍は1971年から1972年に活動した極左組織です。極左は急進的な革命や暴力革命を主張し、大菩薩峠事件やよど号ハイジャック事件を起こしていたものの、幹部の多くは逮捕や死亡、国外逃亡をして勢力は弱体化していました。

連合赤軍は赤軍派と革命左派が合同した組織ですが、発足当初から総括と呼ばれるリンチが横行し、29人のメンバーのうち12人が群馬県の山中に設置したアジト(山岳ベース)で殺害されました。

山岳ベースから逃亡したメンバーは1972年2月19日からあさま山荘事件を起こし、社会に極左組織の恐ろしさを知らしめる事になりました。今では勢力を交代した共産党ですが、このような歴史があった事を今の若い世代はあまり知りません。

共産党勢力にとっては連合赤軍事件もまたタブーと言えるのかもしれません。

あさま山荘事件とは?概要から原因、与えた影響まで分かりやすく解説
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