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源平合戦(治承・寿永の乱)をわかりやすく解説!年表や主な人物も紹介

「源平合戦とはどんな戦い?」
「原因や結果、流れを簡単に教えてほしい!」

源平合戦とは、1180~1185年の5年間、源氏と平氏の間で繰り広げられた戦いの総称です。この戦いは日本で初めて全国規模で起こった内乱であり、公家の時代から武家の時代へと移り変わっていく日本史上でも節目となる戦いとなりました。

源平合戦を描いた屏風絵
出典:Wikipedia

源平合戦は5年間にも及び、多くの場所で戦いがありましたが、なぜ源平合戦が起こったのでしょうか?そして結末の末どのような影響があったのでしょうか?この記事では源平合戦について、その経緯や内容、登場人物など幅広く紹介していきます。

この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

源平合戦(治承・寿永の乱)とは?

各地で多くの戦いが起こった源平合戦(以仁王の挙兵の画)
出典:Wikipedia

源平合戦の正式名称は、治承・寿永の乱といいます。まずは治承・寿永の乱がどういった内乱だったのか簡単に解説していきます。なお、この記事では一般的に馴染のある「源平合戦」という表記で統一して紹介します。

源平合戦の流れを簡単に解説すると?

平治の乱に勝利してから平家が政権を握っていた
出典:Wikipedia

源平合戦とは1180~1185年にかけて、武家の棟梁である源氏と平氏の戦いを表します。1180年に以仁王(後白河法皇の子)が平家打倒の呼びかけしたことをきっかけに、源義朝の子である源頼朝が挙兵しました。

一時期は平家が優勢でしたが、頼朝は次第に勢力を伸ばし東日本を中心に兵力を蓄えていき、木曽義仲や源義経の活躍もあり平家は都落ちし西国へと逃れていきます。その後義経の活躍で、一の谷の戦い・屋島の戦いで圧勝。1185年の壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしてしまいます。

源頼朝が1190年に京都に上洛した時を表した画
出典:Wikipedia

平家が滅んだことにより、名実とともに武家のトップとなった源頼朝は鎌倉幕府を開き、1192年に征夷大将軍に就任することとなったのです。

源平合戦が行われた場所は?

源平合戦が起こった場所の地図
出典:Wikipedia

源平合戦は全国各地が舞台となりました。全ての場所を挙げると40にもなりますが、特に大きかった戦いは、前半だと富士川の戦い(静岡県富士市)と倶利伽羅峠の戦い(富山県‐石川県)、後半は一の谷の戦い(兵庫県神戸市)・屋島の戦い(香川県)・壇ノ浦の戦い(山口県)が有名な戦いといえます。

当初は源氏の武将たちが関東方面に多かったために、富士川や倶利伽羅峠など京の東での戦いが主体でしたが、後半は平家が西国落ちしたのを源氏が追いかけていく戦いのために西国が主流となります。そして逃げる平氏を追い詰め、遂に壇ノ浦(山口県)で滅ぼし、源平合戦は終息しました。

源平合戦の勝者は?

頼朝の義父・北条時政は平家の分家筋の家系だが頼朝に従い戦った
出典:Wikipedia

源平合戦は、源氏方の勝利に終わりました。ただし源氏といっても、寺院や平家だけれども以仁王の平家打倒の宣旨に従った人もいるために、正確にいうと「打倒平家に参加した反平氏勢力たち」の勝利と言ったほうが良いのかもしれません。

結果として頼朝率いる武士層は、中央政府からのある一定の独立をいう悲願を達成させることに成功しました。源頼朝と共に戦った平家筋の人物(北条時政・梶原景時・三浦義澄など)も、有力御家人として関東武士の連合体的な立場となっています。

源平合戦が起きた原因

源氏と平氏の関係はどうしてここまでこじれ戦いも激しくなったのか疑問となってくる

5年にも及ぶ大きな内乱となった源平合戦ですが、なぜここまで内乱が大規模化したのか?ここでは源平合戦が起きた原因を紹介します。

平家の天下に不満を持つ人が多くいた

平安時代の宮中行事の様子、要職に就けなくなった公家の不満が高まっていった
出典:特定非営利活動法人有識文化研究所ホームページ

大きな要因の一つは、平家の天下に対して不満を持っていた人が多くいたことが挙げられます。源平合戦が始まる前の1156~1160年、貴族間の権力争いで起きた保元・平治の乱で、頼朝の父の源義朝は失脚し、平清盛が上手く立ち回って政界における地位を向上させていきました。

そして自分の娘を高倉天皇に入内させ、1167年には武士で初めて太政大臣に就任しています。その頃には多くの公卿(従三位以上の位についた人)を平家の人間が就いている状態であり、

「平家にあらずは人にあらず」

と清盛の義弟、平時忠がいうほどの栄華を極めていたのです。

森田剛が演じた平時忠、「平家に…」という有名な言葉も作中で言っている
出典: togetter

平家の最盛期には、領地は日本全領土の3分の2を占めていたというほどでした。当然快く思わない人は多く、平家により官職に就けなくなった貴族たち、京から追いやられた源氏などの中小武士団たちなどの中で不満がくすぶり、いつ爆発してもおかしくない状態となっていたのです。

後白河天皇の幽閉に対する不満

鹿ケ谷で平家打倒の話し合いがあったために清盛は軍を出し、法皇のために動けなかった
出典:JapaneseClass.jp

大きな原因の一つに、清盛と後白河法皇の不仲が要因だったと考えられています。二人が対立したきっかけは、後白河法皇の要請に清盛が動けなかったために、院の近臣が束縛され政治的地位が低下してしまう事件が起きたからでした。

その後1178年に高倉天皇と清盛の娘・徳子の間に言仁皇子(後の安徳天皇)が産まれると、平家が要職を占めていき、益々院の近臣たちは排除されていったのです。そのため警戒した後白河法皇は、死去した清盛の娘・盛子の所領を全て没収、清盛の面目を潰す人事を行いました。

安徳天皇が即位し、清盛が外祖父となった
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そこで怒った清盛はクーデターを起こし、後白河天皇を幽閉し院政を停止させてしまいます。そして高倉天皇に天皇の位を、安徳天皇に譲位させててしまいました。その強引なやり口も後白河天皇の近臣などの貴族たちの反感を買うこととなったのです。

源平合戦に登場する主な武将・人物

源平合戦に登場する主な武将・人物を紹介
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源平合戦に登場する主な武将・人物を紹介します。源平合戦を知るには、押さえておきたい人物です。

源平合戦における源氏の武将

源氏の家系図
出典:ぶらぶら観光マップ

源頼朝

源頼朝
出典:Wikipedia

源氏の棟梁であり、後に征夷大将軍となり鎌倉幕府を開いた人物です。父・義朝の失脚により伊豆に配流されていましたが、以仁王の令旨を受けて平家打倒で挙兵し、鎌倉を本拠地として関東を制圧しました。

そして弟たちを代官として木曽義仲や平氏を滅ぼすことに成功し、功績のあった源義経を討伐して鎌倉幕府を開いています。征夷大将軍に任命され、京都を中心とした平家政権と違い、東国に独立した武家政権を樹立しました。

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源義経

源義経
出典:Wikipedia

平安後期の武将で、頼朝の弟であり兄の代官として源平合戦を指揮していた武将です。鞍馬寺に預けられた後に、奥州にいましたが兄の挙兵を知り参陣。戦術に巧みで一の谷の戦いや壇ノ浦の合戦で勝利し、源氏を勝利に導きました。

その一方政治には疎く、兄の頼朝を怒らせる行為をするようになり、兄や鎌倉武士たちの反感を買ってしまいました。最後は反義経の動きを知り奥州に逃げますが、頼朝に脅された奥州藤原氏の藤原泰衡の襲撃により自害しています。

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木曽(源)義仲

木曽(源)義仲
出典:Wikipedia

頼朝・義経の従妹にあたる人物です。平家が台頭した頃に木曽(現在の長野県)に逃れて、木曽の豪族中原氏の元で育っています。27歳の時に以仁王の呼びかけにより、巴御前を引き連れて挙兵。倶利伽羅峠で平家を破り、入京を果たしています。

しかし連日の飢饉と荒廃した都の治安回復を望まれていたものの、治安の回復が遅れ、皇位継承への介入などで次第に後白河法皇と不仲になっていきます。そして後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉し、征東大将軍となるものの、義経たちの軍勢に敗れ死去しました。

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以仁王

以仁王
出典:Wikipedia

後白河法皇の第三皇子だった人物です。平家討伐の令旨を出し、源平合戦のきっかけを作った人物でもあります。母の家柄も良く、学問や詩歌、特に書や笛に長けていたそうです。しかし平家の妨害があったことと、母方の叔父が失脚したために親王宣下を受けられませんでした。

以仁王は「最勝親王」と名乗り挙兵する計画を建てるも事前に漏れ、皇族を剥奪され「源以光」とし土佐に流されることまで決まっていました。しかし以仁王は脱走しており、大和の興福寺に向かっていたものの、敵の矢に当たり落馬したところを討ち取られたそうです。

以仁王の橋合戦の様子
出典:Wikipedia

しかし王の顔を知るものは少なく東国生存説が巷に流れており、令旨を受けて各地の源氏が挙兵するきっかけとなりました。死後に大きな功績を残した人物といえます。

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