指名手配され時効まで逃げ切った犯人ランキングTOP20

10位:門脇靖典-座間味島女性殺害事件(1994年)

門脇靖典は、1994年に起きた座間味島女性殺害事件の犯人です。1994年5月、沖縄県・座間味島の砂浜に、女性の絞殺遺体が遺棄されているのが発見されます。遺体は砂浜に埋められ、手足と顔だけが出されており、遺留品が円状に並べられていました。

4月からこの女性は門脇と不倫旅行に出ていた事が判明し、警察は門脇を指名手配します。門脇が島から出た証拠はなく、無理心中を図った可能性も示唆されましたが、後に門脇は居住区域の東京で同僚に目撃されており、生存が発覚します。

ただ門脇の消息は掴めず、2009年5月に時効が成立し、門脇は時効を逃げ切りました。門脇の特徴としては、左目が悪く白斑化している事。医者にかかる事も出来なかった為、既に失明している可能性もあります。

9位:長田良二-札幌信金OL殺人事件(1990年)

長田良二
出典:さっぽろさんぽ

長田良二は、1990年に起きた札幌信金OL殺人事件の犯人です。1990年12月、札幌市西区の札幌信用金庫に勤務する24歳の女性が行方不明となり、3日後に自宅近くの軒下で刺殺遺体として発見されます。

捜査を経て警察は、女性の後輩で当時無職だった長田良二を指名手配します。女性の預金通帳に長田の指紋が検出された事、長田の自宅に「捕まらないため逃げる」と書かれたメモが発見された事が決め手となりました。

ただ長田の消息は掴めず、2005年12月に時効が成立。遺族は、逃走中の長田に民事訴訟を行い、2008年に札幌地裁は長田に約7497万円の支払いを命じます。ただ当然ながら長田が裁判に出廷はしておらず、実際にお金が支払われる可能性はほぼありません。

8位:実名報道なし-静岡銀行鷹岡支店行員殺害事件(1978年)

静岡銀行高岡支店
出典:バンクマップ

静岡銀行鷹岡支店行員殺害事件は、1978年8月に静岡県富士市の静岡銀行高岡支店の男性行員が、山中で遺体で発見された事件です。行員は、バイクで営業に出たまま行方不明になっており、遺体が発見された際には集金袋がなくなっていました。

警察は強盗殺人事件と判断し、捜査を開始するものの、1993年8月に時効を迎えました。これで事件が終わりかと思えばそうではなく、犯人は1998年に放送された「告白 銀行員殺しは私です」というドキュメンタリーに出演しています。

犯人は番組内で、アナウンサーに犯行内容について語り、現場となった山中にも訪れています。20年が経過して姿を現したのは、民事の時効が20年だった事に起因しているのかもしれません。

犯人は、番組内で今でも犯行現場にあった鉄塔が夢に出ると述べています。刑法からも、民法からも逃れる事が出来ても、犯人が本当に幸せなのかは分かりません。

7位:実名報道なし(韓国人)-名古屋少年匕首殺害事件(1945年)

匕首
出典:ひるねこ堂

戦後間もない1945年8月に、名古屋市北区で発生した恐喝殺人事件です。韓国人の男2人が、少年3人を恐喝して現金を強奪。それに憤怒した少年達と、乱闘になった結果、男のうちの1人が少年の1人を匕首で殺害し、もう1人に全治2週間の怪我を負わせたのです。

男2人は逮捕されるものの、殺害を行った方の男は取り調べの際に脱獄し、行方をくらましました。男は公判が行われる途中に逃走した為、名古屋地裁は公判日の延期を行い続ける形で、殺人事件の時効停止を図り続けました。

2001年になり、「男が数年前に韓国に密出国していた事」が判明。名古屋地裁は、事件から56年が経過し、男が再入国する可能性は低いとし、前回の延期日から15年目の2001年7月3日に、公訴時効の延期を断念したのです。

56年もの間、時効が停止されなかった事も驚きですが、その期間を逃げ切り続けた男もまた凄まじい執念ですね。

6位:滝谷福松-弘前大教授夫人殺し事件(1949年)

冤罪の罪を着せられた那須隆
出典:Wikipedia

滝谷福松は、1949年8月に起きた弘前大教授夫人殺し事件の犯人です。弘前医科大学の教授の妻が、在府町の寄宿先で刺殺されます。警察は滝谷ではなく、那須与一の子孫である那須隆さんという人を冤罪で逮捕。那須さんは1952年に懲役15年の判決が下りました。

滝谷は、弘前大教授夫人殺し事件からは罪を免れたものの、強姦致傷罪や強盗傷人罪等の犯罪を繰り返し、結局は服役しています。ただ後に良心の呵責に耐えかね、出所後の1971年に自分が「弘前大教授夫人殺し事件の犯人である」と告白したのでした。

ただ既に公訴時効は成立しており、滝谷は弘前大教授夫人殺し事件については不起訴となりました。滝谷は、妻と廃品回収会社を営むものの、1984年に青少年保護条例違反で罰金刑を受けました。会社も閉鎖され、不遇の晩年を過ごしています。

一方の那須さんは、1963年に仮出所し1965に結婚。1971年に無罪を勝ち取った後は、各地で冤罪体験を語る講演を続けました。2004年に道の駅「那須与一の郷」が開園すると、那須与一の子孫として名誉館長にも選ばれました。

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25 COMMENTS

匿名

こういう頭の悪いランキング付けるからイキって意味分からん殺人犯すやつが出てくるんだよな
殺人鬼量産機ですか?

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匿名

城丸君事件の班員の顔写真は間違ってますよ。これは工藤加寿子ではなく重信房子です。

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マサエ

貴方方の言う様な『時効とは⁈…………・犯罪者が時効まで逃げ切れ無い』所詮其の様な事を言う方々は、其処らの『エンタメユーチューバーさん達同様ですね。‼』此の世の中には犯人を警察機構でも特定すら出来無い!犯人が警察機構の捜査で犯人が解らずに、何年も経過すると
貴方方でも、数年前の事を細かく覚えて無いのが現状です。
無暗に矢鱈に『時効迄!逃げられ無い。‼/貴方方の欺瞞にしか、見え無いですね。‼』言うものでは無いですね。/犯罪は進化してますが、貴方方・多くの方々は、インターネット等々は過去のデータだと言う事を忘れてる様ですね。/古き過去のデーターでは、警察機構の古き過去の捜査方針だと、此れからの犯罪には付いて来れ無い事を、何時か体験するかも。⁈

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匿名

愛知銀行員殺害事件(静岡県浜松市で起きた事件)
時効になり未解決事件。
これも入れてください。
浜松市の路上で1992年12月、愛知銀行浜松支店行員中村伸一郎さん(当時24歳)が
殺害された事件は15日午前0時、殺人罪の公訴時効(15年)が成立した。

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