夏目漱石の脳が東大に保管されている理由
ここからは、夏目漱石の脳が東京大学医学部に保管されている下記2つの理由を紹介します。
- 末娘の夭逝で解剖の重要性に気づいたから
- 妻の鏡子が強く望んだから
末娘の夭逝で解剖の重要性に気づいたから
夏目漱石の脳が保管されている理由の1つは、末娘である雛子の死でした。これをきっかけとして、夏目漱石と彼の妻である鏡子は解剖技術の重要性を実感したのです。
夏目漱石と妻の鏡子には、2男5女の子どもたちがいました。1910年に生まれた末娘の雛子は夏目家の末っ子でしたが、翌年にわずか1歳で天逝します。これは漱石の死の5年前のことです。
雛子は食事中にひきつけを起こしたように倒れて亡くなりました。死の直前まではとても元気に遊んでおり、食事中も楽しくおしゃべりをしていたようです。まさしく突然死であり、解剖もしなかったために詳しい死因は分かりませんでした。
この出来事から、夏目漱石は自分の死後は「死因が正確に分かるように解剖をして欲しい」という遺志を持ったのです。その中には、解剖の研究に自分の身体を役立ててほしい気持ちもあったことでしょう。その思いを汲んで漱石の遺体は解剖され、脳と胃は寄贈という形で保管されることになったのです。
妻の鏡子が強く望んだから
夏目漱石の妻である鏡子が夫の解剖を強く望んだことも関係しています。漱石が49歳で亡くなったとき、妻の鏡子は39歳でした。夫の死に嘆き悲しみながらも、生前の漱石の遺志を叶えるため主治医に解剖を依頼したのです。
鏡子自身も末娘の突然死に疑問を抱いていたらしく、漱石の遺志は鏡子の意志でもあったのでしょう。ちなみに、夏目漱石の死因は消化性潰瘍という消化器官の炎症(胃潰瘍)によるものでした。詳しくはこちらの記事をお読みください。
夏目漱石の脳が持つ特徴
ここでは、夏目漱石の脳が持つ2つの特徴について解説していきます。
- 前頭葉が大きく発達していた
- 脳の重さは平均的だった
文豪と呼ばれるだけあって、夏目漱石の脳は他の人と異なる面がありました。発達していた部位から脳のシワなど、専門家たちの研究対象となる特徴が多数見受けられたのです。
その中でも上記2つは他の脳組織と違って、非常に興味深いものでした。脳の色彩が少し変わった今でも、それらの特徴を確認することができます。それぞれを詳しく見ていきましょう。
前頭葉が大きく発達していた
まず、夏目漱石の脳は前頭葉が大きく発達していました。脳のシワも細かく刻まれていたのです。これらの特徴から、漱石が「連想作用」を行うことに優れていたことが分かります。
連想作用とは、何か特定の出来事や物事を見たときに他の何かを連想することです。小説家などの創作を生業にする人にとっては欠かせないスキルとなります。
また、前頭葉は人間の感情や言葉、客観的に自己を見るという機能を司っているのです。多数の名作を生み出す素晴らしい脳みそを夏目漱石が持っていたことが証明された瞬間でした。
脳の重さは平均的だった
夏目漱石の脳の重さは約1425gと少し重めながらも、平均的な重さでした。解剖された当時は「脳が重い」と新聞にも掲載されましたが、最近の研究では日本の成人男性の脳の重さは1300g〜1500gとされています。そのため、脳の重さに関して夏目漱石は一般的だったといえるでしょう。
ちなみに、他の偉人の脳の重さを見てみるとキリスト教思想家である内村鑑三は1470g、フランスの革命家であるナポレオンが1500gです。中でも、1番重い脳を持っていたのはロシアの小説家であるツルゲーネフで2012gありました。
ただし、「脳の重さ」と「知能」が明確に関係しているかどうかは現在でも論議があります。そのため、脳が平均的な重さだったからといって夏目漱石の能力を推し量ることはできません。
夏目漱石の脳は観に行けるのか
残念ながら、夏目漱石の脳が保管されている東京大学医学部の標本室は一般公開されていません。一般に展示されたことも、漱石の脳が保管されてから現在にいたるまで2回しかないのです。
1回目は1995年の9月から11月に東京の国立科学博物館で開催された「人体の世界」という日本解剖学会の創立100周年を記念した特別展示でした。2回目は2012年の8月に開催された「音楽フェス FREEDOMMUNE 0<ZERO> A NEW ZERO」です。
こちらの音楽フェスでは、創作宇宙を再現する目的として夏目漱石の脳や蔵書、自筆原稿、写真などを展示しました。その後は公に展示されたことはありません。
ただ、写真のみでしたら広島県にある「広島健康づくりセンター健康科学館」に展示されています。夏目漱石だけでなく内村鑑三や横山大観らの脳の写真もありますので、お近くにお住まいの方は是非訪れてみてください。