「小倉美咲ちゃん事件でキャンプ仲間からの証言がなかったって言われてるけど、実際どうなの?」
「遺体の一部が見つかったというのは本当?」
「家族やキャンプ仲間は今何をしているの?」
「山梨キャンプ場女児失踪事件」は、2019年9月21日に山梨県道志村のキャンプ場で、当時小学1年生の小倉美咲ちゃんが行方不明になった事件です。行方不明になった女児の名前を取り、「小倉美咲ちゃん事件」とも呼ばれます。
事件発生時から大きな話題になりましたが、事件当日のキャンプ仲間の証言がなかった事に疑問を持った人も多いのではないでしょうか。この記事では、小倉美咲ちゃん事件でキャンプ仲間から証言がなかった理由を、事件にまつわる謎や関係者達のその後も交えて紹介します。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
山梨キャンプ場女児失踪事件(美咲ちゃん失踪事件)とは
はじめに、山梨キャンプ場失踪事件(美咲ちゃん失踪事件)の概要を簡単に解説します。
美咲ちゃんが行方不明になる
事件は2019年9月21日、山梨県道志村にある「椿荘オートキャンプ場」で起きました。午後12時15分頃、小倉美咲ちゃんの家族を含めた7家族27人が、キャンプ場に到着。ご飯を食べた後、子ども達はキャンプ場近くの森で遊んでいました。
その後、子供たちはおやつを食べにキャンプ場に戻ります。9人の子ども達は、午後3時35分に今度は沢の方に遊びに向かい、美咲ちゃんも5分遅れでキャンプ場から100m離れた椿沢に向かった様子をキャンプ仲間が確認しています。
ただ、午後4時に大人が沢に向かうと、そこに美咲ちゃんの姿はありませんでした。大人達は必死で美咲ちゃんを探すものの、1時間経っても見つける事ができず、警察に捜索願を提出します。
捜索願提出後は、300人体制で捜査が行われるものの、10月6日に捜査隊は解散。その後は家族や有志のボランティアで捜査が行われるものの、美咲ちゃん失踪の手がかりとなる痕跡すら見つからなかったのです。
2年8ヶ月後に人骨が見つかる
美咲ちゃんの遺体の一部が発見されたのは、2022年4月23日。発見場所はキャンプ場から600m離れた林道近くの沢でした。頭の骨や肩甲骨の一部の他、子ども用の靴や片方の靴下・ハイネックシャツが相次いで発見され、捜査は大きく進展します。
5月4日にも新たな白骨が発見され、その遺体をDNA鑑定したところ、その骨が美咲ちゃんのものであると断定されました。捜査関係者によると、骨の状態から美咲ちゃんは行方不明になって間もない内に亡くなったと推測されています。
警察は「事件と事故」の両面から捜査をします。ただ、美咲ちゃんがどのようなルートを移動したのか、死因などは特定できていません。後から骨が見つかった事を不審に思う人もいますが、骨が発見された箇所は当時はあまり捜査が行われなかった場所です。
ちなみに、骨を発見したのはボランティアの男性でした。雨や風などの自然現象が重なり、骨や遺留品が地面から露出し、ボランティアの目に留まったのかもしれません。
27人のキャンプ仲間からの証言はなかった
当時のキャンプ仲間は7家族27人ですが、遺体が発見されるまでの間、キャンプ仲間からの証言はありませんでした。悲痛な表情で美咲ちゃんの母親が取材の対応をしていた事を、皆さんも覚えているのではないでしょうか。
ちなみにキャンプ仲間の家族構成は以下の通りです。
- A家:父、母、子2
- B家:父、母、子3
- C家:父、母、子3
- D家:父、母、子2
- E家:母、子2
- F家:父、母、子1
- 小倉家:母、長女、美咲ちゃん
美咲ちゃんの父親は当日に仕事があった為、翌日に合流予定でした。一番大きい子が小学6年生で、美咲ちゃんは小学1年生。それよりも小さい子もいたようです。
事件発生当初、キャンプ仲間に対する憶測も多く流されていました。代表的なものとして、「SNSで知り合ったオフ会のメンバーで、皆が初対面だった」。「母親は父親ではない人と参加し、キャンプではその男を父親と紹介した」。「宗教仲間」等が挙げられます。
それらの憶測が交錯し、遺体が発見されるまでは、キャンプ仲間の中に美咲ちゃんを誘拐した犯人がいると考えた人も少なくありませんでした。