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アンディウォーホルとはどんな人?生涯・年表まとめ【性格や作品、名言や死因についても紹介】

アンディウォーホルは「ポップアートの巨匠」と呼ばれる、1960年代に活躍したアーティストです。「マリリンモンロー」の絵を見たことがある方が多いのではないでしょうか。「シルクスクリーン」と呼ばれる大量印刷の技法により、作品を大量生産し、世に急速に広めていきました。

マリリンモンロー

ウォーホルがポップアートを確立する前の1950年代はジャクソンポロックなどの抽象表現主義が盛んでした。その流れの最中で、「多くの人に身近な物や、多くの人に認知されている人物でさえもアートになる」ということを提唱し、人々に衝撃を与えたのです。

アンディウォーホル

それまでの芸術の流れを変えたアンディウォーホルはのちのアーティストたちにも多大な影響を与えました。そして、死後30年以上経った今でも彼の作品は愛され続けています。なぜこれほどまでにウォーホルの人気が衰えないのでしょうか。

アンディウォーホルの「マリリンモンロー」に魅了され、今でも展覧会が開かれるとほぼ必ず鑑賞におもむく筆者が、彼の作品や文献を漁って得た知識を元に、ウォーホルの生涯や名言、代表作までご紹介していきたいと思います。

目次

アンディウォーホルとはどんな人物か

名前アンドリュー・ウォーホラ
誕生日1928年8月6日
没日1987年2月22日
生地アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ
没地アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
配偶者なし
埋葬場所アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ 聖ヨハネ・バプテスト・カトリック協会

アンディウォーホルの生涯をハイライト

アンディウォーホル 自画像

アンディウォーホルの生涯をダイジェストすると以下のようになります。

  • アメリカのピッツバーグにて1928年に誕生。両親は敬虔なカトリック教徒。
  • カーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)で美術を学ぶ。
  • 広告デザイナーとして、雑誌の挿絵や有名なアーティストのレコードジャケットを手がける。
  • 「ブロッテド・ライン」と呼ばれる、大量印刷の前身となる技術を発明。
  • ポップアートに魅了され、シルクスクリーンにて「キャンベルのスープ缶」、「マリリンモンロー」などを製作する。
  • 狙撃事件の被害者となり、生死の境をさまよう。一命は取り留める。
  • 「1960年代に最も影響力のあった人物」に選ばれる。
  • 1987年、ニューヨークのコーネル医療センターにて亡くなる。死因は心臓発作。

アンディウォーホルが影響を受けた人物、与えた人物

ロイ・リキテンスタインの作品

アンディウォーホルはロイ・リキテンスタインの絵に影響されて、ポップアートの世界へと入りました。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

逆にウォーホルが影響を与えた人物はたくさんいます。ウォーホルがファーストアルバムのプロデューサーを務めたヴェルヴェット・アンダーグラウンドはそのジャケットのデザインもウォーホルが手がけており、この2者が出会っていなければ、バンドのメジャーデビューはなかったかもしれません。

トルーマン・カポーティ ティファニーで朝食を

「ファクトリー」に出入りしていた小説家のカポーティやモデルのニコ、女優のイーディ・セジウィックなども、良い悪いは別にして、ウォーホルから影響を受けた人たちです。

バスキアの作品 ZOZOTOWN前澤社長が買取

そして、1980年代に活躍するアーティスト、バスキアもウォーホルの影響を大きく受けることになったのでした。ZOZOTOWNの前澤社長がコレクションしていることでも話題になった人物です。

アンディウォーホルの作品の作り方とは?

アンディウォーホルの作品の作り方には大きく分けて2種類あります。1950年代の「ブロッテド・ライン 」と呼ばれる手法と1960年代以降の「シルクスクリーン」による大量生産です。

ブロッテド・ライン による作品

ブロッテド・ライン とは吸水性の紙と撥水性(水をはじく)の紙を用意し、撥水性の紙の上にインクをライン上に並べていきます。そのはじかれたインクの上に吸水性の紙を被せてインクを吸わせ、色をつけるという方法です。この技術は大量印刷の先駆けとなりました。

シルクスクリーンによる作品

シルクスクリーンは孔版印刷(孔が開いた板による印刷)の一種です。メッシュ状の板に描きたい絵柄に沿った孔(あな)を作り、その間をインクが通るようにします。

紙を下に敷き、先ほどの板を上に乗せて、その上からインクを置いて均等に延ばすと、孔の部分だけインクが通過し、下の紙にうつるのです。この技法により作品の大量生産が可能となりました。

アンディウォーホルの有名な作品は?

アンディウォーホルの有名な作品といえば、「キャンベルのスープ缶」や「マリリンモンロー」でしょうか。1961年にポップアートへと転身した後に初めて描いたのが「キャンベルのスープ缶」で、その一年後にシルクスクリーンを初めて用いたのが「マリリンモンロー」です。

キャンベルのスープ缶

そのほかにも、有名アーティストのレコードやCDジャケットのデザインも代表作として有名なものがあります。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「バナナ」やジョンレノンの未発表曲を収録した「メンローヴ・アヴェニュー」のレノンの肖像画などです。

「バナナ」

上記以外に10個の作品を以下の記事で紹介していますので、見てみてください。

【やさしく解説】アンディウォーフォルの作品・代表作10選!創作背景も解説

アンディウォーホルの功績

功績1「シルクスクリーンによる作品の大量生産」

アンディウォーホルは大衆文化における大量生産・大量消費の危うさに警鐘を鳴らしたいと考えていました。

それを印象付けるために、作品の大量生産をするにはどうしたらいいのかを考えていたのです。

1950年代に生み出した「ブロッテド・ライン」も大量印刷の側面は備えていましたが、十分ではありません。

シルクスクリーン 工程

そこで、商業技術において版画作品を数多く生産する方法として世に出ていた「シルクスクリーン」という技法を作品制作に用いるようになります。これにより、ウォーホルが意図する作品を大量に世の中に送り出すことができ、人々に衝撃を与えたのでした。

大衆的な洗剤「ブリロ・ボックス」とアンディウォーホル

ウォーホル以前の芸術家たちは自身の作りだした一点物の作品がアートであると考えていましたが、ウォーホルはそれを覆し、「誰でも手に取れる商品や、誰もが知っている人物もアートの対象となる」という思想を発表したのです。これは美術界における革命でした。

功績2「ポップアートの巨匠」

ポップアートは現代社会における大量生産・大量消費をモチーフとして作品を作る芸術運動のことです。もともとは1950年代にイギリスで誕生したアートですが、それをアンディウォーホルが世界的に広めていったのです。

ジャクソンポロック 抽象表現主義

1950年代はジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義が主流でしたが、その後に出てきた芸術家が廃棄物などや単なる数字などをアートとして表現するようになります。

そして、1960年代に入るとロイ・リキテンスタインとアンディウォーホルが、魅力的でわかりやすい、ポップな絵柄を大量生産し、ポップアートとして位置付けたことで大衆に広く受け入れられたのでした。

功績3「映画の製作も手がけた」

アンディウォーホルは生涯に60本以上の映画制作を行っています。1963年から制作を手がけていましたが、実験的な意味合いの作品が多かったため、最初の公開作品は1966年の「チェルシー・ガールズ」でした。この作品は全米で公開され、大ヒットを記録します。

チェルシーガールズ

その後、日常的な行動をテーマとした映像を制作することを思いつき、ひたすら眠り続ける男を6時間撮り続けた「Sleep」という作品を発表します。1970年代には「処女の生血」などのホラー作品を手がけるようになりました。

処女の生血

アンディウォーホルの名言

「考えは豊かに、見た目は貧しく」

アンディウォーホルは美術史上、誰も考えつかなかったアートを確立しました。このように考え方が豊かでありながら、自身は奇抜なファッションなどはせず、黒を基調とした服装が多かったようです。内面を豊かに、外面は頓着せずという考えはどの時代にも大切でだと思われます。

「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。」

ウォーホルの活躍した時代はテレビなどが台頭し、様々なスターが生まれました。それまでの時代では考えられないスピードで華々しい活躍をする有名人が増えたのです。その状況を考慮して、これ以後の世界では誰もが有名になれる時代が来ると説いています。

「退屈なことが好きなんだ」

ウォーホルがモチーフとした対象は誰もが知っているような事柄でした。それらをアートと考えなければただの退屈な物で終わっていたでしょう。ウォーホルはそれをアートととらえたことで、世間に衝撃を与えたのでした。

ウォーフォルの名言はいくつもあり、上記以外に10個の名言を発言意図と共に紹介しているので、是非見てください。

アンディウォーホルの名言10選!発言の意図や背景、英訳や名言集も紹介

アンディウォーホルにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「銃殺未遂に見舞われる」

事件後のアンディウォーホル

1968年、ウォーホルが40歳の時に「ファクトリー」で銃殺未遂事件が起きます。しかも、ターゲットはアンディウォーホルでした。銃撃した人物は「男性抹殺協会」に属しており、「ファクトリー」にも頻繁に出入りしていた仕事仲間のヴァレリー・ソラナスでした。

I Shot Andy Warhol

ソラナスは3度発砲し、そのうちの1発がウォーホルに命中します。ウォーホルは内臓を撃ち抜かれ、生死の境をさまよいましたが、なんとか一命を取り止めました。この事件は1995年に「I Shot Andy Warhol」として映画化もされています。

都市伝説・武勇伝2「銃弾が打ち込まれた肖像画が30万ドル以上で落札」

銃弾を撃ち込まれた「毛沢東」

ウォーホルの手がけた「毛沢東」の肖像画を、デニスホッパーが「気味が悪い」という理由で銃弾を撃ち込みます。2発の銃弾が撃ち込まれた肖像画はウォーホルとホッパーの共同制作ということになり、作品として残されました。この作品が2011年に競売にかけられ、30万ドル(当時の日本円で2500万円)の値をつけたのです。

マリリンモンロー 本人

また、「マリリンモンロー」も銃で撃たれています。「ファクトリー」にやってきたドロシーという女性がウォーホルに向けて銃を構えますが、寸前のところで少し逸らし、「マリリンモンロー」に銃弾を撃ち込んだのです。この作品は「撃たれたマリリン」として残され、後年、ウォーホル史上最高額の値がつきましたが、具体的な金額はわかっていません。

都市伝説・武勇伝3「猫を20匹以上飼っており、家はゴキブリだらけだった」

ウォーホルの描いた猫

ウォーホルは大の猫好きで、家に25匹の猫(のちに生まれた子猫を合わせると26匹)を飼っていました。しかも、名前は1匹目が「ベター」で、あとの24匹はみんな「サム」と呼んでいたそうです。さらに、自分の髪色に合わせて猫も銀色に塗っていたという逸話も残っています。

ゴキブリ

そのウォーホルの家では、猫をたくさん飼っている影響からか、部屋中にゴキブリが発生していたそうです。ゴキブリがよく出てきたのは若い頃に借りていた安いアパートでの話だという説もあります。いずれにせよ、外出した際にウォーホルのバッグの中からゴキブリが出てきたいうエピソードも残っています。

アンディウォーホルの簡単年表

1928年 - 0歳
アンディウォーホルの誕生

アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグのフォレストシティにてアンディウォーホルが誕生します。父親は農家を営んでいるアンドリューで、母親はジュリアという名前でした。

1942年 - 14歳
父・アンドリューが死亡

働いていた炭鉱で体に害のある水を飲んでしまったことにより、父親のアンドリューが亡くなります。その後は母・ジュリアによって育てられましたが、ウォーホル自身も高校に通いながら、アルバイトをし始めます。

1945年 - 17歳
カーネギー工科大学で美術を学ぶ

ピッツバーグの地元の高校を卒業し、カーネギー大学(現在のカーネギー・メロン大学)へ進学します。

1949年 - 21歳
女性誌の挿絵を担当することに

1949年にカーネギー大学で美術学士号を取得すると、女性誌のディレクターと出会い、雑誌の挿絵を担当することになりました。この頃から「アンディウォーホル」と名乗るようになります。

1950年 - 22歳
広告デザインを手がける

雑誌の広告デザインを担当するようになりました。また、ケニー・バレルやテネシー・ウィリアムスなど、有名アーティストのレコードジャケットのデザインも手がけます。そして、百貨店や企業の商品広告でも力を発揮するようになっていくのでした。

1951年 - 23歳
「アート・ディレクターズ・クラブ」の最優秀新聞広告賞を受賞

CBSのラジオ番組「Nation’s Nightmare」の広告デザインを担当します。当時、問題となっていた麻薬を扱う番組であったため、「腕に麻薬を打つ人」のイラストを描きました。そして、これが「アート・ディレクターズ・クラブ」の最優秀新聞広告賞を受賞します。

1960年 - 32歳
ポップアートの道へ

広告の仕事を続けながらも、新たな道を模索していたウォーホルは油絵によるポップアートの制作を開始します。

1962年 - 34歳
アトリエ「ファクトリー」を開設

ウォーホルがメインで活動を行ったアトリエ「ファクトリー」が設立されます。ここで初めて「シルクスクリーン」を導入し、大量生産に乗り出すのでした。1964年までの間に約2000点もの作品を仕上げました。その中には有名な「マリリン・モンロー」や「キャンベルのスープ缶」も含まれています。

1964年 - 36歳
ニューヨーク万博へ作品を出品

1964年ニューヨーク万国博覧会が開催され、「13人の重要指名手配犯」を出品しますが、犯罪者のほとんどがイタリア系のアメリカ人であったため、人種差別にあたるのではということで、絵が塗りつぶされてしまいます。

1967年 - 39歳
アルバムのジャケットに「バナナ」のデザイン

1965年に出会ったロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」がデビューアルバムを出すということで、ジャケットのデザインをウォーホルが手がけることになります。その作品が「バナナ」です。

1968年 - 40歳
銃で狙撃されるも一命を取り止める

ファクトリーに侵入してきた、「男性抹殺協会」のヴァレリー・ソラナスに狙撃され、重体となります。左肺、脾臓、肝臓を銃弾が貫通しましたが、一命を取り止めました。

1970年 - 42歳
「ライフ」誌で1960年代に最も影響を与えた人物の1人に選ばれる

雑誌「ライフ」が集計した「1960年代に最も影響を与えた人物」に選ばれました。この中にはビートルズなども入っています。

1974年 - 46歳
日本で「アンディウォーホル大回顧展」が開催

1974年に来日し、東京と神戸の大丸デパートにて「アンディウォーホル大回顧展」が開かれました。

1975年 - 47歳
自伝本「ぼくの哲学」を刊行

初の自伝本となる「ぼくの哲学(The Philosophy of Andy Warhol: From A to B and Back Again)」を発表しました。

1977年 - 49歳
スポーツ選手のシルクスクリーンに凝る

伝説のプロボクサー「モハメド・アリ」やサッカーのスーパースター「ペレ」、プロテニス選手「クリス・エバート」などのシルクスクリーンを制作しました。

1983年 - 55歳
TDKのビデオテープのCMに出演し、日本のテレビに映る

日本のTDKビデオカセットテープのCMに出演し、テレビに映るようになります。内容は、カラーバーが映されたテレビを肩に乗せ、慣れない日本語で「あか、みどり、あお…きれい」と言うものでした。

1984年 - 56歳
「TIME」誌の表紙にマイケルジャクソンのポートレートを載せる

雑誌「TIME」の表紙のデザインを依頼され、当時スター街道を駆け上がっていた「マイケルジャクソン」のポートレートを制作し、それを表紙に載せました。

1986年 - 58歳
ジョンレノンのアルバムのジャケットを制作

ジョンレノンの未発表アルバム「メンローヴ・アヴェニュー」を発表することが決まり、そのカバージャケットのデザインの依頼がウォーホルの元へ届きます。そして、このジャケットのデザインがウォーホルの最後の代表作となるのでした。

1987年 - 58歳
アンディウォーホル死去・死因は心臓発作

1987年2月20日、胆嚢炎の手術のため、ニューヨーク病院コーネル医療センターへ入院します。翌日、無事に手術は終わりましたが、その次の日に心臓発作にて亡くなってしまうのです。享年58歳でした。墓地はウォーホルの故郷であるペンシルベニア州のピッツバーグに建てられています。

アンディウォーホルの年表

1928年 – 0歳「アメリカ、ペンシルベニア州でアンディウォーホルの誕生」

アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 ピッツバーグ

ピッツバーグにてカトリック教徒の両親の元に生まれる

アンディウォーホルはアメリカ・ペンシルベニア州のピッツバーグという街で生まれます。

両親はチェコスロバキアからの移民でルシン人の父・アンドリューと母・ジュリアでした。ウォーホルは3人兄弟で上に2人の兄がいました。

ルシン人であった両親は敬虔なルテニア東方典礼カトリック教徒のため、毎週のように教会へ通う習慣がありました。ウォーホルはこの経験から、生涯を通じて教会へと通うようになったのです。

カトリック教会 内部

父の突然の死

炭鉱で働いていた父・アンドリューがある日、体に有害な物質を含む水を飲んでしまったことにより、突然帰らぬ人となってしまいます。残された母・ジュリアと3人の兄弟は悲しみに暮れました。その後は母の手一つによって育てられることになります。

1945年 – 17歳「カーネギー大学で美術を学ぶ」

カーネギーメロン大学

地元の高校を卒業後、カーネギー工科大学へ

ピッツバーグにあるシェンリー高校に通っていたウォーホルは大学資金と家計援助のためにアルバイトをしていました。貯めたお金でカーネギー工科大学への進学を決め、美術を専攻します。そして、1949年に美術博士号を取得し、卒業しました。

大学卒業後は女性誌のアート・ディレクターと接点を持ったことをきっかけに連載記事の挿絵を担当することになりました。この頃から「アンディウォーホル」と名乗るようになります。

有名アーティストのレコードジャケットをデザイン

雑誌に挿絵を提供し続けてから約一年後に有名雑誌「ヴォーグ」などの広告デザインを任せられるようになります。

1950年代は広告デザインを主な活動として行い、高級デパートや企業の商品などの広告デザインを手がけていくようになりました。

ケニー・バレルのレコードジャケット

また、ケニー・バレルや、テネシー・ウィリアムスなどのレコードジャケットの挿絵も依頼され、デザインを担当しています。

1951年 – 23歳「『アート・ディレクターズ・クラブ』の最優秀新聞広告賞を受賞」

賞を受賞した広告

CBSのラジオ番組の広告イラストを手がける

当時、アメリカでは麻薬がはびこっており、それに問題提起をするラジオ番組「Nation’s Nightmare」の広告デザインを依頼されます。麻薬問題に喝を入れる作品を作るために、男の人が自分の腕に薬を注射する直接的な表現を用いました。

このデザインがアート・ディレクターズ・クラブの審査員の目に止まり、その年の最優秀新聞広告賞を受賞することになったのです。

「ブロッテド・ライン」という手法を開発

アンディウォーホルと言えば、「シルクスクリーン」による作品の大量生産が有名ですが、その先駆けとなる「ブロッテド・ライン」という技法をこの頃に確立しています。

ブロッテド・ラインの作品 「Lips」

「ブロッテド・ライン」とは吸水性に優れた紙と撥水性に優れた紙の2種類を使用します。撥水性の紙の上にインクをライン状に乗せていき、その上に吸水性の紙を重ねてインクを染み込ませる手法です。この手法が大量印刷へのヒントとなっていくのでした。

1960年 – 32歳「ポップアートの世界へ」

ウォーホルが影響を受けたロイ・リキテンスタインのポップアート

広告の仕事を続けながらポップアートの世界へ徐々に進出

ウォーホルは仕事での人間関係に疲弊し、デザインの作業も手につかなくなる時期がありました。そこから次なる道を模索し、マンガを基調としたデザインへと趣向を変えていきます。そこで、ロイ・リキテンスタインのポップイラストに衝撃を受けたのでした。

キャンベルのスープ缶

その影響から、ポップアートの世界へと飛び込み、1961年、「キャンベルのスープ缶」をモチーフにしたポップアート作品を発表するのです。

「シルクスクリーン」による大量生産

1962年には大量印刷技術である「シルクスクリーン」を利用して「マリリン・モンロー」や「エルビス・プレスリー」などの作品を手がけるようになりました。ここから2年間で約2000点もの作品を制作していくのです。

エルビスプレスリー

そして、自分のアトリエとなる「ファクトリー」も開設します。ここにはローリング・ストーンズのミックジャガーや小説家のカポーティなどが集まり、主な作業場として入り浸るようになるのでした。

1967年 – 39歳「アルバムジャケット「バナナ」のデザイン」

「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」のジャケット

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストアルバムのデザイン

1965年にウォーホルとヴェルヴェット・アンダーグラウンドは出会いました。そして、ウォーホルがデビューアルバムのプロデュースを担当することになります。1967年に、モデルのニコを加えて、ファーストアルバムとなる「The Velvet Underground & Nico」を発売し、そのジャケットに「バナナ」を採用したのでした。

当初はあまり売れませんでしたが、のちにジャケットのデザインが話題となったことをきっかけに再評価されることになりました。

ファクトリーでの狙撃事件

1968年6月3日にウォーホルは狙撃事件に巻き込まれます。男性抹殺協会に所属しており、ウォーホルの「ファクトリー」にも頻繁に出入りしていたヴァレリー・ソラナスが、ファクトリーに侵入し、3発の銃弾を発したのです。

ヴァレリー・ソラナス

そのうちの1発がウォーホルに命中し、内臓を貫通したため、重体となり病院へと運ばれました。ウォーホルは一命を取り止めましたが、大きなショックを受けることになりました。

1970年 – 42歳「雑誌「ライフ」に「1960年代に最も影響力のあった人物」として選ばれる」

ライフ誌に載るビートルズ

1960年代に最も影響力のあった人物に選出

アメリカの雑誌「ライフ」が発表した「1960年代に最も影響力のあった人物」にアンディウォーホルが選ばれました。ウォーホルの他にはビートルズなども名前を連ねました。

毛沢東

1970年代はローリングストーンズのアルバムジャケットや「毛沢東」のポートレート、「モハメド・アリ」、「ペレ」などの作品を発表し、1974年には日本で「アンディウォーホル大回顧展」も開催しました。

自伝本の出版

ぼくの哲学 アンディウォーホル

1975年にはアンディウォーホルの自伝となる「僕の哲学(The Philosophy of Andy Warhol: From A to B and Back Again)」を出版します。今までのウォーホル自身の半生を自らの言葉でつづりました。

1970年代後半から1980年代にかけてはテレビなどのメディアに出演するようになっていきます。

TDKのCM 「イマ人を刺激する」

ファッションショーやCMなどにも登場し、1983年には日本の「TDKカセットテープ」のテレビCMにも出演しました。

1987年 – 58歳「アンディウォーホルの死去・死因は心臓発作」

コーネル大学 コーネル医療センター

晩年の作品活動

1980年代はアーティストのアルバムジャケットや雑誌の表紙デザインを手がけることが多くなりました。

1982年にはダイアナ・ロスのアルバム「シルク・エレクトリック」のジャケット、1983年にはラッツ&スターのアルバムジャケット、1984年には「TIME」誌の表紙にマイケルジャクソンのポートレート、1986年にはジョンレノンの未発表曲を収録した「メンローヴ・アヴェニュー」のジャケットをデザインしました。

アルバム「メンローヴ・アヴェニュー」のジャケット ジョンレノン

ウォーホルの代表作としてはジョンレノンの肖像画が最後となったのです。

胆嚢炎術後の療養中に帰らぬ人に・死因は心臓発作

ウォーホルは1987年2月20日に胆嚢炎のためニューヨークのコーネル医療センターへ入院することになります。翌日に手術を受け、順調に回復しているように見えましたが、2月22日の午前6時頃に容体が急変します。

アンディウォーホルの墓

その後、懸命に治療を施されましたが、その甲斐も虚しく、心臓発作にて帰らぬ人となったのです。ニューヨークの聖パトリック大聖堂で行われた追悼式には多くのファンが押し寄せました。墓地は故郷のペンシルベニア州ピッツバーグの聖ヨハネ・バプテスト・カトリックに設けられました。

アンディウォーホルの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

ぼくの哲学

「キャンベルのスープ缶」、「マリリンモンロー」をはじめとして、シルクスクリーンによる大量生産の作品を世に出し、その名を轟かせたアンディウォーホル。彼自身の言葉でつづられる伝記本となっており、どのようなことを考えて作品制作に取り組んでいたのかがよくわかる一冊です。

ウォーホルの芸術〜20世紀を映した鏡〜

日本で開催された「アンディウォーホル大回顧展」の開催に携わった美術史家の宮下規久朗が、ウォーホルの芸術の本質に迫り、それを解説している書籍です。「孤独なトリックスター」と揶揄されたアンディウォーホルの素顔を知ることのできる一冊です。

CATS、CATS、CATS

アンディウォーホルのアトリエ「ファクトリー」には猫が20匹以上もいたそうです。そのウォーホルが猫を描いたデッサンや猫について語ったインタビューをまとめている本です。作品は35点収束されており、猫を愛したウォーホルの初期に作品などにも触れられる貴重な一冊です。

上記以外にもウォーフォルを知れる書籍を以下の記事で紹介しているので、読んでみてください。

アンディウォーホルをよく知れるおすすめ本【名言集から画集、絵本まで】

おすすめの作品

ポスター アンディ ウォーホル The Velvet Underground & Nico

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが1967年に発売したファーストアルバム「The Velvet Underground & Nico」のジャケットに採用された「バナナ」のポスターです。キーホルダーやステッカーなどにもなっている本作品はいまだに根強い人気を誇っています。

ポスター アンディ ウォーホル マリリンモンロー 1964 (Blue)

アンディウォーホルがポップアートへと進出し、シルクスクリーンを用いて制作した最初の有名作品です。誰でも一度は見たことのある「マリリンモンロー」のこのイラストは現在でもメディアや商品のデザインとして取り上げられることもあります。部屋に飾りやすいサイズのポスターです。

ポスター アンディ ウォーホル キャンベルスープ缶 I (トマト) 1968

こちらもアンディウォーホルのシルクスクリーンによる初期の作品です。大衆文化の象徴として知られる「キャンベルのスープ缶」を大量に印刷して並べた作品は当時の人々に衝撃を与えました。ウォーホルの名前を世間に知らしめることなった代表作のポスターです。

おすすめの作品集

アンディ・ウォーホル全版画 第4版[増補改訂新版]

1997年に発売された「アンディ・ウォーホル全版画 第3版」に1950年代の「ブロッテド・ライン」によって描かれた作品などを増補して作成された改訂第4版です。約30cm×25cmの大きな本なので、それぞれの作品に迫力があります。1500部しか刷られていない限定版です。

おすすめ映画

I SHOT ANDY WARHOL / アンディ・ウォーホルを撃った女 [DVD]

1968年に起こったアンディウォーホル銃撃事件を描いた作品です。ウォーホルの「ファクトリー」に出入りしていた戯曲家のヴァレリーソラナスが、事件当日にファクトリーに侵入し、3回発砲します。そのうちの一つがウォーホルに命中してしまうという実話です。

アンディウォーホルのBAD

アンディウォーホルのプロダクションにより制作されたサイコ・スリラーです。ニューヨークに潜む狂気を描いたカルト映画の傑作として知られています。女だけで構成された殺人集団は冷酷な側面を持ちながらもエロティックな印象を受け、物語が進むにつれて引き込まれていきます。

アンディ・ウォーホル / スーパースター [DVD]

アンディウォーホルの生涯を描いたドキュメンタリー作品です。ウォーホルと近しい関係だった人達の証言を元にウォーホルの人物像を浮かび上がらせ、生前のウォーホルのインタビューを盛り込んでさらに素顔に迫るという映画になっています。

アンディウォーホルについてのまとめ

アンディウォーホルは幼少期から美術への才能を発揮し、若い頃は広告デザイナーとして活躍します。その後に出会ったポップアートに魅了され、その世界へと飛び込むと、そこでも新たな芸術の開拓者として世界に衝撃を与えるのでした。

晩年まで精力的に作品制作に取り組みましたが、最後は心臓発作にて突然帰らぬ人となってしまうのです。しかし、彼の残した業績は、のちのアーティストたちに多大な影響を与えるのでした。

今回はアンディウォーホルについてご紹介しました。この記事でさらに興味を持っていただけたら幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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