ブリットポップの終焉
一方で、ブリットポップはその盛り上がりの陰で、アーティストたちの実力不足が指摘されることもありました。また、マスメディアや企業の後押しにより商業的な要素が強まっていたムーブメントは次第に人々の関心を失い、失速していきます。
そして1997年、ブラーのメンバーであるデーモン・アルバーンが新作アルバム発売時に「ブリットポップは死んだ」と発言。このアルバムからブラーは、それまでの音楽からかけ離れたアメリカ的なオルタナティブ志向へと転向します。
また、オアシスも同年にアルバムをリリースしますが、評価を得られず失敗作に終わります。
こうして、イギリス音楽復権の時代にデビューしたバンドは姿を消していき、実質のブリットポップ・ブームの終焉となりました。
ブリットポップが社会に与えた影響
若者を中心に、国中を熱狂させる一大ムーブメントとなったブリットポップ。その影響は音楽だけでなく、ファッションや芸術、映画業界などの大衆文化にも影響を及ぼしました。
スポーツウェアをラフに着こなすファッションがブームに
ブリットポップを語るに欠かせないのが、そのファッション面における影響でしょう。
それまでのミュージシャンと言えば、煌びやかなステージ衣装やヘアメイクなど、スターらしい華やかなルックスが当たり前とされていました。
ところが、オアシスやブラーといったこの時期のミュージシャンたちは、ジャージやスニーカーといったスポーツウェアを、ステージ上やPVの中でもラフに着用していました。
「飾らず、頑張りすぎず、等身大の姿で生きる」というブリットポップの精神が、そのファッションにも反映されていたのでしょう。
このスタイルは「お金がなくても華やかでなくても輝ける」と当時の若者たちの期待感を高め、90年代ブリティッシュ・スタイルの象徴となっていきました。
映画『トレインスポッティング』のヒット
ブリットポップの影響は、それまで低迷していたイギリスの映画業界をも好転させます。1996年に公開された映画『トレインスポッティング』のヒットは、まさにブリットポップ・ブームの影響力を裏付けるものとなりました。
スコットランドを舞台とし、ヘロイン中毒の若者たちの救いようのない日常を軽快なタッチで描いた本作。劇中では、ブラーやパルプ、スリーパー、エラスティカといったブリットポップ期を彩った人気ミュージシャンの楽曲が数多く使用されました。
スコットランドの曇り空の下、薬に溺れ、光の見えない悲壮な日常を颯爽と駆け抜けていく若者たちを取り上げた本作は、まさにブリットポップ・ブームの本領発揮となった作品でした。
本国イギリスにとどまらず、アメリカや日本など世界的な大ヒット・ロングランを記録し、イギリス映画界の復活を印象づけることとなりました。
ブリットポップの主なアーティスト
ブラー
1990年にデビューした、ブリットポップ期を代表する4人組ロックバンドです。シニカルで知性に富んだ歌詞と、ポップでサイケデリックなサウンドが特徴として挙げられます。
デビュー直後に行ったアメリカツアーでグランジの波に打ちのめされたブラーは、音楽づくりにおけるイギリスらしさや自分達らしいアイデンティティを追求し始めます。
1994年に発売された3rdアルバム『パークライフ』が全英で記録的ヒットとなり、一気にブリットポップ期を牽引する存在へと上り詰めます。また、少し遅れてブレイクしたオアシスとの対立構造はマスコミに大きく取り沙汰され、国中を巻き込んだお祭り騒ぎとなりました。
世間の流れに反発するように、その後ブラーの音楽はオルタナ志向へと転向していきますが、その評価が落ちることはありませんでした。現在にいたるまで既存ジャンルに囚われることのない楽曲づくりを行い、数々のヒット作を生み出しています。