1928年 – 69歳「シェイクスピアの全作品を翻訳完了」
「詩篇其二」を翻訳し、シェイクスピアの全作品を訳し終える
逍遥は1909年に「ハムレット」を翻訳してから、シェイクスピアの作品を全て翻訳することに力を入れていました。1928年に「詩篇其二」を訳し終えると、1884年に翻訳した「ジュリアス・シーザー」なども合わせて、シェイクスピア作品を全て訳すことに成功したのです。
この翻訳を終えた時にちょうど古希(70歳)を迎えるタイミングだったので、シェイクスピアの全作品を翻訳した偉業も合わせて、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館を創設することになりました。
1935年 – 76歳「逍遥の死去・死因は気管支カタル」
晩年を熱海で過ごし、気管支カタルにて亡くなる
逍遥は1920年ごろから静岡県熱海市に居を構え、晩年の大半をそこで過ごしています。逍遥が過ごしていた建物の庭に、2本の柿の木が生えていたことから、会津八一(早稲田大学の同僚)が「双柿舎」と名付けるのでした。
逍遥はこの地で戯曲を作成したり、図書館の設立に尽力したりしていましたが、1935年2月に風邪をこじらせてしまいます。その際に気管支カタル(感染症の結果生じる粘膜腫脹と滲出液の発生が亢進する病態)も併発し、高齢だったことも合間って、1935年2月28日に帰らぬ人となるのでした。
坪内逍遥の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
小説神髄
これまでの勧善懲悪を描く、江戸の文学作品を批判し、小説とは人情を描くものであると説いた逍遥の代表作品です。前半では小説がどのようなものであるのかを説き、後半では小説の技法について解説されています。近代文学の先駆けとなり、多くの文士たちに影響を与えた歴史的価値の高い書籍です。
当世書生気質
本書は「小説神髄」の内容を具体化した小説となっています。学生の小町田と芸妓の田の次が主人公で、二人のロマンスを描いています。明治における東京での生活と社会背景を描いた日本の近代文学の開祖ともなった作品です。
おすすめの翻訳作品
ザ・シェークスピア
逍遥の翻訳したシェークスピアの全戯曲全作品が収録されています。日本語訳にされた部分と英語原文が対象的に載せられているので、比較しながら読み進めることができます。シェークスピア没後400周年を記念して刊行された書籍となっています。
ロミオとヂュリエット
16世紀後半の詩人であり、劇作家でもあるウィリアム・シェークスピアの代表作「ロミオとジュリエット」を坪内逍遥が翻訳した作品です。100年以上前に翻訳されているため、言い回しが古く、読みづらいところもありますが、逍遥の翻訳に触れてみたい方にはおすすめです。
マクベス シェイクスピア 坪内逍遥現代語訳版
シェイクスピアの代表作である「マクベス」を坪内逍遥が翻訳しています。日本で初めて完全な形で翻訳されたテキストとなっています。逍遥の生きた時代に用いられていた言葉や文字を現代語に訳し直して編集しているため、比較的読みやすい作品に仕上がっています。
おすすめの戯曲
役の行者
逍遥の戯曲の代表作です。話の内容は伝説に基づいて作成された者で、600年代に原案が作られたとされています。逍遥の表現力によって、あたかも600年代にタイムスリップしたのではないかと思うほどの風景描写が施されているため、興味のある方はぜひ一読してみてください。
桐一葉・沓手鳥孤城落月
逍遥の初期の戯曲です。「桐一葉」は大坂夏の陣を主題としており、武将・片桐且元について描いた戯曲となっています。逍遥はこれらの作品によって演劇界へも進出し、演劇の近代化にも貢献することになるのでした。
坪内逍遥についてのまとめ
坪内逍遥は幼少期から文学に興味をもち、東京大学を卒業後に「小説神髄」を発表して日本の近代文学の始まりを告げることとなります。小説の執筆に関しては「細君」と言う作品を最後に辞めてしまいますが、その後は戯曲の作成に力を入れ、演劇界にも多大な影響を与えるのでした。
晩年にはイギリスの劇作家シェイクスピアの全作品を翻訳するという大変な偉業も成し遂げています。最期は気管支カタルを患い、高齢だったことも手伝って、熱海にある自宅にて亡くなりますが、文芸、演劇の分野の近代化に貢献した功績は今後も語り継がれることでしょう。
今回は坪内逍遥についてご紹介しました。この記事をきっかけにさらに興味を持っていただけると幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。