明石元二郎とはどんな人?【生涯・年表まとめ】功績や名言も紹介

明石元二郎の名言

城中夜半聴鶏鳴 蹴枕窓前対月明 想得鴨江営裡景 只看一剣斬長鯨

1904(明治37)年2月5日、日露戦争開戦前夜にロシアで詠んだと言われています。元二郎が対ロシア諜報の手記として残した「落花流水」に載せられているもので、来るべき戦いに向けた元二郎の熱い思いを秘めた胸の内が見えてくるようです。ロシアという大国に一太刀浴びせるのだ、という最後の一行から、元二郎の覚悟を感じます。

元二郎が参謀総長に提出したロシアに関する報告書(後の「落花流水」と同内容)

スパイ勤務は軍隊を持つ国であれば最も重要な事務に属するが、何分にも方法、手段、経験が少なすぎる。また、洋の東西を問わず、将校にとってこの任務は至難といえる。どうかすれば卑しくも恥ずかしい、後ろめたさがあるなどの理由から、任務を嫌がる傾向にあるのだ。将来においてこうした問題や課題をいかに克服すべきか、今こそ必要であると信ずるものである。

これも「落花流水」の一部です。日本では正々堂々と戦うことが良しとされている国であり、そういう環境でインテリジェンスを仕事にすることの難しさを元二郎は述べています。しかし、情報を握ることが戦争の勝敗を決めるというのは、過去の歴史を見ても明らかです。日露戦争において諜報戦を制した元二郎が述べるからこそ、この言葉は重みを持ったと感じます。

秘密戦に関わる要員を養成していた陸軍中野学校

この後はインテリジェンス教育を司った陸軍中野学校でのお手本として扱われました。その代表的なものが真珠湾攻撃でしょう。あの成功は海軍のインテリジェンスによる勝利とも言えます。一方、ミッドウェイ海戦の敗北や山本五十六長官の撃墜事件は暗号が解読されていたために招いたとも言えることから、インテリジェンスの失敗例と言っても過言ではありません。

余の死体はこのまま台湾に埋葬せよ。いまだ実行の方針を確立せずして、中途に斃れるは千載の恨事なり。余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず。

現在、明石元二郎は台湾にある福音山キリスト教霊園に眠っている。

これは元二郎の遺言といわれています。元二郎がどれだけ台湾の発展を願っていたのかがよくわかリますし、同時に、志半ばで斃れてしまうことにどれだけ悔しかったのかとも思わずにはいられません。

台湾が親日国であることはよく知られていますが、ポーランドと同様、明石元二郎という一人の軍人の行動と熱意が、時代を経てもなお日本に恩恵をもたらしてくれていることは、日本人として胸に留めておくべき歴史だと思います。

明石元二郎にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「見た目には無頓着」

日露戦争では陸軍参謀総長を務めた山県有朋

幼い頃から鼻水やよだれを袖で拭く癖があったようですが、歳を重ねてもそれは変わらず、陸軍士官学校時代は「汚れの明石」というあだ名がついていました。サイズが合わない服を着ていることもしばしばあったようですが、欧州駐在時代は仕事をする上で支障がある時は、きちんとした身なりをしていたようです。

山県有朋の邸宅だった椿山荘には明石元二郎も訪れた

明石元二郎という人は、自分をよく見せようという欲はなく、自分の掲げた目的のためだけに行動する人だったのでしょう。山県有朋と話をしている時、元二郎は小便を垂らしながらも話を続け、山県も話を止めずに聞いていたという逸話は有名です。夢中になると形振り構わないこんな人柄だったからこそ、諜報活動でも相手に信用されたのかもしれません。

都市伝説・武勇伝2「ドイツ語を知らないふりして情報を得る」

ロシアのサンクトペテルブルクに伸びるメインストリート・ネフスキー大通り(1900年代の写真)

元二郎には外国語の才能がありました。海外に駐在が決まると、赴任してしばらく休暇を貰い、集中的に語学を勉強してマスターしています。その能力を逆手にとって行った諜報活動のエピソードが有名です。

外交官や駐在武官の集まるパーティで、フランス、ドイツ、ロシアの武官を紹介されます。すると元二郎は、英語はわかるしフランス語も多少わかるが、ロシア語は学習途中でドイツ語はさっぱりわからないと言いました。その言葉を信じたドイツとロシアの武官が自国の言葉で話し出し、元二郎はわからない顔をしながら情報を全て聞き出したのです。

都市伝説・武勇伝3 「諜報費用は100億円以上?!」

スキーを日本に広めた人としても知られる軍人・長岡外史

日露戦争では児玉源太郎ら参謀本部の判断で、元二郎に諜報費用として100万円が渡されました。現在の価値で約100億円という大金です。当時参謀本部次長を務めていた長岡外史が、元二郎にこんな大金を渡して大丈夫かと心配になったが、結果を見て驚いたと後にコメントしています。

この話には後日談があります。この100万円はロシアの反政府勢力の資金などに使われましたが、残金がありました。本来、元二郎の自由に使わせる金として渡しているので、返金は求められなかったのですが、明細書も添付して27万円の残金を返しているのです。この清廉潔白さがあるからこそ、参謀本部も元二郎にこんな大金を預けられたのかもしれません。

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3 COMMENTS

匿名

明石元二郎さんの貴重な論文ありがとうございます。不安定な国際情勢の中 情報オンチである今の日本にとって非常に大切なことが書かれていました。フェイスブックとツイッターにシェアせていただきました。今に日本に必要なこと。

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倉岡豊

明石元二郎さんの貴重な論文ありがとうございます。不安定な国際情勢の中 情報オンチである今の日本にとって非常に大切なことが書かれていました。フェイスブックとツイッターにシェアせていただきました。いっそうのご活躍とご研鑽、ご健康とご多幸をお祈り致します。

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