ロナルドレーガンとはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や功績、政策内容や死因まで紹介】

1981年 – 74歳「暗殺未遂事件が起こる」

退院してホワイトハウスに戻ったレーガン
出典:Wikipedia

大統領に就任してからわずか69日後の1981年3月30日、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)での演説を終えたレーガンは、ワシントンDCのヒルトンホテルの裏口から出たところをジョン・ヒンクリーに撃たれました。当初、レーガンは被弾したと思われず、専用車でホワイトハウスに向かいましたが、急遽ジョージ・ワシントン病院に搬送され、緊急手術となりました。レーガンは、弾が心臓をかすめて肺の奥で留まっている重症でしたが手術は成功し、わずか10日で退院します。

1984年 – 77歳「2期目の大統領選挙の勝利」

1984年、再選をかけた大統領選挙に出馬し、アメリカ民主党候補のウォルター・モンデール前副大統領と争いました。その後1989年1月20日まで在任したレーガンは、アイゼンハワー大統領以来の2期8年の任期を満了したアメリカ合衆国大統領となりました。

レーガンが2期目の大統領に就任したころ、アメリカの最も大きな懸念はソ連との長引く冷戦でした。レーガンは、ソ連を「悪の帝国」と名指しで非難し、1984年、ソ連とその同盟国を除いてロサンゼルスオリンピックを開催し、西側諸国の絆の強さを見せつけました。

1985年の夏、レーガンは、大腸にできたポリープが生体組織検査の結果悪性であることが判明したためポリープ切除手術を受けています。手術は全身麻酔を必要とするという診断をうけ、1947年の大統領継承法と1967年のアメリカ合衆国憲法修正第25条の規定に依り、大統領権限の一時的移譲を初めて行いました。手術が行われた7月13日の朝方からの8時間は、ブッシュ副大統領が大統領権限を代行しました。

1987年 – 80歳「INF(中距離核戦力)全廃条約を締結」

レーガンとゴルバチョフ

1985年、ソ連でゴルバチョフが書記長に就任すると、両国は歩み寄りをみせます。ソ連の態度の変化にレーガンは、自らも強硬な外交路線を修正し、1985年ゴルバチョフの求めに応じる形で米ソ首脳が6年半ぶりに会談を行いました。1987年、レーガンとゴルバチョフは、ワシントンDCにて中距離核戦力全廃条約に調印し、ここに、長い間続いた冷戦が終結します。

翌年、レーガンはモスクワを訪問した際、ソ連のメディアに好意的に迎えられました。「まだソ連のことを「悪の帝国」と考えているか」と質問されたレーガンは、はっきり「いいえ」と答え、「あれは別の時、別の時代のことを指した言葉です(“I was talking about another time, another era.”)」とつけ加えたといいます。

レーガンは、回想録「An American Life」の中で、レーガンとゴルバチョフは互いに信頼しあい、気心しれる盟友になったと、語っています。ゴルバチョフは、レーガンにモスクワ大学で自由貿易市場についての特別講義まで依頼していました。

1989年 – 82歳「大統領を引退」

ホワイトハウスを去るレーガン
出典:Wikipedia

1981年から8年の任期をつとめあげたレーガンは、高い支持率を保ったまま、1989年1月20日にホワイトハウスを後にします。77歳11ヵ月という大統領としては史上最高齢でした。

1994年 – 86歳「アルツハイマー病を公表」

1993年にアルツハイマー病と診断されたレーガンは、1994年、「国民への手紙」という形でアルツハイマー病を公表しました。公表以降は人前に出ず、自宅で静かに余生を送っていましたが、2001年に自宅で転倒し腰を骨折したことで寝たきりとなってしまいます。妻のナンシー夫人は、アルツハイマー病の進行を食い止めるため、ホワイトハウスの執務室を再現した部屋を作り、レーガンに新聞を読むなどの「執務」をおこなわせていたそうです。

1998年2月6日、ワシントンDCの国際空港が、「ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港」と改名され、さらに、2001年3月4日、ミニッツ級航空母艦の9番艦が「ロナルド・レーガン」(USS Ronald Reagan, CVN-76)」と命名されました。2003年7月12日の就役式典には、レーガンの代わりにナンシー夫人が出席しています。

2014年 – 93歳「レーガン死去」

レーガンのモニュメント

長い間自宅で療養中であったレーガンは、2004年6月5日、ロサンゼルス近郊ベル・エアーの自宅で肺炎のため、93歳で死去しました。ナンシー夫人やマイケル、パティ・デイビス、ロンらの子供達に囲まれて亡くなったそうです。

レーガンの葬儀は、2004年6月11日に国葬として執り行われました。ワシントン大聖堂で行われた国葬には、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領と父であるジョージ・H・W・ブッシュ元大統領の他、

  • イギリスのマーガレット・サッチャー元首相
  • カナダのブライアン・マルルーニー元首相
  • ソ連のゴルバチョフ元大統領
  • 中曽根元大統領

などが弔辞を述べました。国葬を終えたレーガンは、地元カリフォルニア州シミバレーのロナルド・レーガン大統領図書館の敷地内に埋葬されました。モニュメントには、レーガンの言葉「I know in my heart that man is good, that what is right will always eventually triumph, and there is purpose and worth to each and every life.(私は心から信じています。人間は善であり、正義はいずれ必ずや勝利を収める。そして、すべての人生に目的と価値があることを。)」が刻まれています。

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レーガンに関するまとめ

今回は、アメリカ第大統領であるロナルド・レーガンについてご紹介しました。レーガンは、偉大なアメリカ人の一人にも選ばれるなど大統領としても評価が高く、また、一人の人間としても、そのチャーミングさからアメリカ国民に今も人気があります。

レーガンは、冷戦を終結に導く勇気ある一歩をふみだしてくれました。しかし、現在も世界では小さな紛争を含めて常に争いが起きています。レーガンのように、勇気ある一歩を踏み出せる、そして、ユーモアのセンスを忘れない指導者が世界中に必要なのかもしれません。

この記事を読んで、一人でも多くの人がレーガンに興味を持ってもらえたら嬉しいです。

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