「バラクオバマってどんな大統領だったの?」
「オバマ大統領の功績やスピーチについて知りたい!」
「オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した理由が知りたい!」
あなたはこのように思っているのではないでしょうか。
バラクオバマとは、2009年から2017年までアメリカ大統領を勤めた政治家です。「Yes,We can」のフレーズで知っている方も多いかもしれませんね。彼はアメリカ史上初の黒人大統領として、医療保険制度改革や経済政策、平和的外交と弱者救済に重きをおいた活動を行いました。
オバマの功績は多岐に渡りますが、最も大きい功績としてあげられるのが経済政策でしょう。彼が大統領に就任した時期は、ちょうどリーマンショックによる大不況の最中でした。
これを財政支出によって回復させたのがオバマです。2009年はマイナス成長だった米国ですが、翌年以降はプラスに転じ、毎年順調に成長していきました。
この記事では、オバマ大統領の生涯や功績、スピーチについて、「Yes,We can」のキーワードで彼に興味を持ち、調べていくうちにその人柄に魅せられてしまった筆者が執筆させていただきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
バラクオバマとはどんな人物か
名前 | バラク・フセイン・オバマ |
---|---|
誕生日 | 1961年8月4日 |
生地 | アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル |
出身校 | オクシデンタル大学 ・コロンビア大学・ハーバード大学 |
任期 | 2009年1月20日〜2017年1月20日 |
配偶者 | ミシェル・オバマ |
バラクオバマの生涯をハイライト
バラク・フセイン・オバマは1961年8月4日にハワイ州ホノルルで、黒人と白人の間に生まれました。その後僅か2年で両親が離婚し、オバマは母方に引き取られ10歳までインドネシアで過ごし、祖父母のいるハワイへ帰還しました。
高校卒業後はカリフォルニアの大学に入り、卒業後はニューヨークの出版社に就職しました。4年ほどニューヨークで過ごしたあとはイリノイ州シカゴに移り、ハーバードの法科大学院へ入学。1991年に法務博士の学位を取得し、弁護士として法律事務所で働きます。
人権派弁護士として有名となったオバマは2004年にアメリカ上院議員選挙に出馬し、見事当選。2008年には民主党から大統領選挙に立候補し、選挙戦でヒラリー・クリントンに勝利しました。そして2009年に大統領に就任し、医療保険や経済政策などの改革を行います。
さらに対話と交渉を重視した外交と核廃絶への働きかけが評価され、同年にノーベル平和賞を受賞。2012年に再びアメリカ大統領選挙に出馬し、再選しました。
大統領2期目ではキューバとの国交を回復させます。2017年1月20日に大統領を退任してからはワシントンD.C.に残り、映像会社を創設。2020年には、大統領選挙に出馬したジョー・バイデンを支持し、応援演説や資金調達などの支援を行いました。
バラクオバマはどんな大統領だったのか
オバマ大統領は、特に「弱者救済」に取り組んだ大統領でした。
大戦が終わった後の世界、アメリカは世界一の大国として急速にグローバル化が進んだ国です。これにより経済的にぐんぐん成長したアメリカですが、その裏では大量の失業者が出ました。アメリカの医療費は高く、貧しい人は医療を受けられません。
そこでオバマ大統領は、お金がない人も医療を受けられるようにする法律を成立させました。要するに、日本でいう国民保険を作ったわけですね。
他にも税制上の救済や失業保険の再承認、雇用創出法などを成立させ、アメリカ経済を立ち直らせました。
ノーベル平和賞を受賞した
2009年10月9日、オバマ大統領は「核なき世界」に向けて国際社会へ働きかけを行ったことが評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。
理由は、4月のチェコ・プラハの演説で核兵器のない世界の実現を訴えたこと、対話や交渉を重視する平和的な国際外交や諸国民の協力を強くするための努力をしたことの2つです。しかし、これには時期尚早だという声も上がりました。
というのも、オバマ大統領は具体的な成果をあげたわけではないからです。実は過去に2人、現職のアメリカ大統領が受賞しているのですが、両者とも日露戦争の講和や第一次世界大戦の講和などの成果がありました。
こういった理由から、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞は賛否が分かれています。