「ミッドウェー海戦ってどんな戦い?」
「映画を見て興味を持った!」
ミッドウェー海戦は1942年の、太平洋戦争中のミッドウェー沖の戦闘です。太平洋戦争の勝敗を分ける重要な戦いだったといわれています。どこかで聞いたことがあるような“ミッドウェー海戦”。しかしどんな戦いだったのか知っている人は少ないのではないでしょうか?
この記事ではミッドウェー海戦を、出来るだけわかりやすく要点をまとめて解説します。遠い昔ではない、戦争の事実を少しでも知ってもらえたら幸いです。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
ミッドウェー海戦とは?
交戦 勢力 | 大日本帝国 | アメリカ合衆国 |
---|---|---|
年 月 日 | 1942年6月5日から6月7日 | |
指 揮 官 | 山本五十六 南雲忠一 近藤信竹 | F・J・フレッチャー R・A・スプルーアンス |
戦 力 | 航空母艦8 戦艦11 重巡洋艦17 軽巡洋艦7 駆逐艦54 艦載機248 水上機3等 | 航空母艦3 重巡洋艦7 軽巡洋艦1 駆逐艦19 艦載機232 基地航空機101 飛行艇31 水上機1 潜水艦20等 |
損 害 ・ 死 者 数 | 航空母艦4沈没 重巡洋艦1沈没 戦死3057名 | 航空母艦1沈没 駆逐艦1沈没 戦死307名 |
結 果 | アメリカ軍の勝利 |
ミッドウェー海戦は太平洋戦争の中の、ミッドウェー島近郊で行われた海戦です。時期は、1942年の6月5日から7日にかけてミッドウェー島付近で行われました。戦いはアメリカの勝利となり、太平洋戦争の戦局を決定づけた日本にとって手痛い戦闘となったのです。
太平洋戦争をわかりやすく解説!原因や死者数、終戦までを年表付きで紹介
ミッドウェー海戦の目的は?
ミッドウェー海戦の目的は南方作戦が一段落した後、敵空母の本土空襲を予防するために、ハワイと日本の間のミッドウェー島を押さえることが重要と考えたからといわれています。
さらにハワイまで占領し、アメリカの戦意を喪失させることまで考えられていたといいます。そしてミッドウェー島攻略の過程でアメリカ軍艦隊が現れた場合、それを叩きアメリカの空母艦隊に痛手を与えることも目的としたのです。
この目的はM1作戦と呼ばれましたが、作戦途中でミッドウェー海戦が起こり、敗北したことにより作戦は中止しています。
両軍の戦力は?
両軍の戦力ですが、まず日本軍は指揮官山本五十六・南雲忠一・近藤信竹率いる空母8隻、戦艦11隻。この中に当時最新の軍艦といわれた「大和」も含まれています。重・軽巡洋艦合わせて17隻、駆逐艦54隻などかなりの戦力を投入していました。
対するアメリカ海軍は、F・J・フレッチャー少将とR・A・スプルーアンス率いる空母3隻、重・軽巡洋艦合わせて8隻、駆逐艦19隻と戦力は日本軍の方が大幅に上回っていました。総じて日本戦力を総動員させた作戦でもあり、決して負けるわけにいかない戦いでもありました。
ミッドウェー海戦の陣形は?
ミッドウェー海戦があった1942年頃には、日本軍もアメリカ軍が使用している輪形陣を取り入れるようになっていました。この陣形は対空防御や対空防御に優れた陣形だったといいます。
内容は、軽空母を中心に置くことにより、敵空母にある程度損害を与えた後に戦艦で突入することを目的としていました。そしてこの戦いには日本の最新兵器戦艦大和も出撃しており、戦艦を配備し相手への抑止力を期待していたといいます。
そして総力を集結させた日本軍に対して、アメリが軍は圧倒的に戦力的に不利でした。ミッドウェー島の攻略を事前に察知していたアメリカも迎え撃てた空母は3隻でした。元々は2隻の予定だったのが突貫修理で、1隻何とか間に合わせて日本軍の6隻に備えました。
しかしこの頃には日本の情報はアメリカに筒抜けとなっており、M1作戦に向かう南雲機動部隊を待ち伏せしている状態でした。
あ