「チャールズ・マンソンの事件を知りたい」
「映画で見たけどマイソン・ファミリーってどんな集団?」
チャールズ・ミルズ・マンソンはアメリカのカルト指導者であり、「マンソン・ファミリー」という集団を操り9名の殺害を指示した人物です。実は自分が手を下していないことを知らない人も多いですが、この事件は日本で起こった「オウム真理教」の事件の時に、洗脳事件として取り上げられることもあったのを記憶している人もいるでしょう。
犯罪を見てみると、事件は非常に残酷であり見るに堪えない事件ばかりです。しかし今後マンソン・ファミリーのようなカルト集団が現れないように事件を見直し対策することも必要だと感じます。この記事ではチャールズ・マンソンの犯罪内容から、当時の時代背景なども含めてどのような人物かを解説していきます。
※この記事では事実を正確に伝えるために、残酷な内容が続きます。苦手な方は次の項目を読むことや、年表を読む等自衛をお願い致します。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
チャールズ・マンソンとはどんな人物か?
名前 | チャールズ・ミルズ・マンソン |
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誕生日 | 1934年11月12日(推定) |
没日 | 2017年11月19日 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
没地 | アメリカ合衆国カルフォルニア州 |
犠牲者 | 9名 |
犯行期間 | 1968年 |
死因 | 急性心筋梗塞 |
チャールズ・マンソンが起こした事件とは?
まず「キング・オブ・カルト」といわれたチャールズ・マンソン率いるマンソンファミリーの犯罪を綴っていきます。マンソン・ファミリーは1968年の2ヶ月で4つの事件を起こし、9名を殺害しています。事件は非情の残虐かつ異常であり、当時のアメリカの人々を恐怖に陥れました。今からマイソンファミリーが起こした事件の概要を紹介します。
起こした事件の概要
1967年にカルフォルニアを拠点とした「マンソン・ファミリー」という共同体を結成し、女性を性によって洗脳し指図するようになりました。そしてマンソンの信奉者はマンソンの命令に従って1969年の7月から8月にかけて、4つの場所で9名を殺害したのです。
最初の事件は、麻薬の番人で音楽教師のゲイリー・ヒンマンがカルト集団の3名によって殺害されます。この時ヒンマンをナイフで殺害し自動車を奪い逃走、あたかも黒人解放組織ブラックパンサー党の犯行に見えるように偽装しました。
次にマンソンはファミリーに殺害を命令。もっとも有名なテート・ラビアンカ殺人事件を引き起こします。この時に妊娠8か月だったシャロン・テートを含めた4名を殺害。数日後に同じ手口でスーパーマーケットチェーンのラビアンカ夫妻を殺害したのです。
逮捕までの流れ
最後の殺害事件から一週間もたたないうちに、警察が車両窃盗の疑いでマイソンファミリーが暮らすスパーン牧場を家宅捜索し逮捕に至りました。しかしこの時はまだ、殺人事件の容疑者とはみなしていませんでした。そして証拠不十分として釈放されています。
しかし捜査は2か月後に急展開を迎えます。実行犯の一人、ボーソレイユの恋人が逮捕され自分の無実を証明するためにファミリーの悪事を暴露。同じころに他の容疑で捕まっていたスーザン・アトキンスが自分はテート殺しの実行犯だと同じ独房の囚人に自慢し、囚人が看守に密告。そこからイモづる式にマンソンやファミリーは逮捕されたのでした。
チャールズ・マンソンの起こした主な3つの殺人事件と被害者
チャールズ・マンソン率いるマンソン・ファミリーは9名もの犠牲者を出していますが、大きく分けると3つの事件に分類されます。その3つの事件の詳細を紹介します。
第一の事件「ゲイリー・ヒンマン殺人事件」
1969年の7月25日に最初の犠牲者となったのは、自宅に2万ドルの隠し遺産を持っているという噂だった麻薬の売人で音楽教師だったゲイリー・ヒンマンでした。そもそもファミリーの3名がヒンマンの自宅に借金の取り立てにいったのが事の発端だったといいます。
3人はヒンマンを詰問。マンソンはヒンマンの自宅を訪れ、短剣で耳を切り落としたりなどの苛烈な拷問を加えて金の隠し場所を白状させようとしています。そしてマンソンは「殺せ」と命じて立ち去りました。
その後メンバーはヒンマンを縛ったまま家宅捜索を続けますが結局遺産は見つからず、夜明け頃、ヒンマンは窓に駆け寄り大声を出して助けを求め始めてます。その行動にパニックになったファミリーの一人が、ナイフでヒンマンの胸を二突きし殺害しました。
3人はヒンマンの血で壁に「政治豚(Political Pig)」と書き、ブラックパンサー党のシンボルの「猫の手」を描き、ブラックパンサー党の犯行のように偽装しました。ファミリーはヒンマンの遺体を、ヒンマンの車に乗せスパーン牧場に帰っています。