この記事をご覧になっているあなたは、
「ブリットポップってなに?」
「ブリットポップってどんな音楽?」
「ブリットポップの代表的なアーティストは?」
「ブリットポップの名曲や名盤が知りたい」
などと思っているのではないでしょうか?ブリットポップとは、1990年代のイギリスを席巻したポピュラー音楽ムーブメントです。この時期に活躍した有名なバンドとして、オアシスやブラー、パルプ、スウェードなどが挙げられます。
また、ブリットポップの影響は音楽の枠にとどまらず、ファッションや映画、芸術などさまざまな分野に及び、イギリス中を巻き込んだ社会現象となりました。
今回は、そんなブリットポップの歴史や特徴、主要なアーティストから名曲、名盤まで詳しくご紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ブリットポップとは
ブリットポップとは、1990年代のイギリスで起こった音楽ムーブメント、またその時期に生まれた音楽のことを指します。このムーブメントを通じて、イギリス音楽の歴史に名を残す多くの名アーティストが誕生しました。
ブリットポップが生まれた背景
1990年代のイギリス国内では、80年代後半から盛り上がっていたマッドチェスターが収束に向かい、同時にニルヴァーナを筆頭とするアメリカのグランジがチャートを賑わしていました。ロックファンや音楽関係者は、イギリスらしい音楽が失われていくことに強い危機感を抱いていました。
そんな状況を打開するかのごとく、イギリスらしさを前面に押し出したバンド、スウェードとブラーが登場します。そして1991年には、後にイギリスを代表する伝説的ロックバンドとなるオアシスがデビューし注目を集めます。
そんな中、1994年4月5日ニルヴァーナのボーカルでグランジのカリスマ的存在だったカート・コバーンが自殺。その死は世界中のロック・ファンに大きなショックを与え、グランジ・ブームを終焉へと向かわせます。
その後イギリス音楽界はブラーとオアシスの2大巨頭を中心に盛り上がりを見せ、その後も数々の個性的な新人ミュージシャンがデビューします。このイギリス音楽の原点回帰的ムーブメントを象徴し、「ブリットポップ」という言葉がマスメディアによって生み出されました。
ブリットポップの特徴
ブリットポップは、一連のムーブメントの中で生まれた音楽全般を指すため、その音楽性や様式においてはっきりとした定義はありません。しかし、この時代のヒット曲の多くに共通している点として、以下が挙げられます。
- 等身大でありふれた日常を歌った歌詞
- 分かりやすく口ずさみたくなるようなメロディ
- ポップでありながらも憂いがかったサウンド
地味で落ちぶれた日常を、皮肉たっぷりに自虐する歌詞はまさに「イギリスらしさ」の典型とも言えるでしょう。それを単純で分かりやすいメロディと透き通るようなギターサウンドに乗せ、淡々と歌い上げるのがブリットポップの魅力です。
怠惰で変わり映えのない日常を憂いながらも、それを受け入れて堂々と生きていこうとする姿勢が、当時のイギリスの若者の心を打ったのかもしれません。
ブリットポップの発展
若者から熱狂的な支持を集めていたブリットポップは、国を巻き込んだ社会現象へと発展していきます。
このムーブメントの中で、かつてはアンダーグラウンドで活動していたミュージシャンたちがテレビ番組や雑誌などのメディアで取り上げられ、人々にとって身近な存在となっていきました。
そしてその影響は音楽の垣根を超え、ファッション界や芸術、当時低迷していた映画業界などにおいても、若いイギリスのアーティストの活躍を奨励するムードが浸透していきます。
この社会現象は、マスメディアによって「クール・ブリタニア」と称され、時の首相はこの現象を自国のブランディングに利用すべく総力を挙げてこの分野に力を入れました。
ブリットポップにおける最大の盛り上がりは、時代を代表する2大バンド、オアシスとブラーの対決でしょう。2つのバンドは出身地や階級、音楽性などが全て対照的だったことから、音楽メディアによって頻繁に比較され、彼ら自身もお互いをライバル視していました。
両バンドは1995年8月14日、ニューシングルを同日に発売。その模様はマスメディアによって大々的に報じられ、どちらがチャート1位を獲得するかに国中が注目し、BBCでも特集が組まれるほどでした。
この結果はブラーの勝利に終わりますが、その後のアルバムセールスはオアシスが圧勝。オアシスはその後アメリカにも進出し、世界的なロックバンドへと成長します。